快感小説

新・如月夜叉(終話)

終話~雪のごとく如月夜叉


 この忍び屋敷は、周囲を男の身の丈よりも高い土塀にぐるりと囲まれ、その前庭は駆け回れるほど広くはなかった。その中で多勢に無勢。にもかかわらず嵐の剣さえ白き般若に届かない。
 お紋は白ずくめの忍び装束。対する夜叉は五人ともに足首まである寝間着の姿。脚が開かず着物がまつわりついて、どうしても後手に回る。手裏剣なども持ってはいなく、このままではいかにも危うい。

 白き般若は、鳥・・いいや、まさに天狗のごとく、夜叉の剣をあざ笑うように宙へと舞い、横へ後ろへ宙返り、その刹那、返す刃が襲ってくる。
 嵐の寝間着の袂が斬られ、五尺寸の長棒を持つ江角でさえも寝間着が浅く斬られている。嵐や江角でなければ死んでいた。はじめて相まみえる恐ろしい敵・・おしろい般若。

 嵐の太刀があしらわれ、狐のごとく、くの字に踏み込む白狐・・お菊の剣が跳ね上げられて、攻めのことごとくをかわされる。
 嵐は寝間着の帯を解き、脱ぎ去って白き夜叉と化していた。
 江角も全裸。体の大きな涼風・・お涼も全裸。白狐・・お菊もそうだし、女陰働きの女郎花・・お雪は、豊かな乳房を弾ませる姿となった。
 これで動ける!
 般若がくすりとほくそ笑む。
「どいつもこいつも殺るには惜しい体だよ。傷もない。それも口惜しい。どうしてもやると言うなら受けてやる・・覚悟せい!」

 般若が舞う。夜叉が追う。
 身の丈をはるかに超える般若の飛翔・・振り下ろされる鋭い太刀筋。
 雪のごとく白き五つの女の影が、女陰を晒して地べたに転がり、乳房を弾ませ、江角の棒が般若に向かって突き込まれたとき・・なんとお紋は、その細い棒の上へと蝶のように舞い降りて、棒に立つ。
 なんという身のこなし。それも大きな女であるはずが棒に重みを感じない。
 江角は、とても勝てないと見切っていた。
「まずはおまえからだ、首はもらう!」
 棒に立ったまま般若の金色の剣が横に振られ、江角の首を跳ねようとしたときだ・・。

 キラリと幻影を引きずるように、二本の打ち根(小さな槍状の手裏剣)が天から舞い降り、うち一本が般若の左肩に突き刺さり、一本は江角の足下の地べたへと突き刺さる。
 不意を突かれて般若がひるんだその隙に、江角は棒を捨てて横っ飛びに剣をかわした。間一髪!
 八角棒もろとも地べたに落ちた般若だったが、たちどころに構えをただし、傷は浅い。
 全裸の嵐は如月流の剣を振り、般若を飛ばせておいて、地べたに突き刺さった打ち根めがけてもんどり打って、打ち根を抜くと、そのとき上から般若の剣。 「死ねい!」
「なんの!」
 女の秘部をあからさまに晒すあられもない姿で嵐は横に転がって、般若の太刀筋から逃れながら、下から打ち根を放つ!
「うっ! うむむ!」
 蒼い星明かりにキラと糸を引く手裏剣が般若の右胸に突き立った。
 そしてそのとき、くの字に切れ込む白狐ならではの太刀筋が般若の左胴を切り裂いた。
「セェェーイ!」
 手裏剣を放って立ち上がりざま、猛然と挑みかかる如月の剣の切っ先が心の臓を貫いた。

 白き般若の装束が血に濡れて崩れていく・・しかし・・。

 倒したと思い、四人は剣を下ろし、江角が八角棒を拾い上げたとき・・崩れ去って屍となったはずのお紋が、恐ろしげな笑い声を上げるのだった。
「ふっふっふ、不覚をとったわ・・されど死なぬ・・もはや痛みすらも感じぬわ」
 全裸の夜叉五人が崩れて蠢く般若を囲み、ふたたび斬ろうとしたときに、般若は鳥のように飛び立って、二階・・いや三階ほども高い大屋根へと舞い上がる。
「おのれ妖怪! 降りてこい!」
 お涼が叫ぶも、装束を血に染めた白き般若は確かに笑った。
「今宵はここまで・・いずれ嬲り殺しにしてくれよう・・」
 そしてその女声が、低く響く男の声へと変わっていく。人の声とは思えない。
「お紋など、もはや逝った。いとしき女の体を借りて生きながらえるも、またよしか・・くくくっ・・さらばだ、そなたらの体、楽しませてもらうゆえ・・」

 白き般若・・お紋の姿を借りた『叡山の鬼天狗』が飛ぼうとしたとき、大屋根の背後から襲いかかる黒い影・・鉄錆色の忍び装束・・ざんばら髪、髭面の大きな男が躍り出た。
 彪牙だ!
「そういうことだったか。どおりで探れど見つからぬはず。俺が相手よ、覚悟せい鬼天狗!」
 全裸の夜叉五人が呆然と見上げていた。
 躍り出た男は強かった。さしもの天狗をたじろがせ、大屋根の上を駆け、天狗もろとも転がり飛んで、庭へと降りた。
 ふたたび構える五人の夜叉に手をかざし、おまえたちは退けと言う。

「セイヤァーッ!」
 すさまじい気合い! 鬼神のごとき彪牙の剣! 
 それを受けきり稲妻のごとく金色に糸を引く、天狗の剣!
 土塀を足がかりに真横に飛んだ天狗の剣が彪牙の装束を浅く裂き、そのとき振るった彪牙の剣が、般若の白装束を浅く裂く。
 両者の影がぶつかるように刃と刃が火花を散らし、一瞬後に、鳥のように、猿のように、二つの影は飛び交わし、駆けてはもつれ、地べたに転がり、ふたたび跳ねる。
 すさまじい戦い・・屋敷の中では、お真知、結、お燕の三人が声をなくして見つめている。まさしく男の死闘であった。
「なかなかやるな、ぐっふっふ!」
 天狗が地の底から湧くように笑い、その刹那、金色の剣を振りかざして挑みかかる。
「なんの、それしき!」
 彪牙の剣がギラギラ光り、金色の剣と交わったとき、彪牙の剣が中ほどで折れて飛んだ。
 忍びの剣をへし折った金色の剣が浅く彪牙の腕を斬り、彪牙が飛び退いて転がったとき、江角の八角棒が横から天狗に突き入れられた。
「ハァァーイ!」

 しかし天狗は、ひらりと身をかわしざまに舞い上がり、ふたたび大屋根の上へと飛んで見下ろした。
「これまでよ・・いずれ会う日を心待ちにするがよい・・ぐっふっふ」
 天狗・・いいや白き般若は、大屋根の向こうへと飛び退いて、どこか空のかなたへ飛び去るように姿を消した・・。

「ちっ・・逃がしたか・・」
 斬られた右腕を押さえながら彪牙が立ち上がったとき、全裸の江角がとりすがって傷を見た。
「かすり傷だ・・すまぬ」
 江角は女の眸色で彪牙を見つめた。背の高い彪牙を見上げるようになる。
「どうしてここに?」
「天狗を殺るのが役目・・ふふふ、抱きてえぜ江角・・」
 そのときになって江角は己が全裸であることに気づいたようだ。
 嵐も。お涼やお菊やお雪もまた、両手で自分を抱くように乳房を隠して恥じらった。彪牙は大きい。彪牙は強い。嵐はともかく、江角も皆も体が火照るようだった。
 江角が言った。
「手当する」
「いや、ほんのかすり傷。江角・・俺の子を成す女・・」
「・・嫌だ・・あっ!」
 恥じらう間もなく、彪牙の左腕一本で江角は裸身をしならせて抱かれ、唇をさらわれて、男の無骨な指先が下腹の翳りへ潜り込み女陰へと差し込まれる。
「はぁぁ! あぁーっ彪牙!」
 江角の裸身がぐにゃりと崩れて彪牙の胸へと抱かれていった・・。

「ああ濡れる・・だめ・・溶けそう・・ぅは・・」
「ったく・・『ぅは』って何だい・・この色狂い・・」
 全裸で抱かれる江角を見つめて、お雪がくにゃくにゃになっていた。
 色狂いと言っておきながら、お涼は濡れはじめる女陰に戸惑った。
「・・いい男」
 嵐の横でお菊が小声でつぶやいた・・。
「憎たらしい・・ふんっ・・」
 嵐は笑って、横抱きに全裸のお菊を抱いていた・・。

 尾張徳川家江戸屋敷は、この後、現在の防衛省のある場所に上屋敷が築かれることとなるのだが、江戸幕府が開かれたこの頃は、水戸、紀州の御三家と合わせ千代田城内(江戸城内)に造られていた。
 尾張から江戸詰めを命じられた藩の重臣の一人が、国元から囲い者(妾)を呼び寄せたのだが、藩邸が城内では滅多なことはできない。そこで、この忍び屋敷から二丁(およそ200m)離れたところにあった、ゆかりの寺に女を住まわせ、配下の者十数名に守られながら密会していた。
 警護の厳しい城を出たところを襲われて、妾ともども首を取られて殺されたということだった。
 その知らせは百合花を通じて二日後に聞かされた。しかし探索もそこまで。瀬田は打ち切りを命じられる。深みに行き着き、世が乱れるということだ。

 瀬田はその働きが認められ、後の江戸町奉行にあたる『江戸市中探索方』を率いるよう重い職が与えられた・・。


 それからの香風・・。
 その日は朝から雨だった。いよいよ入梅。梅雨のはじめは雨は冷え、裏庭の木の葉で跳ねて涼しい風を香風に流す。
 濃い紺の法衣をまとった庵主のそばに、二人ともに鮮やかな茄子紺の法衣を着せられて若い尼僧が座していた。お真知と結。結はお真知に髪を委ねて尼僧となった。

 とそこへ、お客だと言ってお燕がやってくる。今日のお燕は真新しい花柄の赤い着物に茶色の前掛け。娘らしい姿であった。
「庵主様、お客様です、男の人がお二人で」
「あら・・それはめずらしい。お通ししなさい」
「はい」
 お燕は去り際、若い二人の尼僧にこぼれるような笑顔を見せて背を向けた。

 通されて覗いたのは、若くても落ち着いた若旦那ふうの一人と、まだほんの小僧と思われる一人。一人は落ち着いた鼠色の着物、若い一人はよく着込まれた紺色の着物。二人ともに町人髷をきっちり結って、庵主の前へと現れた。
「どうぞお座りくださいませ」
「あ、はい、では・・」
 若旦那が座卓を隔てた庵主の正面。若い一人は一歩退いて後ろに座る。
「わたくしは両国の呉服問屋、橘屋の主で、仙吉と申します」
「・・ああ、はい」
 二本松に晒されたお梅という若妻の亭主・・庵主は、あのとき訪ねてきた憔悴しきった女の姿を思い出す。この仙吉の兄の妻。
「そして、こちらに控えますは、入って間もない丁稚の喜介と申し、歳は十六。わたくしは主とは言え、まだ二十三の身の上でして」
「ええ・・確かお兄様の奥様が」
「そうです、姉がこちらでお話をうかがって、おまえも一度覗いておいでと言われていまして、それで今日」

 仙吉という若旦那は顔色もよく、少しは心も癒えたようだ。
「それで庵主様」 と言いかけて、仙吉は、庵主の横に並んで座る二人の若い尼僧に目をやった。
「これは申し遅れましたわね。こちらの二人は、結と真知。僧の姿はしておりますが出家させてはおりません。ともにちょっと過ちを冒しましてね、御仏の教えを学びつつ、こうしてお客様の声を知ることで女としての修行をする身。どうぞお気づかいなくお話ください」
 そのとき、お燕が茶と菓子を持ってやってきて、客の前へ並べて立った。
 若い丁稚の喜介が、そんなお燕をぽーっとなって見つめている。庵主はすぐにそれに気づいた。
「あらあら喜介さんとやら」
「は、はいっ!」
 小僧、緊張してガチガチ。
「この子はお燕、歳は十七。どうやら気に入ったようですね」
「これ喜介!」 と、仙吉は慌てて制したが、喜介は真っ赤になってうつむいてしまっている。
 去ろうとしたお燕に庵主が言った。
「お燕はどう? ごらんなさい、そなたに一目惚れで真っ赤になって・・ふふふ」
「ぇ・・ぁ・・どうって、そんな・・嫌だぁ、恥ずかしい・・」
 顔を覆って走り去るお燕。庵主と仙吉が笑い合い、喜介はますます借りてきた赤い猫。固まってしまっている。

 庵主はそんな喜介に微笑みながら、仙吉に言う。
「それで今日はどのような?」
 仙吉はこくりとうなずいて言った。
「ひとつは姉がお世話になったことへのお礼・・姉さん、それでどれほど癒やされたことか・・それともうひとつ、聞いていただきたいこともあり・・」
 今度は仙吉が赤くなってうつむいた。心の綺麗な若者だと庵主は思う。
「それはどのような? どうぞお話くださいな」
「はい、あの・・お梅のことがあって、わたくしが川っぺりで泣いておりやすと・・その・・店のすぐ近くの・・米屋の娘で・・名はお咲と申しやすが・・あっしのことを親身になって慰めてくれやして・・あっしもこのまま尻尾を巻いて尾張に帰ぇればお梅は犬死だと思いやして、もう一度やり直してみようかと・・」
 言葉がどんどん素直な仙吉へ崩れていく。
「強いお方・・そうですね、その方がお梅さんは喜ぶでしょう」
「はい、姉さんもそれはそう言いやすし・・そいであの・・ですから・・うー」
 仙吉はしどろもどろ。喜介より赤くなって震えている。

「そんでま・・近所の者がお咲ちゃんとあっしの姿を見ておりやして・・お咲ちゃんは十八で・・いっそ一緒になっちまえって・・ですから・・えっえっえっ縁談が」
 汗だく仙吉。
 よかった・・庵主は涙が出そうだった。妻の死から間もないのに、そんなことになっていいものかということだ。
 庵主はちょっと考えると、黒髪を失ったばかりの結に言った。
「結はどう思いますか? お梅さんとは・・ほら二本松であったでしょう・・」
「・・はい」
 結もお真知も胸が裂けそう。泣いて平伏し、謝りたい。
 結もお真知も涙を浮かべ、結が言った。
「もしも私なら・・としか申せませんが、お咲さんは嬉しいと思いますよ。もう少し間を置いて・・ですけどお二人で手を取り合って・・お梅さんも安心して眠ることができるでしょうし・・」
 ぽろぽろ涙をこぼす二人の尼僧に、仙吉までが泣いてしまってうなずいている。
 仙吉が涙声で言った。
「へい・・これから二本松を見てまいりやす・・お梅の奴に手を合わせて・・ぅぅぅ」
 堰を切って泣き声があふれだす。

