快感小説

新・如月夜叉(十話)

十話~錦絵侍


 百合花が去って、ほどなくしてお燕が嬉しそうに駆け込んでくる。店のほうは、いましばらくは源兵衛一人で事足りる。どのみち客が入りだすのは昼過ぎから。それまではいいと言われたとお燕ははしゃぐ。
 日陰を歩んだ五人にとって、お燕は眩しい存在だった。素直で気立てのいい娘といると自分までが穢れ(けがれ)を祓えたような心持ちになれる。
 六人で町へと繰り出した。今宵からは屋敷の厨で飯をつくる。揃えなければならないものがたくさんあった。五人ともに忍び。このような日和のいい日に小袖姿で連れ立って市場を覗いてまわるなど、これまでなかった暮らしである。

 この頃の品川宿から芝にかけての道筋は、江戸前の海にも近く、武家屋敷よりも寺と更地、野原が目立ち、関ヶ原の戦いからいよいよ江戸に移るということで、そこらじゅうで武家の家が造られはじめていたのだった。江戸の大工だけではまったく足らず、そういう意味でも人々が流れ込んでくる。活気にあふれる後の大江戸への創世期であった。

 お燕を加えた六人でそぞろ歩く。海沿いに造られた市場には、荷車や担ぎでやってきては店を開く行商も入り混じり、活気に満ちて騒がしい。このあたりにはもともと魚屋と八百屋が並んでいて、米屋やよろず屋が荷車でやってきたのがはじまりだったと言う。いまでは毎朝市が立ち、暮らし向きに必要なもののほとんどがここで揃う、お店街となっている。お客は寺の者、武家の者、それらの下働きから町人まで身分の別なく集まってくる。ほとんどが女たちだ。
「よーよー、こりゃまたぞろぞろ、いい女! 安くしとくぜ、覗いてけ!」
 ねじり鉢巻の若衆だった。二十代の漁師らしい。よく陽に焼けて、まくりあげた着物から覗く腿まで黒い。
 女郎花=お雪が応じた。色仕掛けを役目としたお雪は男の扱いに慣れている。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、あんたもいい男だよ。うまそうな魚だねっ」
「おうよ! 今朝方オラが獲ったもんさ、うめえうめえ! おめえさんもうまそうだがよ! はっはっはっ!」
「あたしゃ高いよっ、おまえさんじゃ手が出せないねー、あっはっはっ」
「おうおう、言う言う! あっはっはっ! 気に入った、持ってけ盗人!」

 丸々と肥ったアジやサバや黒鯛や、イカもタコも並んでいる。
 お燕が眸をキラキラさせて行商の荷車に取り付いた。店を構えた魚屋よりもこういうところが安いもの。しかしろくに買い物などしたことのなかった五人にとってはそんなものかと思うだけ。あたりまえの女の暮らしが眩しく思えた。
「いいアジだねっ、いくらだい?」
「おうよ、一匹一文! 三匹二文だ! あんたら六人、六匹で五文でいいぜ!」
 小娘と活きのいい魚屋とのやりとりが面白く、五人は囲んで笑い合う。
「ええー、それヘンだぁ!」
「何がヘンでい?」
「だってさー・・じゃあさ!」
「おうよ! 言ってみ、べっぴん小娘!」
 お燕はお雪の袖を引きながら喰ってかかった。
「あたし三匹、こっちの姉様も三匹、そうすりゃ四文でいいんだろ!」
「むっ・・むむむっ・・むむむーっ」
「違うってかい! ソロバン入れてみ! うひひひっ!」
「あっはっはっ、困ってる困ってる、あっはっはっ!」
 大声で笑いながら、お雪は心の中で泣きそうだった。解き放たれた女の幸せなど、とうに諦めたはずだった。

