快感小説

新・如月夜叉(五話)

五話~夕刻の密会


 その同じ朝、早くに旅籠を発った嵐と江角は、穏やかな春の陽射しの下、ゆくりなく出会った友のように二人でそぞろ歩き、整備が進んで活気にあふれた内藤新宿を素通りして夕刻前には品川宿に迫っていた。内藤新宿あたりからいよいよ江戸らしくなってくる。並みの女なら歩ききれる距離ではなかったが二人ともに忍び。ここまで来てしまえば慌てることもなく、物見遊山のつもりで品川宿が迫るまで平然と歩いていた。
 江角が言った。
「そろそろ品川宿だね、人が多い」
 嵐はうなずく。
「うむ。あたしちょっと寄るところがあるから、このへんで」
「そうか。楽しかったよ、ありがとね。また会える?」
「きっとまた」
「うむ、ではここで」
 寄るところがあると言って離れたのは嵐の方だ。立ち寄り先などはなかった。ただちょっと茶店で時をやり過ごし、別々に品川宿に入りたかった。

 東海道ではないこちらからなら、品川宿を少し過ぎたあたりの二本松・・あれだ、あった。そのそばに目指す場所があるはずだった。
 緑に囲まれた小高い丘、甘味処 香風。
 空を見上げる。斜陽が消えゆき薄い墨が流れ出す。教えられた通りの道筋を行き、なだらかな坂を登り切ったところ。香風のひなびた佇まいの前に、嵐は立った。

 ひっそりと佇む尼寺のような造り・・玄関などはなく、竹垣の奥を隠す垣添の木に隠れるようにして、裏庭と建物の間を抜けて中へと入るようになっている。門に立って人目につかないよう工夫された茶店。それは忍び屋敷にも共通した造り。さすが照女比丘尼だと嵐は思った。
 建物の造りは古いが板戸はするする開いて滑りがいい。よく手入れされている。
「あのう、もし・・」
「あ、はいっ。失礼とは存じますが・・?」
 若いお燕が迎えに立った。今宵は甘味処の商いをとっくに終え、特別な集まりのために支度を整えていた香風であった。
「嵐です」
「ああ、はいっ、如月の嵐様ですね、どうぞこちらへ、皆様お待ちかねですよ」
「皆様?」
 嵐はちょっと眉を上げた。今日のこの刻、香風を訪ねよ。それ以外のことを聞かされてはいなかった。時刻は暮れ六つ(六時頃)になろうとした。

 薄茶に赤い格子柄、それに錆茶色の前掛けをした娘髷の可愛い娘に案内されて奥の間へと連れて行かれる。
 その部屋はそう広くはなかったが、座卓などは置かれてなくて座布団が配られるだけ。余計な物のないゆったりとした空間だった。
 嵐が通されると、そこにはすでに四人の女たちが顔を揃え、奥の上座に庵主が濃い紺の法衣をまとって座している。頭巾はしない。市松人形を思わせる梳き流したおかっぱ髪。色白で鼻筋の通った、それは美しい尼僧である。
 客人一人一人の前に膳が配られ、葛菓子(くずがし)と茶が用意された。
 部屋を覗いて見渡して、嵐はくすりと笑ってしまった。
 やはりそうか・・お遍路姿の江角が女の中に混じっている。
 江角もまたしかり。やっぱりね・・といった面持ちで眉を上げて微笑んで、そしてすぐに真顔になった。

 嵐の顔を見るなり、庵主・・いいや百合花は、たまらないといった笑顔を見せた。我が子を見るようなやさしく煌めく眸であった。
「ああ嵐や、よく来てくれましたね、もう何年ぶりでしょう」
「はい百合花姉様、お元気そうで何よりです」
 そして百合花は手招きする。
「こっちへ来て顔を見せて」
「はい・・うふふ」
 庵主は腰を浮かしながら歩み寄る嵐の両手を握り締める。嵐の顔をまじまじと覗き込む。
「なんと・・嵐や・・ますます母上様に似てきますね、ああ美しや・・」
「姉様こそ少しも変わっておられません」
「おほほ、またそんな、もう四十なんですよ。さあさ座って嵐、早速話をはじめましょう」
 嵐の座は、上座の庵主のすぐ隣に整えられてあった。庵主とほぼ横に並ぶ感じで、他の四人は皆下座ということになる。
 庵主は、皆を見渡して言うのだった。

