快感小説

妻は幽霊(八話)

八話


 江戸屋を出て川べりを目指す琢也の足取りは、さっきまでのふらふらしたものではなかった。これから自分の蕎麦を目指す男の意気込みが地に足のついた歩みを生んでいる。
 浅草寺の二天門から川へとまっすぐ行った突き当りは、屋形船もそうだが夜のスカイツリーを眺めるベストポイント。川向うには高速道路が走っていて、むしろ街の雑景を覆ってくれる。
 今夜はいきなりの真夏の暑さが、街に染み込んだ梅雨の湿気を湯気にしたのか、闇の空がもわっと霞み、青くライトアップされた巨大な空の樹を幻想的につつんでいた。
 護岸のフェンスに手をついて見下ろすと、ちょうど真下に屋形船が浮いていた。川岸がコンクリートの護岸なのが台無しなのだが、いかにも夏の隅田川という風情だった。
 風が失せた。それだけに蒸し暑く、青いスカイツリーがソフトフォーカスの写真のようだ。

『たーくちゃん』
「えっえっ? うっわっ!」
 白い死に装束を着た透き通った佐紀子が、恋人が腕に絡むように寄り添って右にいる。
『やっほー』
「へへへ…やっほーじゃないよ、はぁぁ、怖いかも…」
『お化けだもん、そりゃ怖い。う~ら~蕎麦屋やぁ~、ヒュゥ、ドロドロってか? あははは』

 確かに腕を絡められている感触がする。そこはかと女の匂いも。

「ねえ佐紀ちゃん、その着物どうにかなんない? だから怖いんだよ」
『あらそ? ビキニ? ミニスカ? Tバック穿いたろか?』
「へへへ、いひひひっ」
 腑抜けたような笑い声。
『あ、コラてめえ、祐紀子って妻がありながら、ふてぇ野郎だ、祟ってやらぁ』

 妻の祐紀子と死んだ佐紀子は鏡の中の姉妹。百六十八センチ。背丈も一緒で琢也とまったく変わらない。顔の高さに顔があり、透き通った面色が不気味に光り輝く般若の形相へと変化していく。

「わかった、ねえ、わかった、ごごご、ごめんなさい」
『おしっ許したる。あははは』
 すーっとまたもとの佐紀子に戻っていく。
『嘘だよーダ。てめえ、からっきし意気地がねえな。タマついてんだろうな』
 琢也は生唾を飲みながら、引き攣った眸で、腕に絡みつく透き通った白い手を見つめていた。真っ赤なマニキュアが血のようだ。

『おうおう、そう言ゃあ琢ってTバックだよな。そうだそうだ、Tバックめ』
「何でそうなる?」
『瀬中琢也、T瀬中じゃん』
「ああダメだ、背筋が凍ってきた…怖いよー」
 佐紀子は手を絡めながら琢也の青くなる面色を意地悪く笑って見つめていた。
『それでよろしい。美しき死者には畏れをもって接するべし。冒涜すると怨霊となりて祟ってやるぅー、ひっひっひ』

 ゆらゆらと揺れる女声に変化した。
『お~化けは~ね~、ヒュゥ、ドロドロドロ~もわぁっと煙る夜の靄が好きなのさ~~、てね』
「はぁぁ、やっぱマジなんだ、お化けっているもんなんだぁ」
『しつこい。なんべん出りゃわかる。あのね、父さんが言ってたよ』
「え? 親父さん?」
『あ、そっか。Tバックって父さん知らないっけ?』
「えへへ、Tバックはやめて。ね、やめて。 知らないんだ、祐紀ちゃんに出会ったときにはいなかったもん」
『そだね、いなかったね。向こうで父さんに会ってきたのよ。笑ってたぜ。なんとまあ、なっさけない野郎だって。祐紀子が苦労するから、おまえがつきまとってシメてやれってさ』
 琢也は、ぎょっとして目の玉だけで横を見る。
「シメてやれって…そんなぁ、めちゃくちゃだぁ」
『でもね琢ちゃん、父さん嬉しいって。蔵さんと母さんのこともだけど、江戸屋もこれで安泰だって喜んでるよ』
「そう? だってこれからなんだよ修行するの。頑張るってのと、できるってのは違うじゃん」
『おい、てめえ!』
「はいっ!」

