流砂(二話)

国が定めたホームヘルパー養成研修、百三十二時間。そのすべてを
終えた、その日のこと。夕方一度アパートに戻った私は、いつになく
花柄のロングワンピに着替えて、夜の街に遊びに出たの。中学時代
の友達と何年ぶりに会えるのかしら。これでヘルパー二級の資格が
もらえる。その喜びももちろんあって私の心は浮き立ってたわ。

渋谷のハチ公。東京を知らない彼女だから、あそこならはぐれること
もないでしょう。彼女より先に着かないと。それで私、ちょっと焦って
いたのよね。仕事と研修の両方で予定よりも帰宅が遅れた。待ち合
わせた時刻にぎりぎりだった。

そして駅。長い長いエスカレーター。左側に人が立ってて右側を歩く
でしょう。ステップの右側に飛び乗った私は、足を速くしていたの。
登り切る十段ほど手前でつまづいちゃった。ヒールのかかとが引っ
かかった。で、そのとき、ハンドバックの中身が散らばった。夏だから
籐細工のバッグでね、口が大きく開いたカタチのもの。エスカレータ
ーは動いてる。
こぼれたものを拾おうと焦ってしゃがんだようなんですけど、エスカレ
ーターのステップにワンピの裾が噛んでいたことに気づかない。登り
切ってステップが床に吸い込まれて行くでしょう。落としたものを全部
拾って立とうとしたとき、立てなくなった。どうすることもできなかった
の。
ワンピの生地が引きずり込まれて行くのよね。下にいて異変に気づ
いた女性からも悲鳴が上がった。

一馬さんとの出会いはそのときでした。ステップの少し下に立ってい
たあの方が駆け上がり、ワンピの生地を掴んで引き裂こうとしてくれ
た。でも裂けない。薄くても強い生地。一瞬の判断だった。一秒遅れ
たら危なかった。
一馬さんね、裾じゃなくてワンピの首のファスナーに手をかけた。力
任せ、もの凄い音がして生地が裂けたわ。お尻まで一気に裂いて脱
がされちゃった。渋谷駅よ、人がわんさとたかってた。その中で私、
オレンジ色のブラとパンティ、夏だからナマ足だったし、ほとんど裸に
されちゃった。
寸でのところで私を救った一馬さん、夏だから彼も半袖シャツ一枚、
会社が近くて上着を着ずに出ていたらしい。その大きなシャツをさっ
と脱いで私に羽織らせ、青ざめて震える私をガツンと横抱きに抱い
てくれたのよ。

「もう大丈夫だ、安心なさい」 男らしい声でした。

そのまま駅の事務所まで。扉が閉ざされて衆人の目が消えて、駅員
が羽織るものをくれたとき、私はハッとしちゃったの。一馬さんたら上
半身裸だもん。厚い胸板。そんな姿で私を連れて来てくれた・・・。
そのとき私、気が動転しちゃってて、名前を聞くのも忘れてた。
そういうことがあると駅では事情を訊かれるようね。警察だって来る
そうよ。
後になって駅を訪ね「寺西一馬さん」だとお聞きした。会社もすぐそば。
私はもちろんお礼に伺ったわよ。

「あなたでしたか! うんうん、あのときは・・・うんうん!」
そう言って私の手を握り、目をまん丸にして笑ってくれる。一馬さん、
私にとっては騎士だった。大袈裟じゃない。救われたんです。涙が出
たわ。
せめてものお礼にお食事にお誘いしたの。そしたらあの方、何より先
にブティックへ。私の手首をガツンて掴んで引っ張ってく。あべこべに
償いだとおっしゃられ、素敵な花柄のワンピースを買ってくださった・・・。
流砂(三話) | Home | 流砂(一話)