流砂(六話)

そうやって時間だけをやり過ごしていたとき、一馬さんから電話が
あった。 奥様が寝込んでしまったらしいんです。心臓。狭心症で
しばらくは安静が必要だということだった。そうなると、家をみる者
がいないと一馬さんは安心して仕事にも出られない。
「住み込みの家政婦さんを捜しているけど、急なことでなかなかい
ないようなんだ・・・参ったよ・・・」
(何言ってるの・・・ちゃんと言って・・・恩人の窮地ですもの、あのこ
ととは別に、私でよければ飛んで行くのに・・・)
自分でも説明のつかない不思議な気持ちだったんです。一馬さん
が私を必要としてくれる・・・そう思ったときに、あの大旦那様も奥
様も私を必要となさっていると思ったの。
でも、違う誰かのためじゃイヤ。ちゃんと言って欲しかった。

「奥山さん、頼めないかな」

嬉しい・・・彼のためなら何でもできると思ったわ。私は部屋を飛び
出した。ヘルパーとしてじゃなく、女として。

奥様の看病と大旦那様の介護から、寺西家での暮らしがはじまっ
た。奥様は六十七歳、見た目はずっと若くて五十代でも通りそう。
寝込んだと言ってもね、寝たりきりじゃなくて、ただ無理ができない
だけ。お医者様の指示で安静にさえしていれば、やがて持ち直す
ということだった。
大旦那様は・・・そうね、失礼ですけどやっぱりミイラ。息をしてい
る死人のような存在でした。手がわずかに動くだけで体もほとん
どダメなんですから。

住み込んで二日目のこと。奥様の入浴のお手伝いをし、お湯のあ
るついでにと、大旦那様の体を拭いて差し上げたのですけれど・・・。
大旦那様、浴衣をはだけて裸にすると、背中と言わずお尻と言わ
ず、枯れた体のそこらじゅうに傷がある。切り傷だとか火傷だとか・・・。
これがマゾとしての愛の証? 私には理解できないことだった。

「あらあら、お爺ちゃんて傷いっぱいあるのねー。お婆さまにご奉
仕なさった思い出なのかしら」

何気なく、ほんと何気なく、そう言ってお尻の傷を撫でてあげたと
き・・・。
「ぁう・・・むぐぐ・・・ぁあ・・・」
お爺ちゃん、枯れ枝のような腕を伸ばし、弱い力で私の手を握る
のよ。落ちくぼんだ小さな目から、涙をぽろぽろこぼしておられた・・・。
どうして泣くの? 私がやさしくないからかしら・・・。

そんなお爺ちゃんに夢中になっていて、いつの間にか後ろに奥様
のいらっしゃることに気づかなかった。
「すごい体でしょう・・・鞭の傷、タバコの火傷、刃物の傷・・・惨い
と思うでしょうけど、お義父様には勲章なのよ」
「勲章・・・?」
「そう、勲章。お義母様に心からお仕えした証なの。可哀想にお
義父様、ここしばらく・・・」

奥様の声が消え、私はハッとしていたわ。
「それで泣いておいでなのでしょうか?」
「きっとそう。ご自分のご奉仕が足りなくてお仕置きされてるとお
思いなのよ。あなたのことをお義母様だと思っていらして、お許し
くださいお許しくださいって、泣いておいでなの」
「そんな・・・」
「毎朝ああしてご奉仕させていただくことが、お義父様にはご褒
美なんですものね。私が寝込んでからずっと放置されたままです
から・・・」
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