 大粒の涙をこぼし、手を合わせて震えている結と真知へ、庵主は静かな視線をなげながら、死よりも辛い償いだろうと考えていた。

 仙吉、喜介の二人が帰っていくとき、坂の途中で何度も喜介は振り向いて、竹垣の横からひょこっと顔を覗かせるお燕が手を振った。
 そんなお燕の両肩に源兵衛がそっと手を置いた。大きな手だった。
「ずいぶんと可愛らしい小僧じゃねえか。背格好もおめえにぴったりよ」
「嫌だ・・源さんまでそんな・・ンふふ、けど可愛い・・ンふふ・・」
 源兵衛、高笑い。その声は香風の中まで響いていた・・。


女忍 如月夜叉 『おしろい般若』 完

新・如月夜叉(二三話)

二三話~犬耳


 朝には笑って出て行ったお真知が、長かった黒髪を剃り上げて戻ったとき、五人はかける言葉もなく見守っているしかない。お燕までが目を泣き腫らしたひどい顔。
 尼僧の衣を与えられているならともかくも、町女そのものの明るい柄の小袖のまま髪がなければ、なおさら異様な姿に映る。
 お真知は戻るなり小さな仏壇の前の板床にへたり込んで動かない。
 香風で何があったのか、夕餉の支度をしながらお燕に聞かされ、五人の胸中には、たまらないものがこみ上げてくる。

 と・・何を思ったのか、お真知は立ち上がって嵐のもとへとやってきた。
「話していいですか?」 と、お真知は足下の床を見る素振り。
「結だね?」
「はい」
 お真知はきっぱりとした意思のある面色。嵐はちょっと眉を上げて言う。
「わかった、降りよう」
 夕餉の支度も後回しに、お燕まで女たち七人が揃って地下へと降りて、お真知は牢の中の結を覗いた。
 牢に入れられてから一月あまり。その間、まさかすぐ上に仲間だったくノ一が暮らしているなど、結は思ってもいないこと。
「結、あたしだよ」

 結の眸が敵意に底光りして厳しい。
「お真知・・おまえだね、あたしを売ったのは!」
 牢の中で立ち上がり、太い角材を組んだ格子にすがりついて猛然と詰め寄る結。結は見る影もなく窶れていた。それなりに食べてはいるからそう痩せてはいなくても牢暮らしの窶れは隠せない。
「出してやりな」と嵐が言った。
 お雪に牢の口を開けられて、結は踊り出ると、お真知の胸ぐらをつかんで挑みかかる。
「よくも仲間を売ったね!」
 裏切った者には死あるのみ。それが忍び。

「うるさいよ、いい加減にしないか!」
 パシーン!

 地下に淀む空気が震えるほどのお真知の平手打ち。結はふっ飛ばされて転がった。浴衣一枚。腰巻きさえしていない裾が割れて白い尻までめくれ上がった。
「裸にして縛ってやって」
 お真知に言われる通り、お菊とお涼で暴れる結を取り押さえ、浴衣を脱がせて裸に剥いて、二本並ぶ泣き柱に大の字に縛り付けてしまう。
 あのときのお真知そのもの。
 お真知は、そこらに置いてあった細い竹の棒を手にすると、横に立って結の尻を打ち据える。手加減のない拷問打ち。白かった双臀に青痣が浮き立っていく。
 悲鳴、悲鳴・・もがく、もがく・・それでもめった打ち。尻も背も血だらけになっていく。
「畜生ーっ、殺せーっ!」
「まだ言うか!」
 波打つ腹も、ぶるんぶるん暴れる乳房も、打ち据えるごとに血筋が浮かぶ。

「生き直そう結、もう一度やり直そう」

「仲間を売っておいて何を言うか! いっそ殺せーっ!」
 お真知は町女の着物姿。なのに髪を剃り上げたばかりの青い坊主頭。結ももちろん、その意味は察していただろう。
 お真知のあまりの仕打ちに皆は声さえ出せなかった。お燕など怖がって江角にすがりついている。
「結、いまのままじゃ死んだも同じさ、生きよう」
 血と汗と垢にまみれた結の体。お真知は寄り添い、涙を流して抱き締めた。
 しかし結は顔をそむけて取り合わない。
「いまさら遅い・・しくじったくノ一には死あるのみ・・いっそ死にたい」
「まだ言うか!」
 そしてお真知は、あのときの火箸を手に取って太い蝋燭の炎にかざす。赤く焼けた鉄が白い煙を上げている。

「な、何をする・・嫌だ、やめてーっ! 嫌ぁぁーっ!」
「死すなら同じ・・生きようとしないなら同じこと・・」
「ひ、ひ、ひぃぃーっ!」
 結の眸が血走って見開かれ、下腹の黒い翳りに寄せられる焼けた鉄を見据え、内股に脚を閉ざして尻を振って逃げようともがいている。
「静かにしないか! 罪の分だけ罰はある。けどね、罰があるから許される。毛の中なら目立たない。これは仕置だ、覚悟しな!」
 このときお燕は、いまさらながら、あのとき自分がしたことを思い、耳を塞いで目をそむけた。

 この役目をふたたびお燕にさせるわけにはいかなかった。仲間たちにさせるわけにはいかなかった。お真知は心を鬼にした。

 断末魔の悲鳴・・シャァァーッ

 失禁する結。下腹の毛の中に焼け火箸の先が潜り込み、毛と肉を焦がす匂いが満ちた。しかし傷はわずか。火箸の先が触れた程度の傷だった。

 火箸を置いて振り向いて、お真知は涙を流して結を抱く。
「あたしらと一緒に生きよう。いまのまま死ぬなんて可哀想だよ。お願い結、思い直して」
 抱き締めて、棒打ちで痛めた背や尻を撫でまわし、手を血だらけにするお真知。
 それからお真知は、涙に揺れる目で皆を振り向き、自らの帯を解いて着物を脱いだ。襦袢も脱ぎ、腰巻きも脱ぎ去って、お真知も白い女となった。
 黒髪をなくした女体に下腹の翳りだけが妙に黒く浮き立って艶めかしい。
「ごらん結、ほら」
 自らの草むらを分けて、己にもある後悔の焼き印を、結に見せつける。
「あたしだって償ってるんだ。だから許され、ここにいる皆にどれほどやさしくされたことか・・ねえ結、あたしと生きよう」

「・・死にたくないさ・・体が臭い・・吐きそうだ・・助けてお真知・・助けて・・」

 結は、折れた。
 黙って見ていた嵐が歩み寄って裸のお真知を抱いてやる。それから結にも歩み寄り、泣きだした結の顔を覗いて言った。
「人の情がわかるなら、そなたなりの償いはできるはず」
 嵐が結を抱いてやる。
 江角も結を抱いてやる。
 お雪も、お菊も、お涼も・・お燕など泣いてしまって抱いてやる。
 お菊が言った。
「あたしは風魔、白狐。けどいまは菊なんだ。あたしらだってくノ一さ、おまえを殺りたいなんて思っていない」
 結は、力の失せた眼でうなずいた。

 その頃、香風では・・。
 寂びた庭の東屋に並んで座り、雲間に煌めく星を見ていた。

「女の恨み・・内にこもる、どろどろとしたもの・・」
「・・」
「そのために女たちが死んでいく・・」
「うむ・・哀れなものよ」
「・・虚しい」
 百合花は源兵衛に寄り添って月を見上げた。今宵の月は妙に赤い朧月・・。
「抱いて源さん、夢が見たい・・」
 そんな二人のひそやかな抱擁を、夜陰にまぎれて見つめる眸があった。二人はそれに気づかない。百合花と源兵衛の影が重なった。

 香風からなだらかに下る坂道をふらふら歩む人影ひとつ・・。
「男の影などぉ~それはそれぇぇ~恋し恋しやぁ~想い人ぉ~♪~っと・・ふふふ、今宵の月め、恥ずかしがって隠れてやがる・・布団にくるまる百合花のごとく・・ふふふ」

 女ばかりの忍び屋敷に、さらに一つ膳が増えた。牢を出された結は風呂を許され、さっぱりした面色で、板の間の広間に八つ並ぶ膳につく。
 今宵は焼き魚と芋の煮物。江角とお雪がこしらえてお燕が手伝う、穏やかな夕餉であった。
 支度が調い、食べようとしたときに、一際体の大きなお涼が言った。
「けど何だね・・困ったよ」
 お菊がちょっと眉を上げ、お涼はにやりと笑って夕餉に加わる結を横目に言う。
「狭い」
「ふっふっふ、そなたが大きすぎるのさ」
 と江角が笑い、皆が笑った。

 狭くなる。食の席もそうだったが部屋割りにも困る。「雑魚寝もいいさ」とお雪が言って、声を上げて皆は笑った。
 結はすっかり小さくなって、お真知の陰に隠れるように声もない。おそるおそる箸に手を出し、煮物を一口・・手にした煮物の器を見つめながら口へと入れる。
「・・美味い」
 両側を挟んで座るお真知とお燕が目を合わせて微笑んだ。
 そのとき嵐は素知らぬ顔で食べていて、皿に寝そべる焼いた魚に言うようにつぶやいた。
「今宵は結とあたしが下に寝るよ。上は上で好きにしな」

 同じように焼いた魚を箸先で崩しながら、お涼がちょっと微笑んだ。こういうときの嵐のやさしさが嬉しかったからである。

 渡し板で塞がれた囲炉裏を挟んで布団を敷いて、嵐と結が横になる。
 そのとき嵐は、白木の仕込み杖を結に手渡す。結は呆然として受け取った。
「江角のものさ、今宵のところはそれしかない」
「刀をあたしに・・」
「許すとは、すなわち信ずること。おまえは仲間を思うくノ一らしい。明日にでもおまえの剣を用意する」
「・・お頭様」
「その言いようは、よせ。姉様でいいし、名でもいい。あたしは嵐」
「・・噂に聞く、あの如月の霧葉様の・・?」
「娘だよ。よって我らは如月夜叉。だいたい頭はあたしじゃないしね。今宵はもういい、体を休めよ」
 結は、受け取った仕込み杖をそっと布団の横に寝かせて置いた。嵐は嵐で仕込み杖を傍らに忍ばせる。

 眠れなかった。結は心が震えていた。
 そのうち嵐が静かな寝息・・結はそっと目を閉じた。

 ところが・・その深夜。
 結が刀を手にする気配で嵐は目覚めた。

「どうした?」
「しっ・・気配が・・」
「何・・」
「外が騒がしい・・少し遠い・・一丁(およそ100メートル)ほど先かと・・」
「一丁・・それが聞こえるのか?」
「大勢の者たちが駆け回っている・・尋常じゃない」
 しかし嵐には何も聞こえない。
「忍びか?」
「いえ違う・・足音が荒い・・おそらくは侍ども・・来る・・こちらに来る・・」
 それでもまだ聞こえない。
 そのとき結が、ヒュゥイ~ヒュイと犬笛のような口笛を・・人の耳には聞き取りにくく、しかし忍びには聞こえる音。二階に眠るくノ一たちに聞かせるためだ。

 そのわずか後に、ばたばたと駆け回る草履の音が屋敷の前から聞こえだす。
 そのときには、こちらはすべて起き抜けて、広間に集まり、刀や棒を手にしていた。
 そうするうちに今度は、結が広間の天井へと目をやった。天井は板張りだ。
「屋根・・いま何かが舞い降りて・・いや飛んで・・」
 それもまた皆には聞こえない。半信半疑であったが、屋敷の外には確かに大勢の者たちが駆け回る音がする。
 固唾をのむ静寂・・けれど結は刀を置いた。
「・・去った・・遠のいて行く・・」
 皆は結の不可思議な行いを目の当たりに声もない。
「あたしは生まれながらの犬耳・・吹き矢ぐらいしかできないけれど耳では負けない。だからあたしは探りが役目。牢にいて上の声は聞こえていた。お真知がいるとは思わなかったが・・」
 恐ろしい力だと嵐は思った。如月夜叉になかった力。音の嗅覚とでも言えばいいのか・・。

 江角が言った。
「何かがあった・・おそらくそれは般若・・もしくは天狗の仕業」
 嵐は、あのとき万座で白き般若が侍どもに言った言葉を思い出す。
『帰って伝えろ、首をもらいに行くからな』
 ということは、この屋敷のそばに黒幕がいたということになる。
 襲った敵を追いかけて侍どもが右往左往・・そんな絵図が描けていた。

 いっとき静まり、それぞれ立とうとしたときだ。
「静かに・・」
 結がふたたび天井を見上げ、目配せしながら刀をとった。
「屋根・・いま舞い降りた・・この庭だ・・」
 嵐が言う。
「真知と結はお燕を頼む。皆は行くよ!」
 お真知はとっさにお燕をかばい、結と三人で奥へと控える。
 ほかの夜叉五名が、庭への板戸へ忍び寄り、目配せして、板戸をバンと開け放つ。

 大屋根から舞い降りた、全身白装束、白塗りの般若面・・おしろい般若が、片膝をつく姿でそこにいた。
「おや・・気づいたようだね、耳がいいこと。こたびは、しばしかくまってもらおうか。そなたらの成すべきことをしてきたのでね・・ふっふっふ、如月夜叉・・たいそうな顔ぶれだよ」
 白き般若・・いいや、お紋は、すっと立ち、その周りを瞬く間に夜叉五人が取り囲む。江角一人が八角棒、ほかの四人は抜刀し、嵐は右片逆手で切っ先を下げる如月流の剣構え。しかし五人は寝間着姿で動きづらい。
 嵐が問うた。
「黒幕を殺ったのか?」
 白い般若面の目の穴から、にやりと笑うお紋の眼差し。
「いずれわかる。・・ふふん、よせよせ、ここで争うつもりもない。ついでに立ち寄ったまでのこと・・そなたらに倒せるあたしじゃないよ」