 そのときだ。少し先に人だかりができていて、争う声が聞こえだす。

「尾張のもんだとこらぁ! なもん、ここらで売るな、けえれけえれ!」
 一見して三十代とまだ若いが、粗末な身なりをした担ぎ女(行商人)が、道端にムシロを敷いて店をひろげ、西国で仕入れたという小間物を売っていた。それにごろつきどもがからんでいる。若い男が三人、地回りらしい。それもまだ小僧であった。
 何事かと六人が近寄ると、荷車で餅を売っていた年増の女が言った。
「ここらの元締めが死んじまって代替わりしてからこうなのさ。よそ者を虐めるようになっちまった」
 五人は顔を見合わせて、お燕まで六人でさらに歩み寄る。助けてやるのは容易だが目立つことはしたくない。
 商いの女は弱そうで、苦しい日々にやつれたようにも思われた。

 さて、どうしたものか・・。

 しかしそのとき、周りを囲んだ女たちから声が上がった。
「わぁぁっ、錦絵侍だぁ、いいところへ来たよー、助けてやってなー」
 ハッとしたようにお燕が顔を上げ、人混みの中にその侍を見つけて、ぱぁっと笑う。
「ああ瀬田様ぁ、助けてあげてー!」
「おろ? お燕じゃねえか、こんなところで」
「はいっ! うふふっ!」
 人混みから歩み出た侍は、まさしく錦絵(後の浮世絵)から抜き出たような男であった。
 紫帯の白い着物。品のある白い草履。細面で色白。月代(さかやき)を剃り上げず、それにまた鮮やかな朱色鞘の大小を腰に差して、どこから見てもお役者のよう。芝居の女形がそのまま歩いているようだ。歳は三十九であったが、とてもそうは見えなかった。若い。
 お燕が五人にこそっと言った。
「あのお方です、庵・・じゃなくて百合花様のいい人」
「ああ・・そうなのかい・・」
 惚れ惚れするいい男・・嵐や江角はともかくも、お雪もお菊もお涼も、皆がぽーっとなって見とれている。

 瀬田と呼ばれた錦絵侍は、ごろつきどもと女の間に割って入る。
「おいおい、いいじゃねーか、見ての通りで小商いだ、ケチくせぇことするんじゃねえ」
「何だとてめえ! 気色悪い女面でしゃしゃり出て来やがって! おい、やっちまえ!」
 ごろつきども三人が長ドスを抜いて襲いかかった次の一瞬、勝負はあっけなくついていた。目にもとまらぬ速さで身をさばき、朱色鞘から抜き去られた白刃がキラリと舞って、ごろつきどもの町人髷をふっ飛ばし、男たちはざんばら髪。そしてまた一瞬後に刃は鞘に収まっていた。
 頭に手をやって、なくなった髷を探り、目を吊り上げる男たち。
 瀬田は涼しい眸で言い放つ。
「二度と来るな、次には殺るぞ」
「ひええーっ、逃げろーっ!」
 尻に火がついたようにすっ飛んで消えていく。
「おととい来やがれ、クソちんぴらー! あはははっ!」
 町女たちが囃し立て一斉に錦絵侍に群がったが、しかし瀬田は、そんな女たちを掻き分けると、因縁をつけられていた商い女の前にしゃがみ込み、肌の荒れた女の手を取る。

「おまえさん、怪我はねえな」
「はい、ありがとうございましたお武家様」
「なあに、いいってことよ。ときにおまえさん、どっからだい?」
「はい、あたしは尾張商人の売り子です」
「ほほう、売り子? てえことは、その商人が仕入れたもんを売っている?」
「はい左様で。親方が上方で仕入れたものを、こうしてあちこちで」
「売り子はほかにもいるんだな?」
「はい、二十人ほどが方々に散ってます」
 瀬田はうんうんとうなずきながら女の手を撫でてやり、立ち上がりざまに言う。
「せいぜい励みな、じゃあな」
 瀬田が女を離れると、待ってましたと町女たちが群がった。
「ああんもう、やさしいんだからぁ・・ねえねえ抱いとくれよー」

「・・居合だね」
「うむ。それも並みの手合じゃない・・強い」

 嵐と江角が小声で言った。
 まつわりつく女たちの尻を撫でたりしながらキャーキャー騒がせ、小憎らしいほどの流し目で囲みを抜けて、瀬田はまっすぐお燕に歩み寄る。
「久しいな、お燕」
「ええー、一昨日会ったぁ! あははは、嬉しいなぁ!」
「ほうかほうか、一昨日会っても嬉しいか? ふふふ。おめえもいい娘になりやがって。脱がせりゃさぞかし香しい。舐めて甘く、ほおばりゃ、ほっペが落ちちまう」
「嫌ぁぁん、もう、恥ずかしいぃ・・」
 そして・・お天道様の真下ですっぽりお燕を抱いてやる。若いお燕が腕の中でしなるほど。

 キザったらしい・・いかにも江戸の小粋さだ。

 しかしその振る舞いはあっけらかんと、まさしく芝居のようでイヤミがなかった。 お燕は崩れそうな笑顔で間に立って五人を引き合わせ、それから七人でそぞろ歩いて屋敷へ戻る。
 瀬田は五人の女たちには微笑むぐらいで、屋敷への道筋をさっさと先に歩いて行く。
 百合花から聞かされているのだろうと、このとき皆は考えた。
 どことなく彪牙に似ている。江角も嵐も、くしくも同じことを考えていた。
 お燕が袖を引いて甘えた声で言う。
「あ、そうだ、ねえ瀬田様からもお願いして。あたしねっ、姉様たちと一緒にいたいんだ、いいでしょう」
「あの屋敷にか?」
「そうだよもちろん。ねえ瀬田様ぁ、庵・・じゃなくて百合花様はね、みんながいいならいいよって言うんだよー」
 べたべたに甘えるお燕。瀬田は大げさに眉を上げて首を傾げる。
「わかったわかった、頼まれれば嫌とは言えねえ錦絵侍・・しかしな、お燕よ」
「はい?」
「そろそろ童じゃあるめえし、人にものを乞うときには、それなりの見返りってえものがいる。ちょいと向こうを向きな」
「向こう? こうかい?」

 後ろを向かせ、小娘の尻を両手でそろりと撫でまわす。
「ぁきゃ! もうっ助平ーっ! あはははっ!」
 そして瀬田は五人に向かって眉を上げた。
「ま・・てえことでよ、考えてやっちゃくれねえか。お燕は寂しいのよ、ひとつ頼むぜ」
 そのとき嵐は、それには答えず、眉だけをちょっと上げて微笑んだ。
「わぁぁ、やったぁ!」
 そんな様子に飛び上がって喜ぶお燕。皆はただ唖然とするだけ。
 ますます彪牙を思い出す、江角と嵐。
 そしてお燕は屋敷には寄らず、そのまま香風へと去りかける。
「じゃあたし、お店があるから」
 瀬田が呼び止めた。
「お燕」
「あ、はーい?」
「今宵・・そう伝えてくんな」
「あいよっ! 喜ぶよー、庵・・じゃなくて百合花様! あはははっ!」
 童のように走り去って行ってしまう。

「・・よかった」

 そんなお燕を目を細めて見送る瀬田の横顔を、このとき嵐は見つめていた。 鼻筋の細く通った女のような美顔。かすかだが香木の香りがした。
 気配に気づいた瀬田が言う。
「あんとき丸裸に腰巻きを巻き付けてやがってな。膨らみだした乳まで見えた。可哀想に泣いて泣いて・・たった独りになっちまった」
 やさしい男・・五人の女たちは眸を流し合う。瀬田は臆することなく屋敷に上がり、茶を出されて、女五人に囲まれた。
「お初だな、みんな」
「はい」 と、嵐が応じた。
「そなたらのことも聞かされたさ。哀しいものよ、くノ一とは。だがそれも、これからは幸せってもんだぜ」
「どうして? どうしてそう言える?」
 白狐=お菊が斜め視線を投げかけた。お菊は芝居がかった男が得意ではなかった。

 瀬田は目を伏せてちょっと笑う。睫毛までが女のように長かった。
「だってよ・・」
「百合花様に率いられてか?」
「そうそう、それもある。俺にとっても観音様でな」
「惚れてるんだね」
「ああ惚れてる。こう見えても家康様の腹心、いまは亡き井伊直政様の家臣でな、俺の親父殿がよ。六十七だがぴんぴんしてら。しかして俺など三男坊、いてもいなくてもいい身の上。それでふらふら放蕩三昧ってぇ訳だが。そんときにお燕と出会い、たまたまそこにあった尼寺を覗いてみた。庵主はやさしく、お燕を抱いて涙していた。・・ふふふ、叱られたもんだぜ」
「叱られた?」
「こっぴどくな。錦絵なんたらと知られていたからな。いい歳をして情けない、それでも武士か・・娘を救うなんていいところもあるんだから、ちゃんとしろって怒鳴られた」

