死者のリスト

 捨てずにとってあったスポーツ新聞の号外をぼんやり見ていた。特に
保存版というわけでなく、ただなんとなく本棚の片隅に差しておいただ
けのものである。

 その号外は、僕にとってタダでもらえた面白い読み物でしかなかった。
いまから一年と少し前、テレビ番組で芸能界一の霊能者と言われる早坂
麗子と、その頃、某局大河ラマの主役に抜擢されたことで人気が再燃し
ていた大物歌手、杉沢健太郎が対談した折り、杉沢がセクハラめいた失
言をしてまい、早坂は怒ったらしく、杉沢に対して「あなたの余命は半
年よ。大好きな海で死ぬわ」などと生意気にも言ってしまったのだった。
 杉沢がスキューバダイビングをやっていたことは誰もが知っていたし、
いつ事故が起きても不思議じゃないスポーツだけに、まことしやかに聞
こえてしまう。まして、もともと早坂の霊視や予言は当たると評判だっ
たので、二人の所属プロダクションはもちろん、双方のフアンをも巻き
込んだ大騒ぎとなってしまったのだ。
 当の本人たちはあっけらかんとしているのに、大人げなさにもほどが
あると言うべきか、テレビ局からスポーツ紙までがネタの奪い合いをは
じめ、話がどんどんエスカレート。これはもしや、二人に肉体関係がも
ともとあって、霊能者を名乗る薄気味悪い早坂がフラれたに違いないな
どと、彼女一人が集中砲火を浴びる始末。

 その杉沢がサイパンの海で死んだ。スキューバダイビングの事故では
なくて、釣り番組の撮影中、釣り船同士が衝突して沈没するアクシデン
トによってである。そのとき、件の番組からちょうど半年。そして、そ
んなことがあったとたん、マスコミは掌を返したように霊能者早坂を持
ち上げはじめたのだった。

 …とまあ、彼女のことなどそのときの僕にとっては、そんな程度の野
次馬ニュースでしかない。事故なんて本人がどうであろうと突然襲うも
のだし、たまたまタイミングが合っただけなんだと。

 ところが…早坂自身が言うように、彼女の霊感は一年前のその頃から
急に鋭くなりだし、とりわけ周囲の人々の不幸に対して予言する能力が
身についたと言うのである。偶然言い当てた杉沢の事故に便乗した売名
行為だと誰もが思った。マスコミが加熱するほど、大衆はふたたび早坂
を酷評した。

 しかし、それからの半年間に、大物政治家が一人、現役の野球選手が
一人、また一人また一人と死を言い当てていく早坂に、賛否両論どちら
の声もが沈黙した。
 偽物でなさすぎてマスコミは騒げなかった。
 本物でありすぎて大衆は恐れをなした。
 そしてそうなると可哀想なのは早坂で、主演していたドラマを降ろさ
れ、コマーシャルは打ち切られ、表舞台から消えるのにそれほど時間は
かからなかった。世の中なんて勝手なものだと思ったね。

 僕は子供の頃に父親を亡くしてから、ずいぶんイジメられたし、学費
がなく大学も諦めざるを得なかった。片親だということで就職に際して
ハンデがあったことも覚えているし、金がないことで好きになった女の
子に冷たくあしらわれたこともしょっちゅうだ。
 それに比べれば、杉沢にしろ早坂にしろ燦然と輝けた時期があっただ
け幸せというもので。僕にも人を妬む気持ちはあって、そういう妬みの
対象が堕ちていくと、心のどこかにすっきり晴れた空が見えた。

 その夜、僕は恋人と過ごしていた。彼女のバースデイ。僕ももう三十
四歳、そろそろ決めてもいいと思っていた。大したものは買えなかった
がプレゼントも用意して、彼女のいい返事を待っていた。プロポーズは
とっくにしてある。けれども彼女は決めかねていたようだ。
 美里二十七歳。有名大学を卒業し、上場企業に勤めていた。かたやの
僕は業績不振の名もない会社のヒラ社員。どうしようもない差があった。

 それでも美里は可愛い娘で僕らはうまくいっていた。その夜もベッド
でピロートーク…。
「ねえ、智」
「うん?」
「智さ、前に早坂麗子の話をしてたでしょう」
「ああ。それがどうした?」
「あの人いま予言者やってるらしいわよ。知ってる?」
「いいや、そうなのか?」
「ふーん、知らないか…」
「どうでもいいさ、そんなこと。美里も占いが好きだからな」
「だって女の子だもん」
「それより美里、今夜は君に、その…」
「わかってる、プロポーズのお返事でしょ。いいわよ」
「え?」
「お受けするつもりで来たの。お嫁さんになってあげる」

