爽やか不倫 風をきって(一話)

「明ちゃん、こちらクラブのお友達で浜島さん。で、こちらは細川明
子さんよ、私とは高校の頃からのおつきあいなの」
「はじめまして細川です。素人でついて行けるかどうか心配ですけ
ど、よろしくお願いしますわね」
「あー、いえいえ、そんなこと。こちらこそよろしく」
「私と志保は・・」と、明子が言いかけたとき、その志保が話の腰を
折った。
「ああ、そう言えば浜島さんのお店、荻窪でしたわね」
「え、ええ・・まあそうですが」
「明子の住まいも荻窪なんですのよ。うふふ、仲良くしてあげてね」
「あ、そうなんですか、それじゃ一度ぜひ。南口のほうで喫茶店を
やっておりますので」
 明子に向かっていた浜島は、一度、目だけを志保にやってそれに
応じ、それからまた明子に目を戻していた。志保に紹介されて明子
が喋ろうとした言葉を、ぴしゃりと志保が遮った。志保は活発。ち
ゃかちゃかと物事を進めていくタイプ。対して明子は、どちらかと
いうとのんびり屋で、志保にはいつも後れを取ってしまうのだった。
 志保は明子よりも一つ上で三十七歳、浜島は四十代後半の男性
だった。
「じゃ、二人とも行きましょうか。羽田なんてすぐそこよ」
 三人はそれぞれの自転車にまたがった。志保は「風」という名の
サイクリングクラブに入っていて、仕事の関係で知り合ったという
浜島をそこへ誘ったのがきっかけらしい。
 明子は結婚が早く、子育てが一段落したことで外で何かをはじめ
ようと考えていたところへ、志保からクラブに誘われた。けれども、
とりあえずしばらくはクラブに入ってまで本格的にやるつもりもな
く、形だけが似たスポーツタイプの自転車を買い、ときおり志保と
二人で近場を走っていたのだった。
 そして今日、木曜日、浜島の喫茶店の休みに合わせて少し遠出
をしてみようということになったのだ。志保も浜島もドロップハンド
ルの本格的なツーリングサイクルを持っている。明子のそれは一
文字のハンドルで前カゴのついた形ばかりがスポーツなタウンサ
イクル。変速も三段しかなく、ろくに走り込んだわけでもなくて、二
人について行けるとは到底思えなかった。

 同じJR中央線沿いの吉祥寺に住む志保が、荻窪で明子と合流。
それから浜島の住む高井戸へ回ったというわけだった。
 高井戸は京王井の頭線で環状八号に面していて、荻窪からも近く、
目的地が羽田ならそのまま環八を南下すればよかったので通り道。
 時刻は朝の八時。平日の木曜日ということで環八は朝のラッシュ
で混み合っていた。しかし自転車ならば歩道を走れる。つながった
まま動かない車列を横目に、十月の秋晴れの下、縦一列で快調に
走って行った。先頭は志保、中に素人の明子、後ろに男性の浜島
の順。志保と浜島は黒のレーシングパンツ、クラブの青いチームジ
ャージ、ヘルメットとスタイルも様になっていた。
 一人だけ明子はタウン感覚。ヘルメット以外はショートパンツにト
レーナー。前カゴに着替えの入ったナップサックと飲み物のペット
ボトルを入れている、なんともちぐはぐな隊列だ。

 明子は前を行く志保の後姿を見ていた。本格的なサイクルウエ
アは生地もレオタードのようにソフトで、体にぴったりフィットする。
逆三角にくびれたウエスト、そこから美しく張るヒップのライン。
ツーリングサイクルはサドルも小さくタイヤも細く、それだけに乗
り手のお尻が大きく張って同じ女が見てもドキドキさせる。
 ということは私も背後の男性・・と、明子はちょっと恥ずかしか
った。コットンの短パンでもサドルに座ればお尻は張るし、ヒップ
の谷も透かしているはず。慣れなのかも知れないけれど後ろの
視線が気になった。

 しかしそんな思いもわずかな間で、すぐに明子は遅れはじめた。
前を行く志保はもちろんそれに気づいていて、さらにスピードを落
とすのだったが、それでもついて行けそうにない。見かねた浜島
が、明子をさっと抜き去って、前の志保に追いつき声をかけた。
「少し休もう、クルマが違うんだ、可哀想だよ」
 それが、国道246号線を越えたあたり。羽田までまだまだ先は
長かった。サイクリングでは自転車をクルマと呼ぶのが一般的だ。
 休みながら行こうということでクルマの多い環八ではなく、多摩
川沿いに一度出て川べりを走ることにした。環八を少し戻り246を
川へと下る。川の土手下にたどり着き、自転車を停めた。
 明子は、二人へのすまなさと、サイクリングなんて続くかどうか
と日頃も使える自転車を買ってしまったことを後悔した。昔からそ
うだった。尻込みしてやることなすこと中途半端。決断できない明
子だった。