 皆は黙って瀬田を見つめた。思い出すような面持ちに百合花への想いが滲んでいる。
「惚れたね・・法衣をまとう尼さんを押し倒し、着物をまくって女陰を舐めてやったのよ」
「んまっ! 恥ずかしくないのかい、しゃあしゃあと」
 お雪だった。お雪は眸を輝かせている。お涼もそうだしお菊もそうだ。
「恥ずかしいものか、女に惚れるは人の常。そんとき庵主はこう言った。ともに地獄へ堕ちてくれるなら煩悩に戻ろうと・・女に戻ろうと言ってくれた。尼に対して不埒にも勃つものを庵主はしゃぶってくれてな・・嬉しいよって泣いてくれた。観音様さ・・百合花がすべてよ」
 女たち五人は胸が熱く、女陰が濡れだすような心持ちとなれていた。

 この時代の侍で、人前でここまで性愛を言える者などいない。
「愛おしい・・それはそれは美しい肌身でな・・ふふふ、ああ百合花、逢いたいなぁ」
 馬鹿馬鹿しいほど純な奴・・嵐はそう思って見つめていた。
「お、そうだ、ときにお燕のことだがよ」
「ええ?」
 それには嵐が応じた。
「置いてやってくれねえか。襲われれば足手まといとなるだろうが、お燕はそれをもいとわねえ。生きる喜びを見つけたのさ。江戸のために働くそなたらをちょっとでも支えたい、そのことで亡くした親に報いたいし、親代わりとなってくれた百合花にも報いたい。そう思っているんだぜ」

 嵐より先に、お菊が言った。
「わかってるよ、いい子だからね。女の寂しさなど、あたしら一人残らず知り抜いてるさ」
「寂しいか・・そうか・・」
 そして瀬田は、そのときそばにいたお菊の手を取って、そっと引き寄せ、手の甲に口づけをする。
「な・・何をする・・ンふ」
 お菊はどきどきしていた。見れば見るほど美しい男。侍に対して美しいなど、これほど食い違う言葉もないのだが、白い能面のやさしみのような、たまらない微笑みだった。
「おめえの名は?」
「菊だよ」
「お菊か・・ふふふ、風呂入ろ」
「な、何を言うかっ! 怒るよーっ!」
 お菊は赤くなっている。
「あっはっはっ! おっといけねえ、長居しちまった。みんな幸せに暮らすんだぜ、あばよ」
 眉を上げ、小首を傾げて、刀を手にひらりと身を翻す。あまりにも芝居がかり、五人が呆然とする中で、瀬田は風のように去って行った。

 お雪が囁くように言う。
「・・どうしよう」
「何がさ?」
 お菊が横目をやった。
「濡れちまった・・きっともうヌラヌラ・・」
「い、嫌だよ、もうっ! どいつもこいつも!」
 皆で笑う。
 いましがた一閃した、あの居合の技。瀬田は強い。それだけに皆は男の悲哀を感じずにはおれなかった・・のだが・・。

「どうやら知れたね、あたしらの雇い主が」
「おそらくね」

 嵐と江角の声に、大柄でも賢そうなお涼が言った。
「そうだろうね。いくら庵主様でも口が軽いと思ってさ」
「井伊様のご家来筋か・・一人千両なんて、そうでもなければ用意できない」
 瀬田は公儀の側にあり表立っては動けない。このとき皆は、上からの指図が瀬田を通じて庵主に降りたものだと思っていた。

 家康の腹心中の腹心、井伊直政は、『井伊の赤備え』と言われる赤い甲冑で敵を震え上がらせた猛将だったが、関ヶ原で受けた傷がもとで二年ほど前に逝っている。
 瀬田の父がその直政の家臣。その線で与えられた役目ではないかと皆は思った。

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