「ではお話しましょうか。わたくしが照女比丘尼、いまはもう百合花と名乗っておりますが、かつては尼僧、いまは違う。皆は庵主と呼びますが、どうとでも呼んでくださいね」
 嵐を除く四人の女たちが浅く首を折って会釈した。
 そして庵主は、嵐の膝に手を置いて皆に言う。
「分け隔てするようですが、こなたにおるは、皆も名ぐらい承知でしょうが、戸隠の流れをくむ最強の忍軍と言われた如月一族のお頭様の娘、嵐です。母はかの如月の霧葉様。すでにこの世にはおられませんが言い伝えとなるほどのくノ一でした」
 江角も含めた四人の視線が嵐に集まった。
「わたくしは、いまは亡き信玄様配下の血筋の者。信玄様亡き後、勝頼様の時代となる頃、わけあって、その頃まだ童だった私は厳しい立場に置かれることとなり、そのときに嵐の母様たる霧葉様に救われました。こなた嵐は生まれたばかり。この嵐と共に霧葉様を母様代わりにしてきたものです。今日こうして集まってもらったのは、いずれも名のあるくノ一ばかり。そちらから・・」
 と言って庵主は嵐に横目をやって、左手前に座る女から順に指差していくのだった。

「まず最初に、こなたが江角。伊賀の流れをくみ武家に育てられた者で、薙刀と槍、そして棒の達人です」
 江角はまた眉を上げて、ちらりと嵐を見ると、皆に浅く頭を下げた。

「次にそちらは白狐(しらぎつね)。相模の風魔流であり、吹き矢と毒使い、それに打ち根(小さな槍のような手裏剣)の名手です。
 白狐と紹介された女は、見た目で二十代の末あたり。嵐同様に質素な町女の姿であったが、眼光鋭く、すさまじい気迫を秘めている。美しいというよりも凛々しいと言えただろう。肌が雪のように白い。背丈はちょうど江角ほどか。

「さらにそちらは涼風(すずかぜ)、加賀の九紋流であり、鎖鎌と弓、それに素手での格闘ではちょっとしたもの」
 涼風は四人の中ではいちばん大柄。短く刈り揃えた黒髪はおかっぱの庵主よりも短くて、偽装のため貧しい農民の姿をしている。肌が浅黒く、しかし目つきは穏やかだった。歳の頃なら三十あたりか。この者は強いと皆は思った。体つきが男のようだ。

「そして最後に女郎花(おみな)。毒でならした紀州の神明流であり、毒もさることながら女陰働き(ほとばたらき=色仕掛けの暗殺)で名をはせた。『毒蜘蛛』という二つ名でも知られている。皆もくノ一ならわかるでしょうが、女陰働きができるということはくノ一の誉れ。若くして剣も槍も使いこなす手練れです」
「よろしくね、うふふ!」
 女郎花は明らかに若い。二十代の中頃だと思われたが、それにしても女の匂いがぷんぷんする。子猫のように愛らしい童顔で、長い髪をさらりと流し、江角同様にお遍路姿に化けている。胸が大きく張り出して女身の豊かさを物語る、男好きするくノ一だ。

「そして皆に言っておきます。こなた嵐は、母様ゆずりの如月流剣法の達人であり、並みの武士では勝てないでしょう。槍や棒を持たせても女人離れした技を持ち、弓の達人でもあります」

 そうやってひと通り皆をめぐり、話を戻して庵主は言った。
「とは言え、皆々すでに、いまはもう散り散りとなった忍びの一派ばかりですし、それぞれにやさしい女の心を持っている。そうであって欲しいと思う。皆のそこを役立てて欲しいのです。皆もあるいは聞いたことがあるやもですが、ここのところ江戸は鬼畜に悩まされておりましてね。『おしろい般若』と申し、つい先だっても、このすぐそばで酷い殺しをやってのけた。この一年に四人の娘あるいは若い奥方が殺されているのです。裸にされて逆さ吊り。脚を開かれ女陰に杭を打ち込まれて殺される。乳首は削がれ女陰や尻の穴まで焼かれてです。可哀想に体中が傷だらけ。そして女陰を貫く杭に、これみよがしに『おしろい般若』と印までを残していく」
「それなら知ってるよ、あたしは相模さ、すぐそこだ」
 と、白狐が言った。