 三人揃って土手の斜面に腰掛けて、ものの五分で、志保のウエ
ストバッグで携帯が鳴りだした。着信で相手がわかる。
「奥様からよ、何かしら?」
 志保は浜島に向かって眉を上げ通話のボタンを押した。浜島夫
人からだった。
「はい、お世話になっています。はいはい・・ええッ! 商品を間違
えていたですって! あ、はい・・今日中に直さないと間に合いま
せんわね? ええ、わかりました、なるべく早くそちらへ行きますの
で」
 志保は電話を切って、何事かと見つめていた浜島に言った。
「参ったわ、一昨日デザインアップしたカタログの中の商品の一部
を取り違えていたんですって。今日中にレイアウトし直さないと印
刷デッドに間に合わないのよ。一昨日の段階でぎりぎりセーフだっ
たんですから」
「あれあれ、それじゃ羽田は・・」
「ごめん、私帰るね。参ったな、ここまで来て吉祥寺にとんぼ返り
じゃ」
 志保はそう言い残し、明子に向かってふたたび「ごめん」と言っ
て、一人だけさっさと走り去って行く。それこそ普段のツーリング
スピード。志保の姿が見る見る小さくなっていく。

 明子が浜島に視線をやると、浜島もまた志保の後姿を追いなが
ら言った。
「いえね、家内が下着メーカーに勤めてるんですが、志保さんにカ
タログなんかのデザインをお願いしてるんですよ」
「そうですの。では志保とはお仕事の関係だったんですね?」
「最初はまあ。あーいえいえ、家内はそうですが私は違いますよ。
家内を通じて知り合ったと言うだけでして。それより明子さん、そ
ろそろ脚キツいでしょう?」
「そうですね、腿がぱんぱん」
「うむ。それじゃ、この少し先に河川敷の公園がありますから、今
日のところはそこまでにしておきましょう。私の以前のクルマが余
ってますから、こんど差し上げますよ」
「そんな・・でもお高いんでしょう?」
「置いておいても何の役にも立ちませんし。どだいツーリングサイ
クル相手に普通のチャリで走ろうとすることがむちゃくちゃなんで
す。なあにすぐについて来られるようになりますから。私もはじめ
はそうでしたから、はははっ」

 物腰の柔らかなその人柄に明子はちょっとほっとしていた。家
からこんなに離れたところに男の人と二人きり。それも初対面。も
しちゃんと走れなかったことで怒り出されでもしたらたまらない。
 そこからしばらくのんびり走ると、道は土手の上になり、眼下に
河川敷の公園がひろがった。自転車で下に降り、流れの淵まで
行って自転車を停めた。ベンチがあった。二人で座った。
「荻窪に喫茶店をお持ちだとか?」
「ちっぽけな店ですが、せかせかした宮仕えに嫌気がさしましてね、
少し前に転職したんですよ」
「荻窪のどのへんですの?」
「ああ、あのですね」と言って、浜島は枯れ枝を拾って土の上に地
図を描いた。見ていてだいたいわかったけれど、明子は普段そっ
ちの方には滅多に行かない。

「一度ぜひどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
「それより明子さん、靴を脱いで、そこらの川に入って脚を少し冷
やしたほうがいい。筋肉が熱を持ってるんですよ。冷やせばかなり
楽になります」
 川岸のあちこちに浅いところがある。明子は言われるままに裸足
になって膝下ほどまで水に浸かった。十月の朝の流れは冷たくて、
ひんやりと気持ちがいい。
 けれども水から上がるとわずかな斜面に膝が抜けて手をついた。
「あらら、そんなに痛いですか?」
「ちょっと。アキレス腱の上のところが」
 浜島は明子をベンチに座らせておき、自分はしゃがみ込んで痛む
脚をそっとさすった。太腿までそっくり見える短パンで、目に前に
しゃがまれて、しかも脚を交互に持ち上げられてさすられる。

 明子は頬が熱くなり、けれども温かい手の心地よさを感じていた。
夫以外の男性に触れられるわずかな緊張も、心地よさを引き立て
ていたのかも知れなかった。
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