 嵐はさらに身を沈め、皆もすり足で間合いをはかり、そんな中で嵐が言った。
「笑止! 覚悟!」
 このとき般若は抜刀せず。
 瞬時に間合いを詰めた嵐の剣が、右斜め下から逆袈裟斬りに般若を襲う。
 しかし般若は鳥のごとし。嵐の身の丈をはるかに超えて舞い上がり、刹那、肩越しに覗く白い鞘から、あのとき万座で煌めいた金色の不可思議な剣を抜き去った。日本刀と青竜刀の間にあるような反りの強い剣である。
 舞い上がり、直線的に上から襲う般若の剣!
 嵐はその太刀筋を読み切って、一の太刀を受けると横に反転、もんどり打って転がって、起き上がりざまに踏み込んで、二の太刀を浴びせにかかる。

 されど般若は人にあらず。飛翔からつま先で着地するなり、後ろへ宙返りして嵐の剣を交わし、そのとき横から斬り込んだ涼風の剣をも同時に跳ね上げて、中腰に身を沈め、金色にギラつく剣を身の右横に瞬時に構える。

 般若は強い! 嵐ですらが、あしらわれてしまっている・・。

新・如月夜叉(二二話)

二二話~香風のお真知


 入梅を控え・・というわけでもないだろうが、二日晴れて一日は雨になる。そんなような繰り返しがしばらく続き、半月ほどが流れていた。

 数日前からお真知はお燕と一緒に屋敷を出て香風で働くようになっていた。ついしばらく前に剣を抜いて襲った場所。お真知はそのときのことを忘れられず自ら願い出て働いた。町女の結髪で綺麗な着物に身をつつみ、けれども胸の内は苦しかった。
 忍び屋敷の板の間に小さいながら仏壇を据え、日に何度も向き合っては手を合わせる。時が経って女の幸せを想うほどに、許されてはいけない身の上だと思えてくる。周りが許してくれるほど苦しくなってしまうのだった。
 香風にいたい。庵主のそばで我が身を見つめたいと思うのだ。

「庵主様、お客様でございます」
「うんうん、お通しなさい」
「はい、かしこまりました」
 昼をとうに過ぎた八つ(二時頃)となって、一見して武家と思われる母と娘が訪ねて来た。二人ともに質のいい小袖の姿。頭巾などはしておらず、母は四十代の末あたり、娘はまだ十代で、ちょうどお燕ほどかと思われた。
 二人を庵主の待つ奥の間へと案内し、一度引っ込んで茶とよく冷えた葛餅を整えて、お客の前にそっと置く。
 そんなお真知に庵主は座れと言うのだった。

「この子はお真知と申しましてね、いろいろあってここに置くことにしましたのよ。ご一緒させていただいてよろしいですわね?」
「はい、それは・・はじめまして、お真知さん」
「いいえ、とんでもございません、こちらこそはじめまして、どうぞよろしくお願いいたします」
 心を正したお真知は落ち着いて美しかった。
 法衣をまとって尼僧となった百合花が問うた。
「それで今日はどのような?」
「はい」
 母は武家の品格に満ち、それは美しい女であった。娘ももちろん整った可愛い顔立ちをしている。

 連れて来られた娘の名は、お文(ふみ)。お燕より一つ下の十六であるという。そろそろ婿をと考えだしたとき、じつは屋敷に出入りの植木屋の若衆と好き合っていた。身分が違う。どうしたものかということだった。
 もちろん二人は清い仲でおかしなことにはなっていない。当然のように父は怒り、しかし母は添わせてやりたいと考えている・・ということだ。
「当家は娘ばかり三人がおりまして、この子は末。上の二人はすでに嫁ぎ、残ったのがこの子なのです。主もそれは可愛いがり、名のある家に嫁がせようとしたところ、どうしても嫌だと泣くのです。許されないなら家を出るとまで申します、勘当されてもかまわないと」
 お文は恥じらい真っ赤になってうつむいてしまっている。
「おやおや、愛おしくてならないようですね」
 悟りをひらいた尼僧にやわらかな眸を向けられて、娘はこくりとうなずいた。
 初々しくて可愛いと、そばにいてお真知も思う。

 庵主が問うた。
「命をもいとわない?」
「はい、お慕いしておりまする、それはやさしいお人です」
「そうですか。それでお相手の方は何と?」
 庵主に訊かれ、母が想いを秘めたように微笑んで応じた。
「それがまたきっぷのいい若衆でして」
「江戸っ子なのですね」
 母は口許に手をやって笑いながらうなずいた。そうした若衆なら私でも惚れると言わんばかりの微笑みだった。
「身分の違いに臆することなく主の前に平伏して、浮ついた心ではない、許されないなら斬ってくれなどと申すもので・・この子もこの子で、そんなことになるのなら後を追うなどと。さしもの頑固者も、じつは揺れているのですよ。何も申しませぬが私にはわかります、先の二人のこともありますし一人ぐらい思いのままにさせてやってもいいのではと考えているようで」

 そこで庵主は、顔を上げてお真知を見た。
「お真知ならどう? もしもそなたがお文ちゃんなら?」
 母子二人がお真知を見た。お真知は身の震える思いがする。
「そのような庵主様、私などに・・」
「いいから思うままを言ってごらん」
「・・はい、では申し上げますが」
 お真知は顔色が白かった。
「いいのです、そなたの想いを聞かせておくれ」
 と母にも言われ、お真知は浅くうなずいた。
「女は好いたお方に添うことこそ幸せと申すもの。けれどお文さん」
「あ、はい?」
 鈴の転がるお文の美声。くりくりとした瞳が黒光りして胸の内の期待を物語るようだった。

 お真知は言った。
「お武家様と下々は何もかもが違います。お武家様の娘として町人を迎え入れるようなお考えではいけません。自らが後戻りできないところに立って、好いたお方のもとへと迎えていただく。身分は違えど殿方なのです、何があろうと見下ろすようでは決してうまくいきません。よくよくお考えになられ、それでもと思われるなら、お父上様を何としても説得しないとなりませんね。命を賭してお願いすればきっとわかっていただけると思いますよ」
 母子は、そう言いながらもぽろぽろと涙をこぼすお真知の姿を驚いたように見つめていた。
 そうして嫁いでいったはずの若い内儀を責め殺すことに加担した。胸が張り裂ける思いだった。

 そしてその帰り際、母は目を潤ませてお真知の手を握って帰って行った。

 厨に引っ込んだお真知はさめざめと泣いていた。己などとやかく言える女じゃない。
 そしてお真知は、百合花にあることを願い出た・・。
「髪を?」
「はい・・どうしても・・昔の私を捨てるため・・」
 百合花はうなずき、しかし言う。
「わかりますよ、心根はもちろんわかりますが・・」
 お真知の心は決まっていた。
「それであの、どうしてもお燕ちゃんに落として欲しい。恩人なのです、お燕ちゃんに救われたようなものですから」
 そのとき、お燕も源兵衛もそばにいた。
 お燕は源兵衛に取りすがって涙をぽろぽろこぼしている。
「・・仕方ありませんね。ではお燕、そうしておあげ」
「は、はい・・姉様・・可哀想・・ぅぅぅ・・」
 お燕は泣き崩れ・・それでも百合花から剃刀を受け取って、お真知の結い髪を降ろし、御仏に合掌しながら目を閉じたお真知の肩に手をやって、それから髪に刃を入れた。

 黒髪をなくしたお真知は、百合花に平伏し、それから厨へと引っ込んだ。法衣などではもちろんなくて、清楚な小袖を着込んだまま・・。
 そのときのお真知に涙はなかった。道を見据えた強さが滲む。
 お燕は百合花のそばに留まって片づけをしていた。厨に引っ込んだお真知は、源兵衛のそばで黙り込んでただ働く。
 源兵衛が言う。
「偉いぜ、お真知よ、心が震えた・・うむ震えた」
「源さん・・やっと少し・・少しだけ・・」
「うむ、わかる・・辛かろうな」
 源兵衛はお真知の肩に手を置いて、そのまま静かに抱き寄せた。
「源さん・・」
「半分背負うさ」
「え・・」
「半分背負ってやるからよ。わしだって振り向けば似たようなもの。おまえはもう独りじゃねえ、庵主様のもとで励むがいい」

 喉を搾るような慟哭は、そのとき百合花にもお燕にも届いていた。

 客が去ってかぶり物を脱いだ庵主は百合花であった。艶のある黒髪が肩を超えて伸びている。
 百合花はお燕の肩を抱きながら言った。
「髪はやがて戻るもの、私のようにね」
「はい。そうしなければ示しがつかない・・」
 お燕の目は赤いまま、いまにも泣きだしそうだった。
「そうですね、その心根はわかります。ここで働くようになり、女たちの可愛い悩み、苦しい胸の内を知るにつけ、なおのこと己を責めたくなるのでしょう。お真知はもう大丈夫。頃合いを見て女に戻してあげましょうね」
「はい・・そうなると嬉しい・・」
 百合花は、やさしいお燕を横抱きに抱き締めると、結はどうだと問うた。
 お燕はちょっと首を振る。
「もう暴れたりはしませんが、死にたいと言って・・」
「なら殺しておしまい」

 お燕は驚き、百合花の涼しい横顔を見つめた。百合花は微笑んでいる。
「おまえの手で殺しておしまい。お真知のときのように。結という女は甘えたくてならないようね」
 お燕はハッと目を見開いて、嬉しそうに笑うのだった。

新・如月夜叉(二一話)

二一話~銭の重み


 香風から戻った、嵐、江角、お涼、三人の風呂上がりを待つように夕餉の支度がされていた。お真知は江角に引けを取らず料理が上手かった。一口食べて嵐は驚く。考えてみればあたしはろくにできない。そう思うと剣に明け暮れた日々が思い出され、すでにない母や父や、如月一族の皆のことを思い出す。
「それでね」
 陽気のいいいま渡し板で塞がれている囲炉裏を囲む席で、いきなり切り出した嵐の言葉に皆は目をやった。
「約束通り、あたしら五人に千両ずつ。それは約束だから五人には一箱ずつ配るけど。けどね、残り九百両のはずが千両ずつ入っている。すでに百両もらってるから、つまりは五百両多いってことになる。そこで皆に相談なんだが、百両ずつ出してくれないか」
「私ならいいよ、なんなら百両だけでもいいぐらいさ」
 江角が言って皆が見た。
「これからの私たちのために使って欲しい。代わる者のない仲間だ、ここを出たらまた彷徨う。もう嫌だ。お紋ではないけれど、もう嫌だよ」
 
「あたしも。千両箱なんて荷が重い」
 と、お菊が言った。
「あたしもだね、怖くなる金子だよ」
 と、お涼が言った。
「・・うーん、ならあたしも」
 未練があるのはお雪らしい。しかしお雪は穏やかに笑ってお燕に目をやりながら言う。
「けどそれじゃ不平が出るね」
「不平とは?」
 と、江角がお雪を見つめた。お雪が言う。
「お燕にはないのかい? それにお真知にも? お真知には身の回りのものだっているだろう。お燕なんて懸命に働いてくれてるんだ」
「いえ・・あたしは・・」
 お燕はとんでもないと言うように目を丸くして首を振る。
「あたしはお店でもらってるから姉様たちのお役に立てて。あたしは身の回りのお世話だけなんだし・・」
 そういうお燕をお雪は見つめ、さらに言う。
「ほらね、健気だろ。だからさ姉様」
 嵐はうなずいて皆を見渡す。
「わかってるよ、ありがとね、お雪。ではお燕にも百両、お真知には・・」
 と言ってお真知に目をやったとき、お真知は言った。
「あたしなんて・・そりゃ着物はいるけれど・・。なら姉様、仏壇が買えるだけくだされば」
「仏壇? ここに置くのかい?」
 お真知はうなずいて、つぶやくように言う。
「一生手を合わせていたいから」
 嵐は皆を見渡した。皆の面色はやさしかった。
「わかったよ、ではそなたにも百両」
「百両・・そんなにはいりませんから」
「いいからもらっときなよっ、姉様方の気持ちじゃない」
 隣りで食べるお燕が、正座で座るお真知の肩をぽんと叩いた。

 嵐はちょっと困ったように小首を傾げて言う。
「さて最後に結だね。どうしたものか・・」
 お菊が言った。
「いっそ殺せとほざいてやがる。可愛げのない女だよ」
 皆は声を出さなかった。

 夕餉を済ませ、上にお燕とお真知を残したまま、五人は地下へと降りていく。 牢の中の結は、牢に入れられてから幾日も風呂など許されず、結った髪もとうに乱れてばさばさで、糞尿の臭いも漂って、それこそまさに獣の匂いに満ちていた。着乱れた浴衣姿で力なく脚を投げ出して座っているのに、目だけはぎらぎらと敵意が宿る。
 嵐は牢の前にしゃがんでそんな結を見つめ、ちょっと睨み合って言うのだった。
「ふうむ・・どうしようもない女だね」
「やかましい、殺せ・・」
「お紋は死んだよ」
「何・・」
「おそらくは好き合った男と刺し違えて一度は死んで、しかし蘇って白き般若となって化けて出た。自刃しても死ねないなんて惨いものだね」
 結はちょっと目を伏せて思いをはせるようだった。
 嵐が言う。
「けどね、そんなお紋も二人の手下もろとも侍どもに襲われたさ。口封じだよ」
 結は目を合わせようともせずに聞いている。うつむいたまま目を上げない。

 そんな結が眸を上げて言う。
「嘘じゃないな?」
 嵐はうなずく。
「おまえに嘘などついてどうする」
 そして嵐は、お雪に言って大きなタライに湯を用意させ、牢の前に置き、それからお菊とお涼の二人に言った。
「出してやりな」
 それから結に向かって言う。
「体を拭け、臭い。その間に誰か牢を掃除してやるんだね」

 牢から引きずり出されて周りを囲まれ、裸となった結は、大きなタライにしゃがみ込んで手拭いを絞っている。体つきはお真知ほど。乳こそ小さかったがくびれて張る男好きする体をしている。肌は若く、目立った傷のない綺麗な体。しかし牢暮らしで痩せ細り、肋が浮き立ってしまっている。
 女ばかりの中、地べたに片膝をつき、体を拭いて、用意された着替えの浴衣を腰巻きをせず裸に着込む。それでも髪までは洗えず、少し匂って臭かった。
 その間にお雪とお菊で牢の中を掃除する。二人が出て、結をすぐには牢に戻さず、ムシロを敷いて座らせる。
 段差のあるわずかばかりの板の間の縁に皆は座り、そんな結を見下ろした。
 蝋燭の灯火はいかにも弱い。