 それにうなずき、庵主は言った。
「そこで皆を集めたわけです。御公儀としても、もちろん探索はしてはおりますが一向に進まない。それは敵が女であり、女にしか入り込めない場所にいるからやと。廓(くるわ)かも知れませんし出逢い茶屋かも知れない。どこぞの武家に腰元として入り込んでいるやも知れぬ。男の役人では太刀打ちできないわけですね」
 黙って聞いていた嵐が言った。
「あたしも聞いたことはありますが、それを我らに探索せよと?」
 百合花は違うと首を振って真顔で嵐を見つめた。
「探索ではありません、根絶やしです。見つけ出して消してしまう。敵の目的は江戸を騒がすこと。敵には黒幕もいるでしょうが、そうでもしておかないと見せしめになりません。場合によっては黒幕までを葬り去る。この香風を拠点として動いてほしいということです。一人千両の報酬をまずは約束いたしましょう」
「ひゅぅぅ、千両とはまた・・」
 くだけた雰囲気の女郎花が口笛を吹いて言った。
「以降のことは成り行きです。このお役目は御公儀のさるお方からの厳命でもあり報酬は間違いのないところ。さしあたって一人百両、この場で差し上げましょう。お燕や」
「はい庵主様」
 呼ばれ、そしてお燕が丸い盆に小判の包みを重ねて置いてやってきた。すぐ後ろに灰茶色の作務衣姿で源兵衛も控えている。

「皆にも紹介しておきましょうね、この子はお燕。乱世をいいことに押し込みに親を殺された孤児(みなしご)で、以来そばに置いているんです。それからそちらに控えるは源兵衛と申し、かつての私の寺の寺男だった者ですが、何かと面倒を見てくれます。元は気骨ある薩摩武士で剣でも強い」
 お燕の手で五十両ずつ二包みの小判がそれぞれの前に置かれて、話は終わった。

 庵主がそのやさしい眸をキッと涼しくして言った。
「敵が般若を名乗るなら、こちらは夜叉・・皆には悪いけれど私の一存で如月夜叉(きさらぎやしゃ)と命名することとしましょうか」
「如月夜叉・・強そうね」
 女郎花がにやりと笑い、江角が言った。
「私に異論はないよ、いいのではないか。この役目は嵐が束(たばね)さ。如月の嵐様がお頭っていうことだ」

 ここに、最強のくノ一忍軍が生まれることとなった。

 百合花は言った。庵主を偽るのもこの場限り。百合花と呼べと皆に言う。
「ねぐらは別に用意してあり、芝高輪、このすぐ近くですので案内させましょう。皆の着物や忍び装束、武具一式、すべてそちらに揃えてあります。今宵はまず旅の疲れを癒してもらい、くわしくは明日また、わたくしの方から出向きましょう。では源兵衛、案内して差し上げて」
「へい、じゃあ行きましょうか」
 皆が座を立ち上がる。
「嵐はちょっと・・」
「あ、はい」
 嵐一人を残して四人は源兵衛に連れられて出て行った。

 お燕もいなくなった静かな部屋で、百合花は嵐の手を取って涙をためた。
「嵐・・ああ嵐や、立派になって」
「姉様こそ、お綺麗です」
「ほんに可愛いことを言う。ああ懐かしや、見れば見るほど母様にそっくりね。ああ嵐・・会いたかった」
 抱き締めた。百合花は長身の嵐より、三寸(十センチ)ほども背が低い。大きな嵐に抱かれるようになってしまう。
 妹の嵐を抱いて背を撫でながら百合花は言った。
「許せない・・しゃあしゃあとおしろい般若などとは胸くそ悪い。けれどそのためにおまえまでを呼び寄せることになろうとは。許してね嵐、こうするよりなかったの」
「いいえ、お気持ちはもちろんわかります。あたしは忍び。役目ですので」
「うむ、そうね、それでこその如月一族。頼んだわよ、何が何でも見つけ出して消しておしまい。殺された女たちの恨みを晴らしてやって。・・ああ懐かしい、いい女となりましたね、ああ嵐や・・可愛いわ」

 姉妹として育った仲。信玄からの離反者の身内として葬られるところを、嵐の母、如月の霧葉に救われた百合花であった。

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