 その一言で僕は有頂天になっていた。

「美里、幸せにするからついてこい」
「うん!」
「美里…美里!」
「智…あ、ねえ、ちょっと待って、避妊だけはちゃんとして。しばらく
は…半年ほど…あぁン!」
 まあ、それもそうだろう、僕だっていきなりパパになるつもりはない。

 その翌日のことだった。同期の吉田が僕の肩をぽんとやった。
「なんだよ?」
「あの早坂麗子がな」
「それなら知ってる、予言者やってるって言うんだろ?」
「予言者ってか、まあ占い師だな。今度はネット界を騒がせてるみたい
だぜ」
「ネット界?」
「ホムペ持って、いろいろやってるらしい。メールで占いを受け付けた
り、彼女自身が出張して占いを引き受けたりと、いろいろな」
「ふーん」
「でな、そのサイトの中に恐ろしいコーナーがあってよ、死者のリスト
と言うんだが」
「もういいよ、そんな話。忙しいんだ邪魔するな」
 このとき僕は、仕事中に何を言い出すのだろうと、ろくに聞いてはい
なかった。今夜も残業で遅くなる。くだらない話に付き合っている暇は
ない。

 終電間際に自宅に戻り、メールをチェックするのにパソコンを立ち上
げた。遅くなった日は、チャットする代わりに美里がメールをくれてい
る。いつものように可愛いことが書いてある。美里の裸身が脳裏をよぎ
り、ストレスが消えていく。
 メーラーを閉じ、電源を落とそうとスタートボタンにポインタを置い
たとき、僕はふと早坂麗子のホームページがあることを思い出した。サ
イトは検索で見つかるはずだ。

「えーと、なになに、死者のリストね…」 
 サイトの中を見渡した。明日も朝が早くゆっくりしている時間はない。
文字の大きな見出しだけを拾い読む。
「あった、これか。えー、『あなたのお名前、お歳、生まれた月日をメ
ールに書いて、全身(後ろ姿可)のお写真を添付していただければ、半
年後のあなたの運命を予言させていただきます』…なんだそりゃ?」
 もう一度見出しに目をやると、「死者のリスト」というタイトルの下
に小さな字で、「半年後のあなたの生存率を占います。確率30%以下
の方はくれぐれもご注意くださいませ」と書かれてある。
「ふざけるな、まったく…」 
 なんたる悪趣味なと思いながらバッテンボタンを押そうとした。この
とき押してしまえばよかったのだ。

 それから二ヶ月後、僕が三十四歳になるのと合わせるように、僕と美
里は結婚した。ささやかだが皆に祝福される幸せな式だった。しかし運
の悪いことに、美里の方に結婚直後から向こう一年の予定で海外赴任が
待っていた。世界中にネットワークを持つ一流企業には、おうおうにし
てそういう悲劇があるものだ。
 しかし、しょうがない。一年ぐらいはすぐ過ぎる。涙をためる美里を
空港に見送って、戻ったその夜。いつものクセでパソコンを立ち上げる
とメールが来ていた。
 あのとき、そんなメールを出したことさえ忘れてしまっていたのであ
る。

 早坂麗子の「死者のリスト」よりの返信です。
 アクセスが殺到してしまい、お返事が遅れて申し訳ございません。
 あなたのために占った結果をご報告いたします。 早坂麗子より。 

 浦本智也様 三十三歳 6月9日生まれ
 半年後の生存確率・・・残念ですが0%。

「う、嘘だ…そんな…」

 僕はハッとした。手を尽くして調べてみた。美里が、あれほどしぶっ
た結婚をあっさり承諾し、そのくせ夜になると避妊をしつこく迫ってき
ていた。半年間は気をつけてとことさらに言うのである。
 そして美里が僕に一億円の生命保険をかけていると知ったとき…海外
赴任も自ら志願したものであると知ったとき、僕は目の前が暗くなる思
いがした。
 あいつは今度の赴任のため、薄くて軽いノートに買い換えて持って出
た。以前のパソコンが棚の上に置いてある。

 美里はもちろん僕の写真を持っている。

 浦本智也様 三十三歳 6月9日生まれ
 半年後の生存確率・・・残念ですが0%。

 あいつの古いパソコンに消し忘れたメールデータが残っていた。

 したたかに酒を飲んだ。新居の部屋中に灯油をまき散らし、頭からも
かぶっていた。捨てずに取ってあった早坂麗子の号外を丸め、ライター
で火をつけた。
 普通、生命保険というものは契約から一定期間が過ぎないと自殺では
保険金は受け取れない。
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