快感小説

妻は幽霊(十五話)

十五話


 人生は自分で思うほど長くはない。節香はそれを蔵之介を見ていても感じるのだった。あの頃、先々代の下で息子の大子とともに競い合った二人。どっちも無鉄砲な江戸っ子で、いま思っても笑えるほどの若衆だった。
 その蔵之介がめっきり老け込んでしまっている。あの頃節香は十九か二十歳かそんなもの。蔵之介とは九つ違う。蔵之介は六十六になったばかり、節香はほどなく五十七になる。
 大子との結婚を決めたとき、寂しそうに店を去って行った蔵之介の姿をいまだにはっきり覚えている。
 江戸屋も軌道に乗っていて幸せになるはずだったのだが、結婚からほどなくして人の好い大子は儲け話に騙されて大金を抜かれてしまうのだった。借金を抱えて子供をつくるどころでなく、夫婦二人で死に物狂いで働いた。節香二十五のときにようやく妊娠。子供の持てなかった時期を埋めるように神は双子を夫婦に授けた。

 そしていまから五年前、若い頃の無理が祟ったのか大子が倒れ、江戸屋が窮地に陥ったとき駆けつけてくれたのが、あのとき寂しげに出て行った蔵之介だったのだ。
 取り壊しの二日前に引っ越し。引っ越しを一日で済ませるためにも、節香は辛い決断をしようとした。これだけはどうしてもというものだけ残し、それ以外の江戸屋の歴史を捨てようとした。それは大子との思い出にも等しかった。
 蔵之介がいまだに想ってくれているのはわかりきったこと。人生の終焉を蔵之介とともにいたいと考えていた節香だった。
 しかし互いに言えずにいた。そんな矢先、二人いる娘の一人が夫の失業で転がり込み、もう一人が幼い愛娘を残して逝ってしまう。
 江戸屋を継ぐ家族ができて、新しくなる江戸屋に孫娘がやってくる。思い出に浸るのだけの暮らしはもういい。亡くなった夫も許してくれるだろうと考えた。

 明日が引っ越しというその日。古い江戸屋最後の営業は午後三時に終えていた。閉店の書き付けを張り出して板戸を閉め、夫と築き上げた小さな蕎麦屋は幕を引く。
 閉店後、パートの京子も入れて食事をつくる。蔵之介、祐紀子と若旦那の琢也のために、節香は残った蕎麦とうどんを両方使ったごった煮のようなものをこしらえた。苦しかったあの頃、大子と食べていた賄い食だ。夏なのに鍋料理。冷房を効かせて食べている。
 節香がしみじみと言った。
「私の江戸屋は終わったよ」
「何言ってるの母さん、これからじゃない、寂しいこと言わないで」
 けれども蔵之介は心を察してうなずいている。
「そういうことだな。大子の奴と築いた店とはここで別れよ。これからの苦労はおめえたちで背負ってけ。母さんを苦しめるな」

 琢也は口を真一文字に結んで妻の顔を見つめていた。
 蔵之介が言う。
「新しい江戸屋でこそおまえたちの母さんは女将さんだ。この意味わかるな?」
 若い夫婦はうなずいて、江戸屋にもすっかり慣れた京子が言う。
「私のこともよろしくお願いしますね」
「もちろんよ、お店も広くなるし忙しくなると思うから、お昼だけじゃなくお願いするかも知れないわ」
 祐紀子が言うと京子はきっぱりうなずいて、古い江戸屋の仕事を終えて帰って行った。

 そのとき琢也が一緒に立って、二階の夫婦の部屋から白い封筒を持ってきた。節香にそっと差し出した。
「女将さんこれ。三日後ですから取り壊しの翌日なんですが、親方と一緒に行ってらしてください」
「おやま、温泉かい?」
「水上温泉に二泊です。電車から宿泊券までがセットのチケットですから駅に行くだけですので」
 蔵之介はそっぽを向いて照れている。
 節香は差し出された封筒を割烹着を着たままの胸に抱き、うんうんと微笑んでうなずいた。
 節香が言う。
「蔵さん、ほら」
「お」
「お、じゃないでしょ! 甘えさせてもらいましょうね」
「うむ…まあその、何だ…アレよ」
「わかりません、それじゃ!」 と節香ににらまれ、ようやく少し笑顔になった蔵之介。
「すまねえな若旦那。じゃあのんびりさせてもらうわ」
 祐紀子が笑って言う。
「いえいえ、のんびりなら私たちも浜松ですから。そろそろ真央が来る頃よ」
「そだねー。ちょっと片付けようか。祐紀はそのへんでケーキでも買っておいでな。あの子、イチゴのが好きだから」
「はいはい。さっそくお婆ちゃんなんだから、あははは」

 皆が立ち上がったとき、蔵之介が店を見渡してちょっと頭を下げたのだった。相弟子との日々が終わるような気がしたのかも知れなかった。
 蔵之介を風呂へやって、琢也と二人で厨房に入って最後の片付けをし、祐紀子がケーキを買って戻ったとき、カラスの行水で風呂を済ませた蔵之介が髪を拭きながら店に出てきた。
 そしてそのとき、戻ったばかりの祐紀子とタッチの差で裏口がノックされた。節香と祐紀子が目を見開いて顔を合わせる。
 野中が真央を連れてくる。野中は明日から遠征で、広島、大阪、名古屋をめぐり、しばらく帰って来られなかった。
 祐紀子が飛んで出て裏口の板戸を開けてやると、夏の陽射しが満面の笑みのように滲み入って、その光の中から赤いスカートを穿かされた小さな真央が飛び込んでくる。

「うわぁ、ママだー! ママぁーっ!」

 作務衣を着たままだった祐紀子の胸に小さな娘が飛び込んですがりつく。小さな手が作務衣を握り締めている。
「いい子にしてた?」
「うん、してたぁ!」
「あらそう? それじゃご褒美に海に連れてってあげますからね」
「うんっ! うわぁぁ海だー! きゃははは!」
 可愛い。たまらない。
 そんな真央に少し遅れて、裏口をくぐるようにして長身の野中が入ってくる。祐紀子は真央の背を押して節香へと導いた。
「さあ、お婆ちゃんのところへ行きなさい。イチゴのケーキあるからもらうんですよ」
「えー、ケーキあるのー? うわぁぁ、お婆ちゃん、ケーキぃ!」
「あらま、あたしよりケーキがいいのかい、あっはっは!」

 祐紀子は野中と向き合った。百八十八センチの圧倒的なスポーツマン。体の造作が普通の男ではない。百六十八センチの祐紀子が見上げる角度は憧れだった。
「やあ祐紀ちゃん」
「うん、お待ちしてました」
「真央のことお願いします。僕なりに懸命にやってきたけどどうしても無理だから」
「わかってますって、姉の子です、家族なんです、確かにおあずかりしますから」
 大きな野中が泣きそうになっている。姉を愛し、授かった娘を宝物だと思っている。そんな父親の気持ちが素通しで、祐紀子は胸が熱くなる。
「着るものとかは新しい住所に送っておきました。今日はトラベルバッグだけを」
 と言って、海外旅行でもするようなキャスター付きの大きなバッグを軽々と持ち込んだ。受け取っても持ち上がらないほど重い。

「それで野中さん、パパと離れることについては?」
「充分言ってあります。ママのそばがいいって言いますから、しばらくは問題ないとは思いますが。お店ができたら僕もちょくちょく遊びに来ますし」
「ええ、そうしてあげて。真央ちゃん喜ぶわ」
 真央は、お婆ちゃんに手を引かれて店のテーブルにつき、ケーキとオレンジジュースをもらってはしゃいでいる。

 そのとき厨房から顔を出した琢也。野中は力強く歩み寄ると、百六十八センチと祐紀子と同じ背丈の琢也の手を握り、申し訳なさそうに見下ろした。
 琢也はやはり圧倒される。琢也も祐紀子も選手時代の野中を知っていたし、引退したとは言え、浅草を歩くだけで目ざとい者は見つけてしまうスーパースター。何もかもが格が違うと感じてしまう。
 しかし野中は腰が低い。
「瀬中さん、よろしく頼みます、奥さんを使うみたいで申し訳ない」
「とんでもないっす、使うなんてそんな。歓迎ですよ。お義母さんもウチの奴も張り合いができていいと思います。お店を閉めてから僕の故郷へ真央ちゃんを」
「浜松ですよね?」
「浜名湖のそばですよ。向こうの海で遊ばせてやりたくて」
「重ね重ね申し訳ない。海へも行きたがりますがシーズン中はどうにもなりません。どうかよろしくお願いします。僕の方でも野球のチケットなど手配できますので、そのうちぜひ」
「はい、でも勉強しないと野球はよくわからなくて」

 祐紀子は、ほがらかに談笑しながらも、気圧されている夫を感じていた。建て直す資金のこともあり肩身が狭いに違いない。
「ママぁー、ケーキ食べようよー」
「はいはい、もう可愛いんだから…ふふふ」
 祐紀子は琢也にちょっと目配せしながら真央のもとへと歩み寄る。しばらく前に会ったばかり。ママと暮らせるということで、今回、真央は泣かなった。肩までの黒髪がツヤツヤしていて、大きなリボンで飾ってもらっている。
 姉そっくり。節香ももちろんそう感じていただろうし、祐紀子がもっともそれを感じた。私にそっくり。姉の子だとは思えない。
 ママと一緒にパパがテーブルに座り、幼い二つの瞳がキラキラしている。ようやく両親が揃ったと思っているのだろう。

 祐紀子は、真央の小さな手をそっと握った。
「ねえ真央ちゃん」
「はーい?」
「パパはね、お仕事があって一緒にはいられないのよ。真央ちゃんはこれからママとここで暮らすの。パパはときどき来てくれるけど、ずっと一緒にはいられないの。それはわかるよね?」
「うんっ、わかるぅ、真央はママといたいのー」
「そう? ママのこと好き?」
「うんっ、好きぃーっ!」
「お婆ちゃんのことも、あそこにいるお兄さんや、こっちのジイちゃんも好きにならきゃだめよ」
「こら、誰がジイちゃんよ…けっ」
 皆が声を上げて笑い、いきなり人が増えた賑やかな雰囲気に真央は嬉しくてたまらない。ここなら遊園地もすぐそこだし、いくらでも遊ばせてやれる。

 野中が祐紀子に言った。
「佐紀の奴とも話してたんですがね」
「ええ?」
「そろそろスイミングクラブに通わせようかって」
「ああ、はい、水泳を?」
「祐紀ちゃんもインストラクターだった人だから教えてやってほしんですよ」
「わかりました、そっちは得意ですから」

 いいムードだ。琢也は内心穏やかではいられなかった。それに真央も。佐紀ちゃんそっくり。つまり妻そっくりの可愛い娘。

「うわっ」
 口の中で声を飲んだ。
 隣りの六人がけのテーブルに死に装束姿の透き通った佐紀子がいる。透き通ったママは涙をためて娘を見ている。琢也はあやうく泣きそうだった。

『お願いねTバック』
「真央ちゃんにTバックはまだ早い」
『あ、てめえ! そうやって死者をイジメるんだねっ』
「てやんでぃ、何が死者だ、しょっちゅう出てきやがるくせに」
 テレパシーの会話だった。
 透き通った佐紀子は、アバヨと言うように手を上げて消えていく。
『覚えてろよてめえ。ふふふ、じゃねー』
「うん、任せとき」

「は? 何か言った」 と野中がきょとんとした眸を向けた。

 野中は眸を潤ませて娘を抱きくるみ、江戸屋の家族に頭を下げて帰って行った。目に入れても痛くない娘。愛してると顔に書いてあるような姿に、祐紀子は、野中という男は信頼できると感じていた。
 野中がいなくなると節香はますますお婆ちゃんになり、可愛い真央にベタベタだった。
「あ、そうだわ祐紀、暗くなったらスカイツリー見てくれば?」
「うん、でも明日のこともあるし」
「いいのいいの、引っ越し屋さんが来て一気なんだから行っといでな。夕飯もたまには違うものを食べさせておやり。うん、そうしなそうしな、琢ちゃんと三人で行っといで」
 ふと見ると真央がちょっと小首を傾げてにこにこしている。エクボができてたまらなく愛らしい。

 しかし琢也は言った。
「いや僕はちょっと。厨房の整理もあるしママと二人のほうがいいだろうし」
 そのとき祐紀子は夫の言葉のニュアンスに微妙な拗ねのようなものを感じていた。いましがたのパパの涙を見ているのに、そんなことではちょっと情けない。
「そうしようっか? ママとスカイツリー行く?」
「行くぅ! ママと行くぅ!」
 楽しくてしょうがないといった真央を見ていて、祐紀子は佐紀子になろうと考えていた。遠からずママには二度と会えないと悟る真央。よくわかっていないうちに姉との思い出をたくさんつくってやりたかった。  ママの記憶だ。

 江戸屋に戻ってからほとんど穿いていなかったミニスカートを取り出した。姉は派手好きでセクシーなスタイルを好んで着ていた。
 それともうひとつ。あの野中の妻として恥ずかしいスタイルはできない。佐紀子になりきってママになるためには野中の妻でもなければならない。嫉妬している情けない夫へのポーズの意味も含まれていた。

 暗くなり、着替えて出てきた妻を一目見て、琢也はちょっとヘコんでいた。妻の実家に居候同然に転がり込んでから滅多に見なかった美しい妻の姿。長い髪も梳き流し、化粧も整えた祐紀子は、いつもの妻とは様子が違う。
 俺が悪い。俺がダメだからつまらない女にしているのかも知れないと考えた。
 祐紀子は夫に奮い立って欲しかった。強引に手を引いて俺の妻だと言うような凛々しい態度を見せて欲しい。

 真央が来たことで夫婦の間に微妙なズレが生じはじめていたのかも知れなかった。

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