「世をすねてどうする。少しは考えたらどうだ」
 江角が言い、続けてお雪が言う。
「いまのままでは道はない。尼となる資格すらない。お天道様を見ることもできないだろう。まあ、おまえ次第さ。おしろい般若は失せた。我らは公儀の者ではないからね、死罪のどうのと言える身でもないんだよ。死にたいなら匕首をやろうじゃないか。牢の中で惨めに死んでいくがいい」
 答えようともしない結。
 もういい入れと嵐が言い、立って背を向けた結に向かってさらに言う。
「おまえには耳もある、頬も綺麗だ。お紋の苦しみを考えろ。好いた男と刺し違え、それでも死ねず・・天狗とやらの法力だろうが、生き返ったところで修羅の道ぞ」
 それから嵐は皆に向かって言った。
「こやつはだめだ、自ら魔道を選んでいる。しばらくは牢暮らし。それでだめならそのときは・・いたしかたないだろうね」
 それでも結に声はなかった。嵐の言葉を聞きながら牢の口をくぐって入る。
「おまえの役目は探りだね?」
 と、江角が問うた。
「・・そうさ」
 吐き捨てるように言う、結。
「酒膳の親爺も仲間だな? もはや隠す意味もなかろうて」
 結は牢の中に座り直してこちらを向くと、わずかだが弱くなった眼の色で江角を見上げた。
「仲間と言うならそうだろうけど般若じゃない。甲賀の草さ」
「豊臣の手か?」

 結はうなずき、しかしもはや違うと言った。
「・・何もわかっちゃいないんだね。豊臣徳川と二分するが、西方では身を偽る者はごろごろいる。徳川とて豊臣の家来の一人だよ。豊臣に心を残しながら徳川に仕える者は多いし、そのじつどちらでもない者もいる」
「尾張にも入り込んでいるんだろうね?」
「ふんっ・・それだけじゃないさ、小早川の残党もいれば・・あたしらだって生きている。獅子身中に虫だらけ・・けどあたしにはどうでもいいことさ。あたしら一族などおしまいだ。銭のためなら何でもやる」
 そして結は、如月夜叉の頭である嵐を見つめた。
「お察しの通りだよ、尾張に巣食う虫が糸を引く。尾張周辺で関ヶ原の前に寝返った者を探れ。そこまで言えばわかるだろうが、尾張だけのことでもないのでね・・」
「お紋に拾われたんだな?」
 嵐に言われて結はうなずく。
「じかにじゃない、手下どもにさ。商家を探って女をさらう。役目はそこまで・・」
 お真知と同じような下っ端。お真知と違うところは乱世への恨みが強いということで。

 そのとき、万座には行かず屋敷を守ったお菊が言った。
「あたしらで話した」
 嵐と江角がお菊を見て、お涼は、そのときうなずく素振りをしたお雪へと目をやった。
 お菊が言う。
「こやつは喋った。万座と知れたのもこやつが喋ったからだ」
 お雪が言った。
「生きる道もあるんじゃないかってね」
 牢の中から結が目を見開いて見つめている。
 嵐は、そんな二人にちょっとうなずき、ふたたび結を見据えて言う。
「我ら如月夜叉は、女の敵は女が葬る・・そうしたものだ。生きる道が残る者を殺したりはしない。そこをよく考えろ」

 声を失った結を残して上へと上がった五人と入れ替わるように、お燕が握り飯と味噌汁を持って降りて行く。
 嵐は、結ががつがつ獣のように喰っているとは聞いていた。それが望み。生きようとするから喰う。
 そのときお燕は、結が喰う姿を牢の外にしゃがみ込んで見守っていた。
 お燕が言った。
「お紋て人、いっぺん死んで生き返ったそうじゃないか」
 結は握り飯に喰らいつきながら目を上げた。
「女房みたいなもんだとよ」
「女房・・?」
「天狗様に救われたのさ。惨い責めで化け物にされた女なんだよ。恨みの深さがどれほどのものか。あたしだって、そんな頭に救われた」
「どういうこと?」
「銭だよ。それしかないだろ。主家の滅んだ忍びなど地獄。散り散りとなるが常だが、それは仲間から逃げようとするからだ」
「仲間から逃げる? どうして?」
「抜けたいのさ。忍びを抜けて、まっとうに暮らしたい。けどね、そうなると我が身一つ。下働きでは喰えないし銭が欲しくばと体を狙われる。女郎に身をやつす者もいる。まっとうに生きようとすればするほど苦しくなる。銭の重みを身をもって知るんだよ」

 お燕は結を見つめて聞いていて、己の身の上を話して聞かせた。
「けど、あたしなんてどうってことない。お雪の姉様は女陰働きだったって・・敵の枕で破瓜の痛みを知ったと言っていた」
 結の面色が微妙に変わった。お燕の声を聞いている。
「抱いてくれた男が毒にもがいて死んでいく。そうやって役目を果たしても、夜な夜なうなされて苦しんだって・・それであたしね」
「うむ?」
「くノ一に生まれなくて幸せだったんだなって思ったんだ・・いろいろあったけどそこらの町娘なんだもん。姉様方が可哀想・・それは結の姉様も・・」
「・・もういい、つまらん話はするな」
 結は、喰い終わった皿と椀を盆に載せ、突っ返すように差し出した。

新・如月夜叉(二十話)

二十話~白き般若


 それからさらに二日を待たなければならなかった。

 山深い湯治場へと通じる道筋に女の影が二つ。時刻は昼の九つ(十一時過ぎ)。女たちは二人ともにまだ若く、三十代のはじめかと思われた。それぞれに髪を結い、辛子色に格子柄、若草色に縞柄と、明るい色香の漂う着物。太花緒の旅草履に脚絆を巻き、編笠と白木の杖を持つ旅姿。ところどころ傾斜のきつい坂道をものともせずに歩き通すいい脚を持っている。
 背丈もこの頃の女としては高く、引き締まった体つきとスキのない目配りからも明らかにくノ一。二人は湯治場へと脚を踏み入れると、迷わずお紋のいた宿へと向かうのだった。

「もしや、さっきの棺桶・・?」
「おそらくね。向かうよ」

 お紋の死を知ると二人はすぐさま引き返し、足早に山を降りて行く。
 お紋と、平九郎と言う鬼のような男の屍は、役人の調べを終えて棺桶に入れられて、一足違いで麓の村との間にある山寺へと運ばれた後だった。ここまで登って来る間にすれ違った棺桶二つを載せた荷車。女たちはお紋を追うつもりなのかもしれなかった。

 小さな山寺には老いた住職が一人。ここら一帯で死人が出ると、運んだ人々自らが穴を掘って埋めていく。山の埋葬は火葬ではない。火は山火事の元として忌み嫌う。棺桶は白木でこしらえた丸い樽。和尚に供養をしてもらい、なだらかな斜面を拓いた墓場に葬って帰るのだった。
 雲のない晴天。すがすがしいまでに透き通った山の空気が陽光に輝く緑の斜面を浮き立たせていた。
 ところどころに目印の樹を残して拓かれた墓地には、夏になって下草が薄くはびこっていた。棺桶を埋めて丸太で作った墓標を立てる、あるいは墓石代わりの石を置く、それだけの墓である。
 お紋にも平九郎にも宿帳に書ける身元などはない。無縁仏は斜面の奥側の寺から離れたところに葬られる。湯治場から荷車で若い男たち三人によって運ばれた。

「うわあぁーっ! 天狗だぁーっ! ぎゃぁぁーっ!」

 かすかな悲鳴が風に乗って寺へと流れる。
 和尚は気づいて寺を出たが、年寄りでもあり坂道では歩みが遅い。仙人のような曲がり杖をつき、やっとの思いで斜面を登ると、棺桶を運んで来た三人が気を失って倒れていた。
 三人のうちの二人は額が割れて血を流す。もう一人は虫の息。三人ともに当て身。棒で殴られたようだったが死んではいない。
 和尚は息を切らせて歩み寄り、倒れている三人と、蓋が開いて横倒しになった棺桶の片方を見渡して呆然とした。男の棺桶は蓋をされて縄掛けされたままである。倒れた棺桶はからっぽ。

 ・・お紋が消えた。

「おい、どうしたんじゃ? 何があった?」
 虫の息の若者は和尚に抱き起こされて、その腕の中で呻くように言う。
「て・・天狗様が・・女が・・女が生き返った・・」
「何ぃ天狗じゃと? 屍が生き返ったと申すか?」
「か、かっ・・烏天狗・・ぅぅぅ・・」
 若い男は気を失った。和尚は倒れた男たちの首筋に手をやって、死んではいないことに安堵すると、墓地の周囲の鬱蒼と茂る原生林を見渡した。

 湯治場からすぐさま取って返した旅姿の女が二人。岩場を抜けて森が豊かになるあたりで、二人の行く手に三人の如月夜叉が立ちはだかる。
 お涼が言った。
「待ちな、おしろい般若のお二人さんよ」
 敵の二人はものも言わず顔を見合わせると、即座にこちらの闘気を受け取って仕込み杖から白刃を抜き去った。編笠を払い身を沈めて身構える。二人ともに目つきが鋭く、かなりな腕と見てとれた。
 嵐とお涼が抜刀し、江角は八角棒。互いに身を沈めて対峙する。

 しかしまさにそんなとき、道筋の坂下から家紋のない着物を着込んだ十余人の侍たちが一斉に抜刀しながら駆け寄って来る。
 侍たちは嵐ら三人と敵二人との間に立ちはだかり、数名が嵐ら三人を取り囲み、残る数名が敵二人へ斬りかかる。嵐ら三人を囲んだ侍たちは足止めさせるだけ。刃を向けるも斬りかかろうとはしなかった。
 男の一人が言った。歳の頃なら三十代の半ばだろう。
「そなたらは退け、関わるなら斬る!」
 嵐ら三人は囲まれて動けない。
 一方の女二人は、侍たちと刃を交えながら山上へと遠ざかって行き、嵐らとの間が開いていく。

 夜叉三人が背中合わせに三方へ向かいながら、嵐が言った。
「口封じってわけだね、般若は用済みってことかい?」
 侍たちの仕切りなのだろう、三十代半ばの男が見下ろすように言う。その男は腕がたつ。静かだが並の気迫ではない。
「詮索は無用ぞ、手を出すな」
 男たちにじりじり間合いを詰められて嵐ら三人は押し返される。討って出て囲みを破れないわけではなかったが、相手は皆弱くはなかった。
 彪牙の言うようになったと嵐は思う。

 そうする間にも二人の般若は追いつめられる。二人ともかなりな腕のくノ一だったが相手は侍、しかも多勢。忍び装束ならともかくも着物姿では動けない。刃と刃が交錯し、女二人は背中合わせに身構えつつも殺られるのは目に見えていた。

「あれは・・」
 取り囲む男たちに向いていた嵐の視線が、男たちを飛び越えて、眩い陽光に滲むような背後の緑から獣のごとく躍り出た白い影に向けられた。

 鳥か! それとも魔物か!

 その刹那、男たちの悲鳴が上がり、嵐ら三人を囲んでいた男たちも一斉にそちらを振り向いた。

 道筋の左・・山側の大木の上から飛び降りた白い影・・白の忍び装束・・白塗りの般若面・・おしろい般若。金色に輝く不思議な刀がギラギラ光る。青竜刀を細身にしたような、武士の刀でも忍びの刀でもないものだ。
 動きが速い! 尋常な人の動きとは思えない!
 人の背丈を軽々飛び超え、猿のように木から木へと飛び移る。
 敵の女二人を囲んでいた男たち数名を、まさしく鳥のように宙を飛び、転がり駆けまわり、目にも留まらぬ速さで首をはねて倒して行く。神がかりと言えるほどの剣の技・・。
 
 嵐も江角もお涼も、それを囲む武士たちも呆然として動けなかった。
 あっという間に数名を斬り殺した白装束の影・・ケタ違いに強い!
 白塗りの般若の目の穴からギラリと光る女色の眼光が侍たちに向けられた。
「ふんっ、そういうことかい、口封じってわけだね。この二人はもらって行くよ、可愛い手下なのさ」
「おのれ! おい者ども、斬れぇーっ!」
「やかましいね! 帰って伝えな! この般若、いずれ首はもらいに行くと!」
 嵐らを離れた男たち数名が一斉に駆け寄るが、敵はくノ一。女三人は鬱蒼と茂る森の中へと消えて行く。

 この場に彪牙はいると嵐は思った。彪牙の敵は天狗のみ。天狗が現れるのを待っている・・。

 嵐が言った。
「退くよ」
「しかし」 と、お涼は言ったが、嵐は刀を収めながら言う。
「追っても無駄さ、もはや人にあらず・・化け物だからね」
 八角棒を降ろしながら江角が言った。
「お紋が生き返ったとでも言うのか・・」
 嵐はさらに「行くよ」と目配せすると、苦笑して言うのだった。
「恐ろしい女・・いずれ相まみえることになる・・」

 百合花が言った。
「そうですか、侍たちがそちらにも・・瀬田様も襲われましてね、そのとき敵が尾張訛りの言葉を発したと」
 嵐が眉を上げて言った。
「尾張・・まさか・・」
 百合花はうなずき、そのとき眉を上げた江角の面色へと視線を流した。
「尾張様とは限りませんよ。三河あたりから尾張、紀伊、京から大阪あたりには不穏の輩が蠢いている。瀬田様を襲ったのは明らかに同じ家中。ご公儀に不満をつのらせた者どもが先走り、私たち夜叉が動き出したと知って、もはや捨て置けぬというわけです。 『お家を潰す気か』と侍の一人が叱責したということですから間違いはないでしょう」
 江角が言った。
「なるほど、ゆえに口封じというわけですか。おしろい般若もまた使い捨て・・」
 百合花はうなずき、悲しそうな面色をした。
「それもまた許せません。お紋とか申す者の身の上も聞きました。反吐の出る裏切り。使うだけ使っておいて、いらなくなると葬り去る。くノ一を何だと思っているのか・・」
 百合花は、まだ見ぬお紋や手下二人の哀れな姿を思いやって目を伏せた。

 万座の湯を離れた数日後、江戸へと戻った三人はその脚で香風へ向かい、引き返して屋敷に向かって歩いていた。せっかく湯治場に出かけておきながら湯を楽しむどころでない。三人の心は傷んでいた。
 日和はよかった。夕刻まで間のある刻限で、薄雲のある今日、やわらかな陽射しが女たちをいたわるように滲んでいる。香風のある丘の上から見渡す海がきらきらと眩いばかりに煌めいた。お燕が坂の上に立って歩み去る三人をいつまでも見送っている。
 しかし三人には役目を終えても笑顔はない。肌を許した男と刺し違え、微笑むように死んでいったお紋・・あのとき確かに死んでいた。
 なのに死ねない。彪牙の言葉を信じていればよかったと嵐は思う。