 琢也は泣きべそ。
『くくくっ、泣いてるしぃ。あっはっはっ、可愛いったらありゃしない。シャンとせいって。あのモヤシ野郎に言っとけって父さん言ってた。寝ても覚めても蕎麦のことだけ考えろって。蔵さん信じてついて行けって』

「うん、そのつもりだよ、頑張るからさ」
 ふと見ると、透き通った佐紀子が腕を取って肩にもたれかかり、目を細めて幻想的なスカイツリーを見つめていた。
「ありがと佐紀ちゃん」
『なぁに、いいってことよ、江戸っ子でぃ。けどアレだね、もうちっと生きていたかったな…ユッキー、琢ちゃんのこと案じてるよ。江戸屋のために夢を奪ったんじゃないかって内心苦しんでるし。ま、よろしく頼むワ』
 肩をひとつひっぱたき、すーっと闇に溶けるように姿が消えた。

 涙があふれた。家族の絆が、この世からあの世へとつながっている。靄に煙る幻想的なスカイツリーに手を合わせて祈った。
『ったくコノ、すっとこどっこい! 馬鹿か、てめえは。なもん拝んで何になる。あははは』
 声だけが確かにした。

 深夜勤務を終えて翌朝六時半には琢也は家に戻っていた。裏口からそっと入ったのだが、節香はすでに起き出していて、祐紀子もまさに起きようとしていたところ。
 琢也はコンビニで売っている女性誌を一冊持ち込み、なにげに下駄箱の上に置いたままシャワーへ向かう。
 気づいたのは節香だった。そしてそのとき部屋着に着替えた祐紀子が階段を降りてきた。

「戻ったみたいね?」
「うん、たったいまね。それよりほら、ごらんよ」

 女性週刊誌が、『夏蕎麦を手打ちで楽しもう』という特集を組んでいて、蕎麦打ちの写真付きで解説していた。監修は江戸蕎麦の名店、神田に本店のある蔵之介のいた店の親方だった。江戸屋に来なければ蔵之介が載っていたかもしれない。節香はちょっと複雑だった。
 けれども祐紀子は嬉しかった。
「さっそくだもん、頑張ってほしいんだ」
「ほんとよ、懐かしいわ何もかもが。父さんも昔はこういうの見つけると買ってきては見てたもんだよ。料理ってね、知っておいて損はないんだ。父さんだってスパゲッティとかさ、ニョロっとしたもん、かたっぱしから見てたから」
「ニョロっとしたもんねー、ははは。だけどまさか琢ちゃんがその気になってくれるなんて」
 節香はうなずいて朝食の支度をはじめようとした。

 少しして琢也が濡れ髪を拭きながら顔を出す。
「おはよ。お疲れさま」
「うん」
 祐紀子が応じた。
「朝は食べる?」
「いや、コンビニで軽く喰ってきた」
「じゃあ寝る?」
「少しね」
「いいわよ、お休み。お昼頃でしょ?」
「そうだね」
「お昼は食べる?」
「いや、それもいい。ちょっと本屋にも行きたいし外で済ませる」
「ふふふ、わかった、とにかく寝て」

「祐紀ちゃん」
「ぁン…ダメだってば、母さんいるし」

 ひそひそ話す若い夫婦の気配に、節香は厨房にいながら微笑んでいた。その昔、先々代の頃、この私も亭主となる若い大子と同じようなムードだったと考える。時代は変わっても夫婦なんて少しも違わない。
 夫を二階へ追いやって、祐紀子もまた厨房へ降りてくる。
「お昼いらないってかい?」
「みたい。外で食べるって。どうせお蕎麦なんでしょうけどね」
 節香は何も言わず、業務用の大きな冷蔵を覗いていた。
 コンビニの遅番は週交代。六日間夜が続いて一日休み、違う時間帯へとシフトする。朝の仕込みを見せてやりたいところなのだが、深夜勤務の間はしかたがなかった。

 朝食の支度が整う七時頃になって、蔵之介がいつもより少し早くやってきた。蔵之介も顔色が冴えている。厨房のすぐそばの六人席に腰掛けて、そのときそこに置いてあった女性誌を取り上げた。女性誌なんて忘れ物でもない限り滅多に店には置いてない。

