快感小説

妻は幽霊(三話)

三話


 蔵之介とのことは母さんだって考えていないわけではないと祐紀子は思っていた。突然主人を失ってもうすぐ四年、蔵之介がいてくれなければ店はとっくにつぶれている。かつては二人の間で揺れ動いた女心。蔵之介にしても、節香のためでなければ戻って来たりはしないだろう。
 母さんには負い目があると祐紀子は思う。片や先々代の息子で一緒になれば店を継げる。蔵之介は一介の職人だったし、貧しかったその頃ではとても店など持てなかった。そういうことではないのだが身分が違うから奪われたんだと思っていないか。
 蔵之介は江戸屋に戻るまでの間、雇いの職人として都内に何店舗も店を構える神田が本店の大きな蕎麦屋を仕切っていた。相弟子の死があって昔惚れた女が困っている。それだから立場も何もかなぐり捨てて戻ってきてくれた。

 昔ソデにした男にすがらないとやっていけない。そういうことも絡み合って素直になれないのだろうと祐紀子は察していたのだった。
 節香はそれきり黙って寝たフリをしている。寝ていないことはわかりきっていた。
「あのね母さん」
「はいはい?」
「琢ちゃんのことだけど、やってみるって。いま上で話してたんだ。蔵さんだって先々のことを考えると、やるならいまからだって言ってたよ」
「本気なのかい? 修行は辛いよ?」
「本気よもちろん。姉さんや真央ちゃんの帰るところを俺が守るって言ってね。私が琢ちゃんの人生を考えてって言っても、サラリーマンはもういいって。さっき田崎のおばちゃんにも言われたらしいんだ」
「へええ、何て?」
「あの家守るの、あんたしかいないんだよって」
「そうかい、やるってかい?」
「下働きからだって言ってたわ。明日母さんにも言うって。まあ、そりゃそうよね、包丁握ったこともないんだから洗い場からよ。でもね母さん」

 節香は寝返りをうって娘を見つめ、ちょっと鼻で笑って言う。
「いいさ、わかったよ。そうしてくれるんならこんな嬉しいことはありゃしない。蕎麦打ちなんてまだまだ先としても、ちょっとしたもんならすぐ覚えるさ。ふふっ、嬉しいこと言ってくれるねえ。こんな店あたし限りでもいいんだけど、父さんに対してだって申し訳ないからさ」
「そうだよ。ここを建て直す意味も生まれるしね。だからね母さん、蔵さんとのことも素直になったほうがいいよ。母さんだってまんざらでもないんだろうし、どれだけ世話になったと思ってるの。前のお店で親方だった人なんだよ。母さんのためにこんなちっぽけな…」
 と言いかけると節香が先を言った。
「えーえー、わかってるさ。あの人見てりゃわかるもん。惚れてるよ、あたしに」
「んま。よくもまあ、しゃあしゃあと」

 節香はいま五十五で九月に六になる歳だったが、五つやそこらは若く見えるしスタイルもよかった。髪はパーマをあてたショートで、そこがちょっとおばさん臭いが、いまの時代の歳は昔とは違う。まだまだ若く綺麗だと娘は思う。
 一方の蔵之介は六十六歳。ピンピンした江戸っ子だったが添うならいまのうち。元気なうちに再婚してもらって、たまには温泉でも行かせてやりたい。
「そうかい継いでくれるってかい…ああ嬉しい、嬉しいねー、こんな嬉しいことありゃしない」
 薄闇の中でまたティッシュを抜く音がした。

 薄闇の中でパンと手を叩く音がした。
「おしっ、そんじゃまあ建て直すとするかっ。いくらなんでももう駄目だよ、あっちこっちガタだらけ。よしわかった、明日さっそく琢ちゃんと話してみるよ。大工さんにも相談してみる」
「うん、そうして」
「ちっとは元気が出てきたねー、あっはっは!」
「それと母さん、コンビニの社長のところにも」
「あーあー、そだねそだね、それもある。菓子折り持って行って来なくちゃ。こりゃ忙しくなるよー! あっはっは!」
 からから笑う江戸っ子母にちょっと笑って、祐紀子はそっと目を閉じた。

 祐紀子と姉の佐紀子は、中学から二人揃って水泳をはじめていた。高校になる頃には選抜されて競技に出るほど。選手としては姉のほうがやや格上で高校生の大会で何度か優勝したほどだった。
 しかし大学に進んでから、それもまた揃って競技を遠ざかり、姉はスキューバダイビングを部活でやるようになる。世界の海で潜るのが夢。妹の祐紀子は選手時代のコネでスポーツクラブに勤めだし、水泳のインストラクターをやっていた。
 姉を見ていてダイビングにも興味はあったのだが、軟体動物がどうにも苦手でその気になれない。ウミウシなんて化け物だとしか思えないしクラゲなど悪魔そのもの。タコは茹でたタコしか見たくもない。

 一方で姉の佐紀子は、まさに江戸っ子。男勝りなほどちゃきちゃきしていたものだし、蛇だろうが鼠だろうが怖いものなし。見た目は鏡のようでも性格はかなり違った。
 母親の節香は、その佐紀子にそっくりだった。ちまちましたことを気に留めない豪放なところがあり、小さな娘二人がイジメられて帰ってきたりしようものなら怒鳴り込んでいったものだ。

 けれどその母も、連れ合いを失ってからは青菜に塩。偽って威勢のいいフリはしていても、めっきり弱くなっていた。
 それを救ったのが蔵之介だ。そっちはそっちで、まったくのべらんめい。背丈こそチビだったが、かつてこの界隈で名の知られた若衆だった。職人は威勢がいい。作務衣を着た仕事姿はいなせな若者だったのだが、酒と女にははちゃめちゃ。しかし節香は、酒はともかく女遊びについては自分のせいだと感じていた。
 惚れた女を相弟子に奪われた。その相弟子は親方の息子であり身分が違う。それで荒れたんだと節香は思う。

 節香は嬉しくて眠れなかった。あたし限りでつぶす店だと思っていたのに、娘婿が継いでくれる。娘の一人を失って落ち込んでいたものが俄然血気に満ちてくる。先々代、先代と死に物狂いで守ってきた江戸屋。若い二人のためにも店を建て直し、またイチからスタートだと意気込んだ。

(佐紀、おまえのおかげだね…向こうで待ってておくれ。こっちにキリがついたら行くからね)

 涙があふれた。娘婿が店を守ってくれるのなら、もう思い残すことはない。嬉しくてならなかった。

 その頃二階で、琢也もまた眠れなかった。就職が決まらず妻の実家に転がり込んで、じつは肩身の狭い思いをしていた。コンビニだって妻の実家つながりの紹介で見つけたもの。
 おんぶにだっこ。すまない思いにつぶされそうになっていた。
 職人は厳しいものだと、ここに来てはじめて知った。たかが蕎麦屋。まるで外野の感覚しかなかったのだが、蔵之介の仕事を見ていて鬼気迫るものがある。
 うどんも蕎麦も難しい。麺ツユにも秘伝はあるし、天ぷらひとつ揚げるにしたって熟練がいる。蕎麦切り包丁なんてギロチンだとしか思えない。
 何もかもが新しい世界。決意させてくれたのは佐紀子の死だった。
 それもまた情けない。愛妻のためにもっと早く覚悟を決めるべきだった。弱い自分に腹が立ってならなかった。

 明日から新しい人生だと思うと、血が騒ぐ思いと、それより怖くなって眠れない。妻が言うように、そこへ踏み出してしまったら後戻りができなくなる。
 あ、俺の実家はどうする? 一度里帰りして報告して来なければなら
ないだろう。浜松だった。会社がつぶれたときも、なにせ結婚直後でバツが悪くて顔を出していなかった。妻を連れて帰ってきたい。
 あれもこれもがお化けが飛び交うように次から次に頭をめぐり、横になっても眠くない。
 父さんも母さんもこれで安心する。浅草指折りの老舗蕎麦屋の若旦那だ。

「若旦那って…へへへ、ムリだよなぁ…祐紀ちゃんが女将さんで俺なんて、きっとずっと小僧だぜ…はぁぁ」
 からっきし意気地がないとは思うのだったが、ため息ばかりが漏れてくる。

 ミシッ…ミシッ

「ぅ…」
 夏掛けを鼻までかぶって、目だけを出してきょろきょろとうかがった。茹で釜が止まって乾きだしている。古い家の板鳴りがますますひどくなる。
「ダメだ、眠れん」
 逃げ出したくなっても、生きた妻からは逃避できてもお化けからは逃げられない。取り憑かれて、きっと一生マゾ扱い。

 体を起こして布団に座り込んでいた。背中に嫌ぁな気配を感じた次の一瞬、冷たい手が後ろから回って首を絞める。

「うわぁぁ!」

 飛び起きた。夢だった。デジタル時計が深夜の二時を指していた。

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