「海はぁ~眩くぅ~その様はぁ~ぁ、ちょいと~好いたおなごの涙色~ぉぉ~♪おう! そなたら戻ったか」
 瀬田だった。嵐が応じた。
「はい、ご無事で何より」
「もうすっかりな。かすり傷だよ。拙者としたことが不覚をとった。斬られたことより女たちに褌姿を見られたことだ・・ああ、穴があるなら舐めてやりたい」
 相変わらずというのか、今日は桜裏地の茶色の着流し。赤い鞘の刀を腰に差している。お役者そのままのいでたちだ。
 お涼がほくそ笑んで言う。
「これから百合花様の?」
「うんうん、もうだめだ・・愛おしい・・胸が痛む・・乳が揉みたい・・むっふっふ」
「ちぇっ・・よくも言うよ・・」
 あまりの馬鹿馬鹿しさに江角が思わず呟いてそっぽを向いた。
 瀬田もまた眉を上げておどけて笑い、真顔に戻って言う。
「戻ってみよ、あの屋敷にはぬくもりがあふれておる」
 嵐が問うた。
「それは?」
「いいからいいから・・さて、では拙者はこれにて・・」
 瀬田は片目をぱちり。背を向けて歩み去る。
「♪~尼の肌身に身を焼かれぇぇ~錦絵もどきの~宵がくるぅぅ~あ、ちょいと・・はっはっは!」
「・・まったく、お気楽な・・」
 酒に酔うわけでもないのに鼻歌まじりにふらふらと歩いて行く瀬田の姿に、三人は、なぜかたまらないものを感じていた。可愛い男だ。
 江角が言った。
「さ、行くよっ、あんなのにかまってると子ができる」
「あはははっ、こりゃ可笑しい」
 江角らしからぬことを言う。二人は顔を見合わせて、久しぶりに笑った気がしていた。
 そんな江角は・・彪牙を想っているのだろうと、嵐は横顔をちらりと見た。

 そうやって、心が晴れたのか晴れないのかわからないような心持ちでそぞろ歩き、戻ってみると、厨にお雪、お涼、そしてお真知の三人が立っていて、明るく笑い合いながら夕餉の支度にかかっていた。
 中へ入った嵐は、真っ先にお真知の変わりように気づいたが、草履を脱ぎながら板の間への上がり框に座った三人の前に、お菊がお真知を連れてやってきた。何を言うかなどわかりきっている。
「ちょっと聞いてほしいんだ。あたしらで話したんだが・・お燕も入れて皆で話した。このお真知を六人目の如月夜叉にと思ってさ」
 お菊が眩しい。それは、こちらを振り向いて笑うお雪もそうだ。しばらく見ない間に二人は変わったと、三人それぞれに感じていた。
 お真知は黒髪も結い上げて、すっかり町女の姿。両手を前掛けの前に組んで目を伏せて、いまにも泣きそうな顔をしている。
 嵐は、ちょっと睨んだが、そっと手を取ってお真知を引き寄せ、ふわりと抱いた。
「皆でそう決めたなら、とやかく言うことじゃない。よかったね」
「はい、心底悔い改めて励みますので」
「きっとだよ。もういい、忘れるんだね」
 そして嵐は皆の目のある中、さらに抱き締めて目を見つめ合い、唇を重ねていくのだった。

 すぐ後ろに立つお菊・・あの白狐が目頭を押さえていること・・江角は気づき、目でうなずく素振りをした。
 泣いてしまったお真知が嵐から離れたとき、目を赤くしたお菊が嵐に言った。
「ついさっき両国の両替商だという者どもが訪ねて来まして」
「両替商が?」
「とは言うのですが、どこぞのお武家の家中の者ではと・・」
 と言って、二階へ向かって視線をなげる素振りをして、さらに言った。
「見たこともないから怖くて上に隠してあります」
「怖い? わかった。お真知」
「あ、はい?」
「悪いけど風呂にしてな、脚が棒だよ」
「はいっ! いますぐ!」
 このときお真知は、お雪の着物を着せられていた。濃い茶色に青の格子柄。それに茶色の前掛け。黒髪は誰かに結ってもらって清々しい。

 二階へ上がり、嵐と江角は、お涼と分かれて部屋へと入る。襖を開けると部屋の隅に千両箱が五つ、積み上げられてあったのだった。
 江角が笑う。
「ふふふ、なるほどね、これは怖いわ」
「あたしだって怖いさ、見たこともない・・」
 そして嵐が蓋を開けると、前金で百両ずつが配られてあったから、一箱に残り九百両のはずが・・千両ずつ入っている。
「ほんと夢みたいだよ・・人を斬ったわけでもなく・・」
 江角が言って、嵐がそっと蓋を閉ざした。

新・如月夜叉(十九話)

十九話~裂けた錦絵


 その日の夕刻、青山の連なる万座の景色は、稜線が影をのばし、斜陽に染まる赤い景観に山型の夜を配っていた。
 嵐、江角、お涼の三人は、麓から幾筋か続く湯治場への山道が絞り込まれて一つになる峠あたりを張り込んでいたのだが、その日は敵らしき者の姿はなかった。雲行きの怪しい湯治場の夜は漆黒の闇。鬱蒼とした森また森。道筋に動く者の気配は皆無であった。獣の気配すらを感じない。

 ちょうどその頃、江戸。
 昨夜からの雨があがり、心地よく冷えた初夏の夜風が流れていた。
 芝高輪の忍び屋敷まであとわずかという道筋に、錦絵侍の姿があった。左肩の欠けた蒼い月を見上げつつ、ふらりふらりと歩いている。
「月は~満ち欠けぇ~愛しやぁ~憎しやぁ~恋心~♪~っと」
 しかし鼻歌はぴたりと止まり、瀬田は茶色鞘の居合刀に手をかけて身を沈めた。
 道すがらの暗がりから侍どもが湧いて出た。十人はいただろうか。皆が浪人の姿を偽ってはいるが、そのきりりとした身のこなし、月代を剃り上げた髪型からも武家の配下の者と思われた。
「瀬田昌利だな」
「いかにも。このような美しき宵に何者か」
「問答無用、死ねい!」
 侍どもが一斉に抜刀し、輪となって取り囲む。瀬田はさらに身を沈めて刀身を横に少し倒し、寄らば斬るぞと身構える。
「ウリャァーッ!」
 キンキーン!
 刃と刃が交錯して火花が飛んだ。前から後ろから次々に白刃が舞い寄せては瀬田の剣に弾かれて、瀬田は囲みを破って輪を出るが、一瞬後にはふたたび囲まれて動けない。多勢に無勢、いかに居合の達人でもいずれ勝負はつくだろうと思われた。

 前からの突きがかり。横からの突きがかり。続けざまに繰り出される切っ先を払ったときに、後ろからの袈裟斬りに背中を浅くえぐられた。
「くっ!」
 一瞬膝が折れたものの、瀬田は斜め前へともんどりうって転がって、片膝となりながらも気迫を切らさず身構える。
「ふっふっふ、もはや勝ち目はない、覚悟せい!」
 群れを率いる大将格の侍が右斜に刃を振り上げ、踏み込みざまに斬り下ろす。しかし瀬田は一の太刀を受けきって横飛に地べたに転がり、起き上がりざまに一人の侍の剣と交錯、刃を跳ね上げ、返す刀で胴を浅く切り裂いた。
 一人が崩れる。しかしそのとき周りの二人が剣を振り上げ、ほぼ同時に踏み込みかけた。
 危ない! さしもの居合も敵の数が多すぎる。

 危機一髪! そのときだった。

「待たんかぁ! こん、たぁけもんどもがぁ、退けぃ!」
 やはり浪人姿に扮してはいるが、こちらもれっきとしたお抱え侍。数はさらに多く、十五人はいただろう。侍たちは一斉に抜刀して駆け寄って、瀬田を囲む十人の輪を蹴散らした。
 そのとき背走する侍の一人が言った。
「なぜだ! なぜ止める!」
 立ちはだかった群れの一人がそれに応じた。
「お指図よ! おみゃぁら家をつぶす気けぃ! 退けぃ!」
 先に襲った十人が顔を見合わせ、刀を収めて駆け去った。
 瀬田の味方ではない。同じ家中の者どもであり血気盛んな一派を諌めようとしている。瀬田と間に立ちはだかった十五人が、いっとき瀬田を取り囲み、しかし刀を収めて、中の一人が敵意に満ちた眼の色で鼻で笑った。
「ふふん、命拾いだったな・・者ども退けぃ!」
 影の波のように侍どもが暗がりへと消えていく。
 瀬田は刀を収め、けれども背を斬られて、女人のごとく白い錦絵顔が苦痛に歪む。

 女たちの忍び屋敷。戸を荒く叩く音。
 お菊それにお真知が刀を手にして立ち上がる。お燕は背後で怯えていた。このときお雪は地下に降りて結を見ていた。
「お燕いるか、俺だ・・」
「・・瀬田様?」
 板戸を挟んだやりとりだった。
「斬られた・・開けてくれ」
「ええーっ! ああ嫌ぁぁーっ!」
 お菊お真知を掻き分けるようにお燕が引き戸を開け、ふらつく瀬田に肩を貸し、瀬田が転がり込んで来る。
 お菊が言った。
「お真知、湯だ! それと酒だよ!」
「はい!」
 今宵の瀬田は黒地に紫富士の浮き立つ着流し姿。その背が斜めに切り裂かれ、血を吸って生地が濡れたようになっている。しかし一見して傷は浅い。

 帯を解いて白い褌だけの裸にし、板の間にうつ伏せに寝かせ、お真知に呼ばれたお雪が地下から飛んできて傷を診る。
「浅いね、よかった。けど動かしちゃだめだよ。お燕、サラシで押さえてな。ありあわせで薬を作る。その間しっかり押さえてるんだ」
「はいっ!」
 お菊がお真知に言った。
「あたしとおいで、庵主様を呼びに行く。仕込みを持て」
「はいっ!」
 お雪は毒使いの名手であり、つまり薬の名手でもある。
 厨に飛んでいったお雪は、深いすり鉢に乾かした薬草を並べ、すりこぎですりつぶして調合する。その間お燕は泣きべそ顔で背中の傷を押さえていた。
 お菊とお真知は走る。遠くはない距離だったが、こういうときは遠く感じる。二人ともに忍び。疾風となって闇を駆ける。

 すり潰した薬草を強い酒で練った茶色黒いものを、お雪は指にすくって傷に塗った。
「む・・むむむ」
「ちょいと沁みるけど血が止まる。紙を貼っての糊代わり。こうして傷を塞ぐんだよ」
「ああ、すまぬ。ぁ痛っっ! うむむ!」
 取り替えた白いサラシをお燕がひろげて傷にかぶせ、ふたたび傷を押さえつける。
 お雪が瀬田の白い肩に手をやって言った。
「しばらくの辛抱だ、血がとまればサラシを巻く。かすり傷だよ」
「ああ・・少し楽になった」
「相手は忍びかい?」
「侍だ、囲まれた」
「何者?」
「さあな、浪人姿だが・・それよりお燕よ」
「はい?」
「恥ずかしいぜ、褌姿を見られちまった」
「あ・・嫌ぁぁん、もう・・ぅぅぅ、よかったー!」
 瀬田は泣き出したお燕の膝に手をやって、鼻歌を。
「泣くなお燕よ~♪~小娘お燕~俺の尻でも眺めてよ~、胸がどきどき揺れていらぁ~・・っと。はっはっは」
「ふざけてる場合なの・・あぁんもうっ、憎たらしい」
 お燕は涙しながら苦笑して、瀬田の白い尻をパシンと叩く。
 そばでお雪は額を掻いて笑っていた。

 などとふざけていると、百合花と源兵衛、お菊とお真知が転がり込んだ。百合花は灰色柄の小袖の姿。落ち着いた色香が漂う。
「ああ瀬田様、大丈夫?」
「おおう、麗しの観音様よ、愛しいなぁ・・」
 斬られたと聞いて顔色を青くしていた百合花は、いつもの瀬田の声に、すぐそばに崩れ落ちるように座り込んだ。
「はぁぁ、よかった・・」
「傷は浅いが、でもよ、しばらくは抱いてやれんなぁ。尻ぐらいは撫でてやれるが・・くくく」
「い、嫌だよ、この人は・・もうっ、こうしてやるっ!」
「あ痛てて! すまんすまん」
 真っ白な男尻をつねりあげる百合花。皆の中にいて、尼僧だとばかり思っていたお真知は目を丸くする。お真知はまだ恋仲の二人のことを知らされてはいなかった。
 このとき、上からのしかかって傷を押さえるお燕と源兵衛が目を合わせ、源兵衛は眉を上げてちょっと笑った。
 百合花がお燕の手を取った。
「お燕、ありがとね、私が代わるからもういいよ」
「はい、よかった・・どうなるかと思ってしまって」
「うんうん、よかったね・・うんうん」
 百合花の瞳が潤んでいた。

 お菊が言った。
「いいもんだろ女って」
「ふふふ・・はい」
「庵主様のいい人なのさ」
「えっ!」
「しっ・・声が大きい・・」
 厨に立っていたお菊とお真知は、薬を作ったすり鉢を持ってやってきたお雪と目を合わせ、お雪は舌を出して笑って言った。
「羨ましいよ、べたべたと・・けっ」
「ほんと。ね、お真知」
「ええ、ちょっと信じられない気がします、尼さんだとばかり・・」
「女は可愛いものなのさ。おまえのしたことをよく考えないとね」
「はい」
 うなだれるお真知を、お菊がそっと抱いてやる。
 いつの間にか源兵衛が消えていた。香風へ戻って行ったのだった。

 お真知は、誰に言われたわけでもないのに、庵主と、横たわる瀬田の前へと歩み出た。
「庵主様」
「おや? そなたは誰でしたっけ?」
「え・・」
 そして白い男背の傷を押さえながら瀬田に言う。
「そうそう、気が動転して忘れていました。あのね瀬田様」
「うむ?」
「この子、如月夜叉の六人目、お真知って言うのよ」
「ほほう、お真知・・そうかそうか、いい女が増えてくなぁ。よろしくな、お真知よ」
「ぁ・・はい・・こちらこそ・・」
 お真知はもう言葉をなくし、ただ震えて泣いていた。
 嬉しいのはお燕だった。厨に来て、いまにも笑顔が弾けそうだ。
 お雪がお菊に向かって小声で言う。
「如月菩薩」
「なんだって?」
「百合花様さ。そっちのほうがいいんじゃない?」

 しばらくして血が止まり、瀬田は二階へ移されて、嵐と江角のいない八畳へと移された。布団を二組並べて敷いて、百合花がずっと付き添っている。
「そうですか尾張の言葉を・・」
「そうに違いねえぜ。おそらくは江戸詰の者たちが勝手な真似をしたんだろう。国元では泡を喰って、人をよこして諌めにかかる・・そんなふうにも思えたが」
「それにしても尾張とは・・」
「いいや、まだそうとは決められねえな。上方はきなくさい。そのじつ大阪つながりのご家来衆ってこともある」
 声が弱くなっていき、瀬田は眠りに落ちていく。
 尾張と言えば徳川御三家。尾張あたりからも商人たちは江戸へと流れて来ていたし、関が原を境に豊臣から寝返った家来衆も多くいて、そのじつ豊臣に心を残している・・敵は皆目霧の中・・。

 百合花はそっと部屋を出ると、まだ下にいる皆のところへ降りていった。
「瀬田様は?」 と、お燕が訊いた。
「おやすみになりました。痛みもなくなったようですね。・・お雪」
「はい?」
「みんなもよ、ありがとう」
 百合花は女たちを見渡してうなずくと、その背後に隠れるようにしているお真知を見た。
「ですけどお真知、すべてはこれからの所業です、許されたと思ってはいけませんよ。心の中で手を合わせ、せっかくの忍びの技を正しいことに向けていく。よろしいですね」
 お真知は情が身に沁みて涙があふれて止まらなかった。
 そんなお真知の背を、お燕が寄り添って撫でている。

 そしてお菊が言うのだった。
「下に一人、結というくノ一が」
「そのようですね」
「どうしようもない性悪で、怒鳴ったり暴れたり。それでお雪が薬をやって落ち着かせてはいるんですが」
「嵐が戻るまで待ちなさい。ここは公儀の場ではありません、皆でよく話して決めればよろしい。改心するなら生かす道はある。でなければ・・まあ嵐に委ねましょう」
「はい、ではそのように」
「ただね、私は尼僧だった女です、そこを少し考えてくれるといいのですが」
「わかりました、そのように伝えます」
 できるなら殺さずにということなのだが、このときお菊は、それを伝えればいいと思っていた。
 ところが百合花は、お菊に歩み寄ると白い指先でお菊の額をちょっとつつく。
「それは違いますよ」
 お菊は伏し目がちに目を見開いた。
「・・と申されますと?」
「あの者たちはいまはいない。そなたらでまず話し、どうするかを心に決めて、それから嵐に告げるようにしなければなりません。でなければ留守を任せられなくなりますからね。頭の言いなりの忍びではいけません。一人ひとりが正義をもって動かないと」
「はい、心得違いをしておりました」
「うんうん、みんないい子・・私は嬉しい」
 百合花はお菊の頬を撫でながら、一人ずつ皆の顔を見渡して微笑んで、それから腰を上げるのだった。

「愛しいお方のおそばにおります・・ではね、おやすみなさい」

 静かに流れて行くような艶花を見送って、お雪がお菊の肩に手をやった。
「・・如月菩薩・・けど怖い・・お見通しだ・・」
 お菊が眉を上げてちょっと笑った。

新・如月夜叉(十八話)

十八話~般若の死


 万座の湯。忍びの脚でも三日。
 幾重にも青山の折り重なった壮大な景観がひろがった。下界では初夏の陽気でも、さすがに山は冷えている。その山の中腹まで如月夜叉は迫っていた。

 外輪の山の緑にくるまれような岩風呂だった。源泉がそこらじゅうで湧き立って雲の中にいるがごとく湯気が舞う。白い雲海越しに眺めるような山々だった。

 女が一人で湯に浸かる。大きな岩風呂の端まで行って山の風で乱れる湯気の狭間から雄大な景色を見ている。黒い髪をまとめて上げて肩まで沈む。この季節、湯は山風に冷まされて長湯するにはちょうどいい温もりだった。 
 立てば六尺はありそうな白い体が湯気に中にうかがえた。
 湯気がぼかす女の背後に、刀を置くチャッという鍔の音。殺気はなかった。
 しばらくして湯の乱れる気配がした。
「邪魔するぞ」
 低く野太い声だった。
 山海に向かって拓かれたこの頃の岩風呂に男女の別などありはしない。広い岩風呂に女と男が二人となった。

「大きな女だ」
「・・」
「そなた責められたようだな・・くノ一か・・」
 男は岩の上に横たえられた白木の仕込み杖に目をやった。反りのない忍び刀だと見てとれる。
 長い黒髪を上げていることで、耳のない左向きの顔が露わとなった。左の頬には、目の横から顎までの火傷があった。肌が引き攣れる惨い傷だ。
「だったらどうなのさ」
「いいや・・わしとて似たようなもの・・」
「似たようなもの?」
 女が振り向くと、男は鬼のように大きな体。体が大きすぎて湯が浅くなり、仁王のような胸板にも、隆々とした肩にも、頬にも額にも、古い刀傷が刻まれる。浅い傷ではなかった。死線をさまよった者であると一目でわかる。
 男は隻眼。左目に眼帯をし、顔は四角く黒く、巌のような風体だ。年の頃なら四十半ば。風魔忍びの頭であった小太郎も、七尺(二メートル)近い大男であったというが、こんな感じかも知れないと女は思った。

「侍だね」
「うむ、敵ではない」
「ふふん・・どうだか・・男に味方などいなかった」
「そうか?」
「ああ、いなかったね」
「耳を削がれたのか」
「乳首もないよ。女陰(ほと)も焼かれた。尻の穴まで。・・化け物にされちまって捨てられた」
「捨てられた?」
「女房だった」
「・・そういうことなら生きてりゃいいってもんでもねえな」
「いいや生きてりゃいいのさ。あたしはくノ一、あんたは侍、死んじまったらおしまいだよ」
「酒も飲めねえしな」
「ふふふ、そうさね・・意趣返しもできなくなる」
「なるほど。男が憎いか」
「憎い。ちゃらちゃらしている女もだけど」
「なら、わしを殺れ」
「え・・」
「もういい・・もういいんだ・・疲れた」
「・・妙な奴だね」

 女と男はどちらに流れるでもなく、湯気越しに見つめ合っていた。
「実の弟を斬った。親父殿も、その親父殿の弟も。わしには妹もいたんだが、その亭主も敵だった。首を飛ばしてやったさ。因果な巡り合わせで敵味方になってしまった」
「関ヶ原かい?」
「小田原城さ。わしは北条に恩義があった」
「家が寝返ったってわけかい?」
「そうだ・・」
 豊臣の大軍勢が相模の北条を攻めたのは、天正十八年(1590年)のことだった。いまから十数年も前になる。
 女は、一度立って体を見せつけ、男のそばへと歩み寄ってふたたび沈んだ。
乳房は薄いが女らしい裸身・・その裸身のそこらじゅうに惨たらしい傷がある。
「いい体だぜ」
「あんたこそ。惨い体だ、あたしと一緒」

 女は男の顔をまじまじ見つめた。髪の毛などばさばさで獣のよう。どこまでが髪でどこまでが髭なのかわからない。黒い雑草の中になんとなく顔がある、そんな感じ。鼻が大きく唇が厚く、目だけがギラついて、まさに鬼面。
「そなた歳は?」
「七になるよ、三十七」
「わしは四十六よ・・ふっふっふ、もういい・・もういいんだ」
 鬼のような男が女の肩に手を回した。六尺近い大女が小さく見えた。
「あたしが欲しいかい・・ひどい体だが女陰はあるよ」
「はっはっはっ、胸のすく言いようだぜ。ならわしも、突っ込む棒は勃つからな」
「ふんっ・・泊まりはどこさ」
「すぐそこだ。ついて来い」
「うん」
 この頃の万座は、湯治場の他に何もない山の中。湯の小屋といって、湯治客を泊める宿が数箇所あるだけ。

 男が言った。
「おまえ一人で来たか?」
「いいや、連れが二人いるが山を降りてる」
「降りてるとは?」
「麓にいるよ。ちょいと訳ありでね」
 部屋に入ると男はすべてを脱ぎ去って・・女は、そんな男の姿を楽しむように見つめながらすべてを脱ぎ去り、獣と獣はまじわった。
 女の悦びを記憶をたどって呼び覚ますように女は果てて、男もまた獣のように果てていく。
 岩のような男の胸で女が言った。
「これよりないね・・いまこのとき・・これよりない。もう一度抱かれようとは夢にも思わなかった」
「まったくだ、この先きっとこれ以上のことはない」

「名は?」
「紋だよ」
「平九郎だ」
「平九郎・・」
「そうだ。おかげで苦労ばかりしてきたさ」
「あははは、なるほどね、名が悪いってか?」
「まったくだ。・・いい女だぜ、お紋」
「あんたこそいい男・・けど」
「うむ?」
「あんたは死ねる。あたしは・・死んだっていいけどね・・ふふん」
 その意味が解せなくて、平九郎はお紋の横顔を見つめていた。

 嵐と江角、そしてお涼の三人が湯治場に着いたのは、その夜のことだった。
 道筋に近い宿の一軒をあたり、そうそう混まない宿だから部屋はすぐ取れ、聞き込みも何も、お紋の居所はすぐに知れる。顔に惨たらしい火傷のある大女。そんな女は他にはいない。
 すぐ隣りの宿だと女中は言った。
 岩風呂に出ようとすると女中が言う。
「ああ今宵はおよしな、もう暗い。内風呂があるからさ」
 それもそうだ。いかに目のいい忍びであっても闇の山では動けない。三人顔を見合わせて、しょうがなくて宿の中に引き込んだ小さな湯に浸かっていた。女三人で独占できる、小さな岩で組んだ湯であった。
 嵐が言った。
「今宵は休もう、足が棒だ」
「そうするか・・さすがにキツい」
 あの江角が疲れ果てる。江戸から駆けるようにしてやってきて、最後のところで険しい山だ。

 ところが翌朝・・信じ難いことが起きていた。

 朝餉の前に起き出して、この世のものとも思えない見事な景色に見入っていた。抜けるように青い空。新緑の山々が連なって、視線を下に向けると、いくつものの白湯の岩風呂が点在している。
「わぁぁ綺麗・・お燕でも連れてくれば飛び跳ねるだろね」
 お涼が言ったそのときだった。

「てえへんだーっ! 男と女が斬り合って死んじまってるーっ!」

 お紋がいるはずの隣の宿から若い男が飛び出して叫びはじめた。
 とっさに顔を見合わせて、それぞれに仕込み杖を手にして飛び出した。
 隣の宿などすぐそこだ。お涼が、群がる男の一人に訊いた。
「男と女が斬り合って死んだって? どんな女だい?」
「どんなって、ずっといる女だよ、耳がねえ大女さ」
「何だって・・」
 そこでまた目を見開いて顔を見合わせ、さらに訊く。
「男の方は? 男と一緒にいたのかい?」
「違う。男の方は昨日からの客なんだ」
 三人揃って宿の中へと飛び込んだ。
 男が泊まる宿へ誘われて行ってみたら偶然同じ宿だった・・ということなのだが、嵐ら三人には知る由もないことだ。

 一見して刺し違えた自害。斬り合ったのではない。互いに穏やかな死顔をしている。
 江角が言った。
「お紋に違いないね」
 お涼はうなずきならも「どういうことか?」と言うように目配せしたが、嵐も江角もわからないと首を振った。
 お紋と、まさしく異形の男は、浴衣姿でぎゅっと手を握り合い、互いに心の臓を狙いすまし、折り重なるように死んでいた。部屋には布団が並べて敷かれ、男女のまぐわいがあったことは明らかだった。
 夕べは互いを愛おしみ、夫婦のように一夜を明かし、朝になって自刃した。そうとしか思えなかった。部屋中が血の海だった。
「書き置きがある」
 宿の主人らしき年寄りが言った。
「なになに・・『般若よ去れ』・・だとよ。どういうこった?」
 座卓に置かれた短冊紙に見事な女文字で書かれてあった。忍びは筆と墨を持ち歩く。

 嵐、江角、お涼の三人は、目配せし合ってその場を離れ、己の宿へと戻っていた。
 江角が言った。
「お紋が一人だったね。書きつけを残すってことは手下への指図・・仲間が来るってことさ」
「見張ろう」
 お涼が応じた。
 早く正気に戻ろうとはするものの三人ともに声が失せる。
 あのお紋が自刃・・それもまさに鬼と刺し違えて死んでいった。これはいったいどういうことか。考えなどまとまるはずもなかっただろう。
 お紋を知る江角が言った。
「女の死顔だったね。おそらく抱かれ・・男の方も死に場所を探していて・・」
「そうかも知れない、二人ともに穏やかだった」
 嵐が応じ、ふとお涼を見ると、お涼もまたうなずいて言う。
「夢を見て死んでいった・・そんなふうだった」

 しかしこのとき、嵐は彪牙の言葉を思い出していた。あの夜彪牙に出会ったことを嵐は皆に告げてはいない。『叡山の鬼天狗』など誰も信じていない。死んだ者が生き返るなどあり得ない。
 まさかそんなことが・・嵐ですらが信じ切っていなかった。

 江角が窓に立って、目を細めて景色を見渡しながら囁いた。
「お紋・・女として死ねたんだね・・」
 江角とお紋は一門は違っても伊賀者同士。そして女同士。くノ一の哀れから解き放たれた一人の女の死を想う。

 おしろい般若は消えた。『般若よ去れ』とは、手下どもに去れということだろうと江角は思った。

新・如月夜叉(十七話)

十七話~海の穴ぐら


「ふんっ、とてもじゃないが、おまえたちにお紋は殺せないね。何やら不可思議な術を使うと聞いた。妖術さ。つなぎの女が二人いて・・それがお紋の手下二人なんだが、二人ともに元は甲賀のくノ一でね。追っ手の侍ども二十人ばかしに囲まれたとき、どこからともなくお紋が現れ、それはあたかも鳥のように宙を駆け、次々に首を飛ばしたと言うんだよ。お頭は人にあらずと言っていた。そのほか知らない。知ってることのすべてだよ、わかったかい」
 結は、それきり口を閉ざした。

 全裸とされて牢に放り込まれた結を横目にしながら、誰にともなく江角が言った。
 裸にしてみると、結というくノ一には体にほとんど傷がなかった。乳房は小さかったがしなやかな白い肌は美しい。市井に潜み、探ることを役目としていたに違いなかった。
「万座・・山深いところだと聞く」
「おそらくは三人、それが般若の正体らしい」
 と、嵐が応じた。
「それにしても、あのお紋が人にあらずとはどういうことか・・」
 江角は浅いため息をつきながら、ふたたび結へと目を流した。
「まあいいさ。あたしはちょっと向こうへ」
 嵐はそう言うと、結を見ようともせず江角の背を押し、皆が揃って上と戻った。

 万座と言えば上野国(こうずけのくに=群馬)。標高の高い山の中の湯治場だった。硫黄を多く含む濁った湯で知られ、戦国時代は武将どもが訪れては傷ついた体を癒している。江戸からははるかに遠く、いくら市中を探索しても見つからないはずである。
 それはともかく、お真知は牢から出されていた。地下牢はひとつしかなく狭すぎる。鉢合わせにさせたくない。
 面喰らったのはお真知であった。まさか出されるとは思っていない。
 結は、牢に入れられてからも敵意は失せない。一言も口をきかなかったし、隙あらばと狙う眼光。それで毒使いの名手であるお雪に、気が朦朧とする痺れ薬を作らせて飲ませてあった。

 そんなことでお真知は出されたのだが、結を載せた荷車が戻ったときには深夜。着いてまずはお真知を出して、それから結を閉じ込めた。
 江角が、取り上げてあったお真知自身の忍び刀を持たせてやる。
 お真知は声もなく呆然としていた。
「あたしに刀を・・」
「いいから持ってな、お燕に恥ずかしい真似はできまい」
 江角が微笑む。
 二階の八畳に布団が一組増えていた。嵐、江角と、お真知は同室とされた。 黒鞘の己の刀を拝むように受け取って、お真知は信じられないといった面色をする。江角はすでに寝間着の姿。江角は言った。
「庵主様は、尼となるほかにも生きる道はあるだろうと申されたそうだ。それは女としてという意味でだよ」
「そんな・・とんでもないことをしてしまったあたしなのに・・」

 江角は言った。穏やかな声だった。
「あたしらは如月夜叉。女の敵を葬るために江戸の町に潜む者。すなわちすでに影であって人にはあらず。おしろい般若の片棒を担いだ馬鹿な女は死んだということ。そなたももはや影ぞ。手を貸してくれるだろ?」
「それは・・けど、なんということ・・あたしは恥ずかしい」
「その思いを忘れないことさ。もう寝よう。そなたには、ここに残って備えて欲しい。今度のことには黒幕がいる。どう動くかわからない。手勢は多いに越したことはないのでね」
「・・はい」
 お真知は涙を溜めていた。死罪になってあたりまえ。救われた。お真知は泣いた。

 くノ一ばかりの忍び屋敷。香風には源兵衛がいてくれるが、こちらにはお燕がいて、戦いとなれば足手まといとなるだろう。女ばかりで戦うのは厳しい。六人目の夜叉の存在は頼もしかった。
 江角が笑って言う。
「頭を下げるならお燕だよ、あたしじゃないね」
「はい・・お燕ちゃんの身の上は聞きました・・」
 江角が、お真知の背に手を置いた。
「であるならなおのこと、おまえにとっては恩ある者ぞ」
「はい」
 お真知は泣いて平伏して再起を誓った。

 その頃、香風では・・源兵衛は香風に住み込むこととなっていた。瀬田はそう度々来られない。もちろん部屋を分けた住み込みだった。
 白の単衣・・寝間着姿の百合花が言った。
「そうですか、万座に・・」
「じきに考えを告げに来るでしょう。わしなど影のまた影よ。女の敵を斬ると言うなら真っ先に斬られていい男なもので。ふっふっふ」
「またそんな・・ほほほっ」
「それで庵主様、結とか申す女を牢に入れるため、真知は出されたようですな」
「それもいいでしょう、嵐がそうしたのなら考えがあってのこと。では今宵は・・おやすみなさい」
 百合花は己の部屋へと戻っていった。
 源兵衛がいてくれれば心強い。明かりを消して布団に入り、そっと目を閉じた百合花であった。お真知が改心してくれるなら嬉しい。忍びは所詮銭次第。仕える相手が悪かっただけのこと。

 嵐は闇の中を歩いていた。
 雨があがってもほとんど星のない空は漆黒の海をつくる。香風へのなだらかな登り坂が見えだして、しかし嵐は仕込み杖に手をかけた・・。
「何やつか・・」
 気配はあっても殺気を感じない。
 丘への分かれ道にある林の中から柿錆色の忍び装束・・頭巾をしないざんばら髪、髭面の逞しい男であった。
「どうやらお紋にたどり着いたようだな」
「彪牙・・」
 あのときのことを思いだす。まっすぐ迫る男心を拒めなかった。頬が赤らんでくるようだった。
 彪牙は言った。
「そなたらの敵を教えておこうと思ってな」
「何だって・・」
「お紋はもはや人にあらずよ」
 やはりそうか・・お燕を救ったのは彪牙。つまり見張られていたということだ。
 お燕を救ったからといって味方だとは言い切れない。
 彪牙は、そんな嵐の探る眸をものともせずに、顎でしゃくると「来い」と言った。

 海側へと降りていく。
 鋭利な岩場が連なる先に、入るとすぐに左に折れる浅い洞窟があった。蝋燭が持ち込まれていて、ワラを蒔いた寝床がこしらえてあったのだった。
「ふふふ・・こんなところに潜んでいたか」
「隠れるにはちょうどいい。嵐よ」
「何さ?」
「いい女だ・・」
 黒い影が拒む間もなく流れてきて、左腕一本で嵐を抱き留め、嵐の体がしなり、唇をさらわれた。
「・・江角がいるのに」
「まあな・・ともあれ座れや」
 嵐は言われるままにワラの寝床に腰を下ろした。

「まずは、これを見よ」
 彪牙は、懐から黒い布でくるんだ細長いものを取り出すと、硬い黒檀でつくられた小柄(こづか)のような短剣を手にして、そっと置いた。
 先が鋭い両刃の剣で、握りのところに・・仏の姿が彫られてある。
 嵐はちょっと首を傾げた。
 彪牙は言った。
「叡山の鬼天狗」
「・・鬼天狗?」
「お紋は天狗に身を捧げた女よ。不可思議な法力を授けられ、また天狗に守られているから殺しても死にはしない。人にあらず。もはや妖鬼さ」

 叡山の鬼天狗・・聞いたことのある話であった。
 織田信長の比叡山焼き討ちで、命からがら逃げ延びた若い僧侶が、女子供の別なく惨殺したあまりの非道、あまりの地獄に怒り狂い、黒い嘴と鬼のような角を持つ烏天狗に化身したと言われている。
 恨みに狂った妖怪僧。あの光秀をそそのかし、本能寺で信長にとどめを刺したのは鬼天狗ではないかとも言われている。

 しかしその後、鬼天狗は京の山から姿を消して、木曽山中で見かけたという話が伝わるぐらいで、そんなものがいるなどと信じる者もいなかった。
 蝋燭の炎が揺れて、彪牙の笑みを浮き立たせた。
「その天狗を封じるのがこの剣でな。さる高僧より与えられた剣だが、これをもってしか天狗を封じるすべはない。殺ったところで生き返る。天狗を灰に変える剣だそうだ。お紋のことは江角に聞かされただろうが、お紋はその後、木曽の山で死のうとした。天狗には人の心しか見えない。見目形など目に入らない。崖から飛んだお紋を天狗は救い、情を与えてそばに置いた。女房のように」
「それを信じろと言うのか?」
「ああ信じろ」
 まったくこやつは・・しゃあしゃあと言ってのけ、まっすぐ見つめる熱い視線。
 彪牙は言った。
「お紋を殺ったところで天狗がいる限り生き返る。お紋そのものも江角の知るお紋ではないのだよ。心してかかれ。言っておきたいのはそれだけだ」

 嵐は、それきり黙った彪牙に向かった。
「されど彪牙」
 彪牙は手をかざして嵐の問いを黙らせた。
「お察しの通りでね、天狗とお紋を消せと命じられている。そこまではそなたらの敵ではない。されど、それより深みを探ろうとするのなら・・」
「・・なるほど。今度のことは徳川の身内の企て・・」
「家中で配下の者が突っ走った。鬼天狗を抱き込んだのはそいつらよ」
「それで上は見過ごせなかった・・ということか」
「さあな。それ以上を言わせるな」

「な・・何をする・・」

 彪牙は、すっと身をずらすと嵐の肩を抱いて押し倒した。下になる嵐。見上げると毛玉のような顔の中で彪牙がやさしく笑っていた。
 女は男の眸を見つめたまま問うた。
「ひとつ訊く。江角をどうするつもりだ?」
「いずれ迎えに行くさ。あやつはキラ星のような女でね・・ふふふ」
「なのにあたしを?」
「いまも言った」
「何を?」
「物事には深みもある。考えず抱かれろ」
 嵐は可笑しくなって首を振り、着物の裾を割る男の手を迎え入れて腿を割った。
「江角を粗末にするな」
「おまえもな・・よく濡れるいい女だ・・ほうら、こんなに・・」

「ぁ・・ンふ・・待って」

 嵐は彪牙の太い腕をほどくと立ち上がり、自らすべてを脱ぎ去った。
「襲われるのは嫌・・自ら抱かれたい」
「ふっふっふ・・さすがだ・・」
「ぁ・・彪牙・・ぁンっ・・憎めない奴・・」
 ワラに倒され、組み敷かれ、嵐は体を開いて彪牙の唇を女陰へ誘う・・。

 彪牙・・こんな男にはじめて出会った・・心が溶けていくと感じていた。

新・如月夜叉(十六話)

十六話~般若の影


 その夜の二階の六畳。お雪とお燕は間を空けずに敷いた布団に横になり、闇の虚空を見つめていた。明日は雨になるようで黒雲が空を覆い、今宵の窓は暗かった。
「女って、どうしてこうも・・」
 お雪が言い、それにお燕の声が重なった。
「・・哀しい」
 お燕は身をずらしてお雪を向き、そして言った。
「さっきも姉さんに言ったけど、ちょっとしたことで変わってしまう」
「そうだね、ちょっとしたことで、どっちへ転ぶかだよ」
「あたしだって、あのとき瀬田様がほんのちょっと早かったり遅かったりすれば、どうなっていたことか・・お真知さん見ててもつくづく思うし、忍びに生まれなくてよかったって・・あ、ごめんなさい」
「いいさ、その通りだよ・・それはあたしら忍びみんなが思うこと。違う生き方もあったのにって」

 一部屋おいた八畳で嵐と江角。江角が言った。
「強い子だね、しっかりしてる」
「ほんと。参ったよ、ふふふ、あたしらは敵味方で扱いを違えすぎだ、悪い癖さ」
 嵐が応じ、江角が言った。
「お紋か・・いちばん聞きたくない名だったね、元は同じ伊賀だから」
「とにかく明日さ、四ツ谷へ行って、それからだ。硫黄の湯といっても何か所もあるからね。居酒屋だとすると・・女が連れ立って行くのもヘンだし一人だとなおヘンだ」
「源さんでも連れてけば。あたしが香風を手伝うさ」
「いいや、忍びでもない者を巻き込みたくない。もう寝よう」
 嵐の声を最後に静かになった。

 その頃、香風では、源兵衛は眠ってしまい、穏やかな寝息を聞きながら百合花は眠れず悶々とした。
 あのくノ一が真知という名であることも、お燕に救われていたことも、このときの百合花には知る由もなく、忍びの拷問をはじめて見たお燕がどう感じているのだろうかと、そればかりが気になった。
 あのときのことを思い出す。甲斐方の地侍だった父親が寝返ったとき、武田方に攻められ、その兵の中に如月の一派も混じっていた。一家が揃って殺されて、如月忍びの男の剣が己に向いたとき・・あのとき確か十歳だったと百合花は思う。
「待ちな、その子に手を出すんじゃないよ」
 如月の霧葉・・童の目には鬼のようにも思えた女。泣いていた私に手を差し伸べてくれたことをいまでもはっきり覚えている。頭巾をして目だけしか見えなかった。もう泣くなと抱いてくれた。そしてそのまま如月の里に連れ去られ、女の鬼が頭巾を取ったとき・・なんて美しい人だろうとぼーっと見ていた。

 如月の頭の娘として育てられた。剣を仕込まれ槍や弓を教えられ、厳しさに泣くと決まっていつも尻を叩かれ、強くなれと叱咤された。そうするうちに嵐が生まれ、姉妹のように育ってきた。そんな何もかもが昨日のことのようで懐かしい。
 大きくなって如月を離れて一度は嫁いだ。武家だった。しかし夫は討ち死にし、その弟に女体を狙われて斬り殺し、彷徨って・・尼寺に救われた。
 そうした十歳の頃からの女の思い出がいまになって蘇ってくる。
 女を捨て、そしてふたたび女に戻った。瀬田そして源兵衛、お燕、嵐や皆も、かけがえのないものに囲まれていると百合花は思う。
「ちょっとしたこと・・」
 闇の中で囁いた。
 あのとき彷徨った山の中で道が二手に分かれていて、片方は下る道、片方はさらに山へと続く道・・逃げなければと山へと入った。その先に古い尼寺はあったのだった。

 そして翌日。
 店の支度にかかるちょうどそのとき、江角に連れられてお燕が来た。
 百合花は仔細を聞かされた。お燕は源兵衛と厨にこもって支度をしている。
 詫びた庭に、木の葉で砕かれた雨が霧のようにたなびいていた。
「ほう・・そうですか、お燕がそんなことを?」
「あたしも皆も考えさせられてしまいました。嵐なんて苦笑い・・参ったって笑ってましたね」
「ほほほっ、お燕はやさしい子ですからね。でもこれで私の法衣も無駄にならない。しばらくは牢で己を見つめさせておけばいいでしょう。お真知とやらには違う生き方もあるのですが、それもいずれ私が導く」
「よもや我らの仲間にと?」
 店では百合花は法衣をまとった。梳き流したおかっぱの垂髪が黒光りして美しい。百合花はちょっと眉を上げて言う。
「さあ、それはどうでしょう。いいわ、わかりました。四ツ谷は遠いから、こっちの支度が済みしだい源さんを向かわせます。巻き込むも何も源さんは仲間です。嵐には気をつけてと伝えてちょうだい」

 江角は香風を出て坂道を歩きながら、百合花は真知に対して尼となるより女のままで生きる道があるのではと考えている・・と察していた。
 本降りになりだした雨が蛇の目傘をばちばち叩いた。しかし空の西側が明るかった。雲が切れはじめている。

 夜の五つ(七時頃)の四ツ谷。このあたりは芝からは遠いけれども江戸城からはまっすぐな道沿いの街。緑の起伏が幾重にも折り重なる美しいところ。
 その街外れに小さな居酒屋はあった。この先少し行くと人家が失せて、さらに歩くと整備されだした内藤新宿の宿場へと至る。江戸初期のこの頃は七時には人の気配は失せてしまう。まして今宵は雨模様。

 居酒屋、酒膳。街道筋の町外れにある小さな店。
 ここへの途中に聞き込んだところによると、酒膳はずっと以前からある店で、いい歳の親爺が一人でやっているという。一年ほど前にそれまでいた娘が辞め、入れ替わるように『結(ゆい)』という女がやってきた。真知から聞かされたような性悪ではなく、気立てのいい女だということだ。
 それもくノ一としての器量。それだけ人を欺けるということだ。
「あ、いらっしゃい! 今日はもうだめだって話してたところなんですよー。あと半刻ほどで閉めますが、ささ、どうぞどうぞ」
 雨はここへの途中であがっていたが、こういう日は客は動かない。小さな店に客はなく、店主らしき爺さんと結という女が膝を突き合わせて座っていた。

 立ち上がった結は、いかにも客商売らしい鮮やかな黄色格子の着物に茶色の前掛け。背格好はお真知とほぼ同じで五尺三寸(百六十センチ)ほど。細身だったが体はよかった。。町女の髪姿で娘といえるほど若くはないが、それでも二十代の後半あたり。目のくりくりとした愛らしい姿であった。
 客が入って厨(くりや=台所)へとさがった店主は六十代の中ほどか。小柄で髪が真っ白だった。

 それに対して、嵐は青地柄の着物に脚絆を巻いて、市女笠(いちまがさ)と杖を持つ旅姿。そうでもしなければ仕込み杖が持てないからだ。
 源兵衛も三度笠に杖の旅姿。二人は一見して父と娘のようにも映っただろう。途中まで降っていた霧雨のせいで着物が少し濡れていた。
 結という女は手拭いを持って駆け寄ると、源兵衛から先に肩を拭き、嵐の肩も拭いてくれる。そのとき嵐はそれとなく探ったが、結はほがらかで人当たりのいい、愛らしい女であった。見た目ではわからない。
 源兵衛が言う。
「ちょいと一杯だ、肴は見つくろってくれりゃいい。今宵は娘と一緒だ、呑んだくれるとぶっ飛ばされる、こいつは鬼でね、はっはっはっ」
「まあ怖い、うふふ!」
 嵐はふっと片目の眉を上げて視線を流す。
「・・誰が鬼さ」

 そうやって四半刻ほどを過ごして店を探り、一旦店を出て、二人は店を見渡せる物陰に潜んで待つ。源兵衛が言う。
「どう思う?」
「うん、あの爺さんも怪しいね」
「そうか?」
「目配りでわかるのさ。結って女の動きを追う目が速いし、あたしの杖をちらりと見ていた。ずっと前から店をやってるらしいけど、であれば草(くさ=住み着いて探る忍び)だね」
 元が武士の源兵衛には、忍びの微妙なところはわからない。
 嵐が言った。
「東国に徳川が封じられてよりの店・・だとすれば、あるいは豊臣方・・それはいいさ、じきにのれんが下げられる。源さんは裏から、あたしは前から」
 その直後、結が顔を出してのれんをしまう。そのとき嵐が歩み寄った。

「もうおしまい? ちょいとお酒をもらって行こうと思ったんだけど」
 あたりまえに微笑みながらも間合いを一気に詰めた嵐。相手はのれん棒を両手に持って一瞬備えが遅れてしまう。
「なっ、何すんだい!」
「入りな!」
 片手を取って後ろにひねり、もう片手の二の腕を着物ごとつかんで店の中へと押し込んだ。

「てめえ! 妙だと思ったぜ!」
 爺さんがよく研がれた柳刃包丁を手に厨から飛び出ようとした瞬間、裏口から源兵衛が板戸を蹴破って踏み込んで、手にした杖を突きつける。こちらも仕込み杖。抜刀はしていない。
「おっと、おまえさんはじっとしてな」
 嵐は、結をひねりあげたまま、懐へ手を入れて長さ半尺ほど(およそ二十センチ)の黒い筒を抜き取ると、地べたに落として踏み潰す。くノ一が忍ばせる吹き矢である。袖も探るが袖には何も隠していない。
「やっぱりね、吹き矢とは穏やかじゃないね」
 と、嵐が言った。
 一方の爺さんは、源兵衛の気迫に圧されて座り込んでしまっていた。
「おまえ結だね、頭はどこだ?」
「頭? ふんっ、何のことさ?」
「しらばっくれてもだめなんだよ、おしろい般若・・お紋はどこだ!」
 そのとき・・うっと呻いて爺さんの口から血が流れた。舌を噛んだ・・違う、毒を噛んだ。
「おい爺さん! おい!」
「畜生ども・・我らが恨み・・思い知れ・・」
 そのまま倒れ、もがく間もなく動かなくなっていく。猛毒らしい。

 嵐は、とっさに手拭いを手にし、結の口に噛ませてしまう。くノ一は歯に自害のための毒を仕込むことがあるからだ。
「さあ言え! 我らが恨みとはどういうことだ! おまえら何者! 頭はどこだ!」
 猿轡でくぐもる声だったが聞き取れる。
「爺さんは甲賀、あたしは違う。爺さんがなぜここにいるかなんて知らないね」
「爺さんは一味じゃないのか?」
「違うさ。違うが、あたしをかくまってくれている。あたしなんか下っ端だ、深いところは知らないね」
「お紋はどこだ、言え」
「言ったら助けてくれるのかい、ふんっ」
 嵐は白木の丸杖から仕込み刀を抜き去って、女の耳に刃を当てた。
「切り取ってやってもいいんだよ。お紋のようにしてやろうか」

「だから知らないって!」
 結は敵意を剥き出しにそっぽを向いたが、そっぽを向きながら言うのだった。
「あたしはつなぎを待つだけさ。頭などよくは知らない。万座の湯治場にいるって話はちらっと聞いた」
「万座・・それに違いないね? たばかったら殺るよ」
 結はそれきり喋らなかった。
 万座の湯は硫黄の湯。傷にいいと言われていた。

「おまえは何者? 甲賀でないとすれば流派は?」
「もはや流派もくそもないんだよ、駿河が滅びてより我らは散り散り」
「駿河・・今川の手だな?」
「遠い昔さ。親父殿の時代だよ。忍びなど諸流が混じり合うもの。駿河にだって伊賀も甲賀もいたんだぜ。風魔もいるしな」
「おまえは女たちを殺ったのか? 手を下して殺ったのか?」
「殺ってない、かどわかすだけ。殺ったのは頭と、あと二人。それが般若で、あたしらなんぞ般若の髪の毛みたいなもんさ」
「そうか・・立て」
 結を立たせて振り向きざまに、嵐が首筋の急所に手刀を打ち込んだ。
 結いはがっくり崩れて膝をつく。
「源さん、どっかで荷車を。こいつも連れて帰る」

 気を失った結の手足を縛り上げて寝かせておいて、死んだ親爺の骸を店の奥に隠しておく。店の中の血を拭い、しばらくでも時がしのげるよう偽装する。
 裏口から結を担ぎ出して荷車に載せ、二人は夜陰へまぎれていった。

新・如月夜叉(十五話)

十五話~夕餉の後に


 今宵はありあわせの夕餉となった。白い握り飯と一夜干しのイカを焼いただけで量も少ない。皆も食べたそうにしていない。お真知の身の上は、ひとつ間違えれば己に降りかかっていたことだと五人のくノ一たちは感じていた。それは嵐でさえがそうだった。主家に仕えることも暮らし向きのため。忍びにとっての正義とは、敵味方のどちらから観るかによって変わるもの。それだけの違いでしかなかったからだ。

「・・あたしちょっと下へ」
 お燕が言った。皿に余りものの握り飯を二つ載せ、イカの残ったところを合わせたものを手にしている。それに茶だ。湯呑みに湯気を上げている。
「あたしも行くよ」 とお雪は言ったが、いいと言って首を振る。
「話してみたいんだ・・もう大丈夫、暴れたりしないと思うから」
 女五人が、肩を落として歩み去るお燕を見ていた。お燕もまた夜盗どもの慰み者にされた身だ。裸にされて責められる女の姿を見るのは辛い。
 地下への降り口は、斜めになった階段の真下の板床に隠し梯子が造られてある。地下は蝋燭が数本灯るだけで暗かった。窓などはもちろんない。
 お真知には、ねずみ色の浴衣が与えられていた。

「姉さん、これ喰って」
「お燕ちゃんだよね?」
「うん、お燕だよ。香風の下働きさ、忍びじゃない」
 刃も持たずに牢を開けて入ってくるお燕のことを、お真知は静かに見つめていた。その気なら素手でも殺れる小娘なのに・・お燕は気を許してくれている。
「お燕て名は、またどうして?」
「つばめ。毎年蔵の軒下に巣を作ってね、その子らがあんまり可愛いからおっ母が・・さ、喰って」
「あたしに飯など・・」
「もういいよ。いいから喰いなって、これからちゃんと生きるんだから」
「・・ありがと」
「うん」
 お真知は握り飯に喰らいつく。イカを喰い、茶も飲んだ。
「・・美味い」
 敵意の消えたお真知には、ただただ孤独がつきまとっているようだった。

「お燕て、いくつ?」
「十七。三年前にお店が襲われて皆殺しさ。あたしだけが残ってしまった」
「・・辛かったんだね」
「ここにいる皆がそうだよ、何かしら抱えてる。だから姉さん」
「姉さんはよしとくれ敵なんだ。・・いまさら逃げるつもりもないけどね」
「いまさらって?」
「逃げたって、どうせ喰い詰めるだけ。あたしは殺っちゃいないけど、あたしらでさらってさ、殺したも同じこと」
「そうだね同じこと。鬼畜の所業さ。けど生き直すことはできる。心底悔い改めて手を合わせて生きるんだ。許されることはなくても背負ったものは降ろせるよ。庵主様は観音様だ、きっと育ててくださるから」
「尼にか?」
「御仏に叱られるつもりで励むんだね、捕らえられれば死罪なんだよ」

 お真知は、哀しげにちょっと笑った。
「御仏に叱られるか・・叱られるぐらいで済めばいいけど。それにしても、あの尼さん・・」
 お真知は、参ったというように首を振って目を伏せた。
「何さ?」
「あれほど剣を使うとは」
「そりゃそうさ、あたしはよく知らないけれど、如月流のお頭様の義理の娘だ。さっきの嵐の姉様のさらに姉様なんだもん」
「あの如月の霧葉の娘・・」
「嵐の姉様はね。庵主様は違うよ。なんでも危ないところを救われて霧葉様に育てられたそうだ。あたしみたいに。あたしも庵主様に救ってもらった。盗賊どもに嬲られて・・あたしなんて死んだ身さ・・汚れちまった」

 牢の中に並んで座って話していた。お真知の素振りからは険は失せ、落ち着いた女の顔となっている。
「お燕ちゃん」
「うん?」
「髪を降ろして。あんたの手で切って欲しい」
「わかった。明日にでも庵主様に話してみる」
「すまないね。それに・・ありがと。もう少し早く会いたかったよ」
「そうだね、人ってそうだよ、そんなもんさ。ちょっとのことで変わってしまう。ねえ姉さん、お願いだからちゃんと生きて、あたしに誓って」
 お真知はこくりとうなずいた。
 それからお燕は皿を手にして上へと戻り、そのまま風呂へ入って行く。

 その間に、先に風呂を済ませた嵐が下へと降りていた。
「静かになったね、殺気が失せた」
「はい・・さっきお燕ちゃんに髪を降ろしてってお頼みしました」
「聞いたさ。泣いて喜んでたよ、よかったって」
 お真知の眸が潤んでくる。
「・・はい。それで嵐様、そういえばちょっと・・」
「何だい?」
「お頭のお紋とか言う女のことで」
「何か知ってるんだね?」
「江戸にはいないと聞いてます。我ら手下の中に鼻のきく女がいて、そういえば言ってたなって・・お頭という人には硫黄の匂いがするって」
「硫黄?」
「火薬じゃなくです。おそらくは湯かと。人知れず潜んでいないとあの傷では目立ってしまう。耳のことは知りませんが左の頬の火傷はひどくてただれているからと聞きました」
「そうか硫黄・・うむ、わかったよ」
「あたしらはつなぎが来て集められる・・あ・・」
 ハッとしたようにお真知は目を丸くした。

「つなぎの女が漏らしていました。四ツ谷あたりの居酒屋に仲間が一人いると言って・・名は確か、結(ゆい)・・そこで女中に化けてるとか。嫌味な女で顔も見たくないってこぼしてましたよ。店の名は何て言ったか・・」
 思い出せないといった様子。嵐は微笑んで肩を叩いて立ち上がった。
「思い出したら教えてな。しばらくは牢にいてもらうが安堵しな。髪を降ろすにしても庵主様に任せればいい。明日の朝、お燕に膳を運ばせる」
 そう言って立とうとしたとき、お真知は目を見開いた。
「・・そうだ、酒膳(しゅぜん)・・酒膳です店の名は。あたしと同じぐらいの背格好で、なんでも土佐の桐生(きりゅう)のくノ一だとか。毒を仕込んだ吹き矢をいつも懐に隠している」

 土佐と言えば山内一豊・・もとよりの統治、長宗我部(ちょうそかべ)は、関ヶ原で豊臣方に味方した。桐生一族は、その長宗我部が抱えていた忍軍である。

「わかった、早速あたろう、ありがとね。そなたのことはあたしからも庵主様に伝えておく。早まっちゃだめだよ」
 嵐は、そっとお真知を引き寄せて抱き締めた。背から尻までそろそろと撫でてやり、『お燕の心根を考えな』 と耳許で囁いた。

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