「ほう、夏蕎麦を手打ちでね…ちぇっ、あの野郎エラそうに」

 蔵之介の弟子がいまでは親方となっている。雑誌を開いて目を細めて見つめる師匠。そのとき節香と祐紀が並んで盆を持って歩み寄る。
「こんなもん、またどうして?」
「あの人がコンビニで」 と、祐紀子はちょっと笑って座りながら言った。
「それって、お弟子さんだった人でしょ?」
「うむ、愛弟子だ。できる野郎でな。大学まで出てやがるのに何を思ったのか蕎麦一筋でやってきた男よ。だがよ、いまにして思や、おいらはここの仕事が好きだぜ。高級路線を行きゃあ上等な蕎麦粉なんぞどうにでもなるが、江戸屋にゃぁ蕎麦は庶民のもんだって先々代の想いがあらぁな。格式張って喰うもんじゃねえ。だからよ、おいらはいまが幸せなのさ」
「母さんもいるしね」
「おう。…ん? そういうこっちゃねえだろコノぉ。てめえ、だんだんおばちゃんになってきやがるな、ふっふっふ」

 笑える。節子と蔵之介が二人して照れているのが可笑しくてならなかった。

 開店。いつものように朝がはじまり、いつものようにご近所さんからお客が入る。祐紀子は母親にべったりで必死の面色で料理に向かう。京子はもちろん今日もいて、今日は店に出たきりで厨房に入ろうとはしなかった。
 鬼気迫る祐紀子の姿に感じるものがあったのだろう。
「いいお店だね」と、カウンターで蔵之介とひそひそ話す。若い夫婦がその気になった。うらやましいと感じていた。さまざまあって離婚はしても、子供のことを別にすれば寂しくなる。

 琢也が起き出してきたのは三時頃。そのとき店は時間が半端で空いていた。
 蔵之介がジロとにらむ。
「よお、やっと起きたかい」
「はい。なんだかよく寝ちゃって」
「ふっふっふ、わかったわかった」
 そのときは夕方からの仕込みも終えて、蔵之介も節香も京子も六人掛けのテーブルにいて、祐紀子はスーパーに買い出しに出ていた。
「女将さん、僕ちょっと出てきますね」
「あいよっ、行っといで」

 京子がにやりと笑って言った。
「お蕎麦でしょ?」
「そだよ。本屋さんと、それからどっかで食べてくる」
「はいはい。もう二人とも必死なんだから」
「え? 祐紀ちゃんも?」
「そうよ、あんた何言ってんの。お母さんにべったりで必死に覚えようとしてるのよ。まったく羨ましいわ、涙が出そう」
 しかしそれは、琢也をちょっと追い詰める言葉だった。

 正直言って焦りがある。妻ももう三十だし、妊娠のことだって考えなければならないだろう。結婚したとき二十九だったと言えばそれまでなのだが、決意したのがいかにも遅いと琢也は思った。
 コンビニにもまだしばらくいなければならないし、とにかく早く厨房に入りたい。蕎麦やうどんの本だけでなく料理の本を観てこようと思っていた。
 住んでいるのがアパートならキッチンでいろいろやれるのだけど、綺麗に掃除してあるプロの厨房でトーシロが下手はできない。職人とはそういうもの。だからこそ気ばかり焦ってしまうのだった。

 外に出た。晴れていて暑いのだが、ところどころに黒雲がちぎれていて、今日は夕立になりそうだった。
 久びさ上野に出てみよう。そう思って地下鉄に乗ってみて、ぶら下がる広告が目についた。
 蕎麦の畑。信州へいらっしゃいという観光案内。それまで気にもとめなかった蕎麦の世界が気になってしかたがない。そう言えば夏の信州は祐紀ちゃんと一度だけある。
 しかしそのときは蕎麦なんて気にもかけないことだった。建て直しで店を閉めている間、夫婦で歩いてみたいと考えた。

ピックアップ!


ウェブマスターはこちら リアル素人CLUB-XXX リアル素人CLUB-XXX

ここはハード性小説

SM~FEMDOM、レズと
官能小説らしい物語を集めてく。
新刊案内

レズ官能小説の二編集
自虐オナニー~レズ
●指だけじゃ飽きたらなくて
レズSM(露出)
●同名小説


好評シリーズ、発売開始!
官能ホラー
闇刈いわく堂シリーズ特別編
『白湯鬼さん』


~飾られる女たち~
インテリアドール紫織編
若く美しい性人形の日々へ


~飾られる女たち~
インテリアドール芙美子編
しっとり落ち着いた大人のSM

登録サイト





スペシャルリンク















ブロとも一覧

SM~猟奇の性書~官能

~ 艶 月 ~   
テキストリンク
アクセスランキング
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる