爽やか不倫 風をきって(四話)

 翌週の月曜日。子供らとの夕食をすませ、まるで平穏で変化のない
一日が過ぎようとしていたとき、志保から電話。いま都心にいてこれ
から帰るから荻窪で会えないかと言う。
 明子は、そう言えば志保にはしばらく会っていない。自転車には乗
っているようだったが、志保の場合、フリーであっても平日はだいた
い仕事。土日にクラブで乗ることがほとんどだった。明子のほうは専
業主婦で、家族のいる週末にはなかなか出にくい。浜島は浜島で、店
を休む木曜以外に自由がきかない。したがって三人揃うことはそう多
くはないのである。
 しかし自転車以外のところで明子と志保は今夜のように夜ときどき
会っていた。荻窪は志保にとっては通り道。明子にしても、夫も知っ
ている友人で女性ということになれば変に思われることもなかったか
らだ。

 時刻は八時。週の頭の月曜日とうことで居酒屋は空いていた。毎日
遅い夫の帰還までには間もあって今夜は落ち着いて話せそうだった。
 ところが志保は、思わぬところから話を切り出した。
「あのね、あたしクラブやめようと思ってんのよ」
「ええ、なんで? そのうちには一緒にって楽しみにしてたのに。何
かあったの?」
「うん、ちょっとね、早い話が分裂なんだけど」
「分裂?」
「そう分裂。ああゆうクラブってね、メンバーが増えすぎるといろい
ろあるのよ。いまフルに揃えば十八人でしょ。滅多に来ない人もいる
けれど、それだけ増えると面倒なんだな」
「あらそう。じゃ志保は分かれて出て行くほうに参加するんだ?」
「そうなると思うわよ。でもね、そっちには浜島さんは来ないし、目
指すところの違うクラブになるからね。彼から何も聞いてない?」
「うん、初耳よ」
 明子はピンと来た。ようするにレベルで分かれるということだろう。
ガンガン行くタイプとマイペースで楽しむタイプ。マイペース派の彼
ならそっちには行かないだろうと考えた。

「そう言えばあなた、浜島さんと仲良くしてるみたいじゃない?」
「仲良くって、変な意味じゃないわよ」
「わかってるわよ、あなたってそんなタイプじゃないし、浮気なんて
できっこないでしょ。ちらっと聞いたんだけどね」
「誰に?」
「浜島さんから」
「なんて言ってた?」
「追いつこうとして頑張ってるって。自転車もいいのを持って走り込
んでる褒めてたわ。自転車買ったみたいね? こないだ羽田に行った
でしょ。あのときは私がダメで断ったんだけど」
 浜島が深いところを話していないと明子は感じた。自転車のことも
まるで話していないようだった。
 ビールを傾けながら志保が言った。
「彼はね、人はいいんだけどのんびり屋でね。クラブにはそういうタ
イプを嫌がるメンバーもいるから、だからね・・」
 明子は内心ムッとしていた。あなたに浮気なんてできないと決めつ
けられたこともそうだし、自分ものんびり屋のタイプだったから以前
から何かにつけて気の引ける思いをしてきた。浜島を悪く言われたよ
うで腹が立つ。

 それだけでも波立っていたところへ・・。
「彼ってさ、それがあって奥様ともうまくいってないらしいんだ」
「どういうこと?」
「彼の奥様って、ちゃきちゃきタイプだし、女なのに宣伝部長やって
るのよ。いわゆるキャリアウーマンね。四十四歳だけど美人だし、と
にかくやることなすことスマートなのよ。そういう意味でも私のこと
を可愛がってくれてるの。女一人でよくやってるって」
「家の中ダメなの?」
「いえいえ、ダメってことはないみたいだけど、なんとか折り合いを
つけて壊さずにやってるって雰囲気らしい。高校生の息子さんも全寮
制で外に出てるし、家の中ではろくに会話もないみたいよ」
「彼がそう言ってたの?」
「ううん、それは奥様。奥様には親しくしてもらってるし、旦那さん
と一緒に自転車やってることは当然知ってるし。奥様ってすごい人よ。
惚れる男はいくらでもいる」
 嫌な話を聞いたと明子は思った。しかしそれならそれで今夜会って
おいてよかったとも言える。

 茶房 風の色。一日おいた水曜日の午後、遅めの時刻。ランチタイ
ムの客が引きあげるタイミング。明子には落ち着ける時間帯だった。
「そうですか志保さんから」
「ええ」
「じつはそうなんですよ。いまのクラブから九人ほどが出て行って新
しいクラブを立ち上げるんですが、そのごたごたもあって何人かがや
めちゃますしクラブもいっぺんに小さくなりますね。クラブってね、
いろいろあるもんなんですよ。男女関係でおかしくなったり、まあい
ろいろとね」
「そうなんですか」
「うん。しかしまあ、どのみち僕は滅多に出られませんがね、いつも
かも週末では僕には無理です」
 浜島の家でのことを聞いてしまったからか、どことなく元気のない
マスターに、明子の心は揺れていた。
 この店の定休日が木曜であることも、そう考えればうなずける。こ
こは週末に客が増える場所でもなく、木曜日に客の減る場所でもない。
 土日に家にいたくないということだろう。
「それで志保さんに誘われたと?」
「いいえ。誘われても、そんなの嫌ですから」
「そうですか。じゃいずれウチの方で一緒に走りましょう」
「もちろんです、それなら喜んで。でもねマスター」
「ほ?」
「私はクラブなんてどうでもいいんです、マスターについて行くだけ
ですわ。私の先生はマスターですもん」
「おろろ。こりゃまた。うははは!」
「あははは!」
 ぽかんとして照れ笑いをするマスター。このまったりしたペースが
たまらない。ほんとにとぼけた人・・と思ったときに、明子はなぜか、
いまなら言ってもいいような気がしてしまった。説明できない感情だ
った。
「て言っても、私もマスターのこと、少しは警戒しなくちゃいけませ
んけど。うふふ・・」
「あんれまー? そりゃまたどうして?」
「あはは! もうたまりませんわ、あははは!」
 笑わずに話すつもりが、いつの間にかペースに引きずられてしまっ
ている。なんとなくそんな雰囲気になったこの機会に、浜島の気持ち
の一端でも覗ければと思ったのかも知れないが、とぼけたペースに掻
き回されて、笑わされただけで終わってしまった。

 帰ろうとしたときだった。
「明ちゃん」
「はい?」
「明日なんだけど」
「行く!」
 明子は当然自転車だと思っていた。
「あそ。じゃ行きましょう、ドライブに」
「え・・」
 してやられた。してやられたとは思ったけれど、それもまた浜島ら
しい誘い方。明子は嬉しくて心の浮き立つ思いがした。カウンターに
座ったまま勘定をすませ、立とうとすると浜島がぼそりと言う。
「僕もクラブやめようかなって、じつはね・・」
「おろろ? そりゃまたどうして? うふふ!」
 口調を真似られたマスターが、上目遣いに拗ねたように笑う。
「明ちゃんと二人でいるのが楽しくて、二人で走りたくて・・」
 ドキドキしていた。浜島のまっすぐな視線が、あのとき感じた予感
を、はっきりとした確証に変えたからだ。

(この人に抱かれる)

 風の色からの帰り道。明子は、普段目もくれずに通り過ぎるだけの
ランジェリーショップを横目に見ていた。
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