快感小説

妻は幽霊(二二話)

二二話


 その週の土曜日は、朝に晴れていたものが午後になって薄曇り。白い雲がちょうどいいフィルターとなって夏の直射を遮っていた。野球観戦にはうってつけの空模様も、幼い娘のために佐紀子が特別な力を発揮したのかもしれなかった。
 ここ数日、朝から晩までうどんと格闘した琢也には、いい息抜きになっていた。まさに集中修行。店を営業しながらではそうはいかないところ、日に日に琢也は上達していた。琢也自身も料理の世界が自分にとっての天職だったのではと思いはじめるほど、活き活きとした日々が送れている。

 横須賀。プロ野球、横浜シーシャインズのファームが使う球場は大きな海浜公園の中にある。試合はナイターで六時プレイボール。
 その試合の前に親子のような三人は、こういうことでもなければ来ることのない横浜の街に出て、小さな真央を遊ばせていた。真央も祐紀子も浜名湖の海以来、連日のプールで真っ黒け。子供はともかく祐紀子は、こんがり焼けた蕎麦屋の店員というのもどうかと思うのだが、泳ぎを教えているからしかたがない。
 真央は、浅草という新しい環境に連れて来られ、急にいなくなったママに再会。いきなり浜松の海に遊び、それからも毎日プール。浅草寺もあれば花やしきでも遊べスカイツリーもある。お婆ちゃんもいれば妙なジジイまでがいる面白い環境の中で元気いっぱいに暮らしていた。
 けれどやはりパパが恋しい。テレビで野球を見ると行きたい行きたいと言って祐紀子を困らせる。

 午後には横浜に出て散々遊び、好物のチーズハンバーグをおなかいっぱい食べて真央はご機嫌。
 二時間前の四時になって、三人は野中に言われたように球場一塁側のホームチーム通用口に向かう。チーム関係者以外は入れないゲートには守衛が立って、歩み寄る三人にちょっと頭を下げるのだった。選手の家族に違いないからである。
 祐紀子が真央の背を押して歩み寄り、そしたら真央がはきはきした言葉で言う。
「野中崇の娘ですっ。真央ですっ」
 初老の守衛は、可愛らしい小さなレディにしゃがみ込んでにっこり笑い、それから後ろにいる二人に目を向けた。祐紀子が言う。
「野中コーチのご招待で、こちらを通すようにと言われています」
「えーえー、はいはい、しばらくお待ちくださいね、いま連絡を取りますので」 と言っているそばから、通用口の奥の選手通路に、試合前練習のためかユニフォーム姿の選手数名がチラリと見える。

「わぁぁパパだぁ! パパぁーっ!」
 コンクリートの通路は声がよく通る。チラリと見えただけの選手たちが立ち止まり、その中の一人が明るい外へと振り向いた。
「おおっ真央か!」
「うんっ! 来たよーっ!」
 下は白、上は淡いマリンブルーにストライプのユニフォーム。同じくマリンブルーの野球帽。娘の声で小走りに駆け寄る姿は祐紀子にとってちょっと信じられないほど新鮮だった。カッコいい。
 百八十八センチにスパイクを履くから身長は百九十を超えている。日々の練習で真っ黒に焼けた凛々しい顔。近寄られると百六十八センチある祐紀子でさえ真上を見上げるようになる。

 そんな大男が、やはり大きな若手選手四人を引き連れてやってくる。野中は真央のもとへと歩み寄り、まるで崩れるように膝を落して抱き締めるパパとなる。
「よく来たな、うんうん元気そうじゃないか」
「うんっ元気ぃ! きゃははは、来たよー!」
 祐紀子は滲みだす涙をどうすることもできなかった。コーチという立場のスポーツマンが涙をいっぱいにためていて、小さな娘を抱き締めて右左と娘のほっぺに頬ずりしている。
 そしてそのとき一緒になって歩み寄った選手の一人が、なにげに祐紀子を一目見て、思わず声を上げたのだった。

「ええーっ、うっそー! あ、あ…ええーっ、そんなぁ!」

 祐紀子は可笑しい。お化けでも見るような素振りで目をぱちくりさせている。
「妹さんご夫婦だ」
「ああ、はいはい、お話には…でも、ええーっ、うそだぁ」
 事情はもちろん皆が知っている。双子の妹がいて娘をあずけていると。しかしまさに佐紀子そのまま。お化けそのものの祐紀子だった。
 野中が娘を抱き締めたまま苦笑して選手を見上げる。
「こらこら、馬鹿かおまえは、失礼だろう」 そして祐紀子に目をやって言う。
「こいつ佐々木って言うんですがね、オフにはウチの奴にスキューバを習ってまして」
「ああ、それで姉をご存知なんですね?」
 そう言う間も佐々木は放心したようにうりふたつの祐紀子をまっすぐ見つめていた。野中にも劣らない長身で明らかに二十代はじめの選手だった。

 真央は真っ赤なキュロットスカート、赤いサンダル。ピンクのTシャツ。大きな青いリボンの髪留めを飾った可愛いレディ。そんな娘を、パパは抱いては離して顔を見つめ、また抱いては離して全身を見回して、元気でいることを確かめるように小さな体を撫で回して抱いている。
 琢也も涙をためていた。野中はやはりカッコいい。野球選手をはじめて間近に見たのだったが、皆が大きく体が締まって精悍だった。
 そんな選手たちの中にいて、引退したとは言ってもちょっと前まで一軍レギュラーだった野中の存在は輝いている。
 野中は娘の頭に手を置きながら立ち上がり、あらためて祐紀子にうなずくと、そばにいる琢也に向かって握手を求めて手を差し出した。妻と同じく百六十八センチの琢也。靴の分だけ祐紀子の方が背が高い。真上から見下ろされる感じになる。それがコンプレックスだった。スポーツ用品メーカーにいると行く先々でスポーツマンに出会う。皆が大きく逞しい。琢也にとって密かに抱えたコンプレックスだったのだ。

 野中の大きな手は力強く、琢也の手をがっちりつかんだ。
「今日はどうもありがとう。娘のこと心から礼を言います。奥さんを使うみたいでほんと申し訳ない」
 琢也は笑って首を振り、大きな野中の手に手を重ねた。
「とんでもないす。真央ちゃんが来てくれて僕らも嬉しいんですよ。お婆ちゃんも喜んじゃってベタベタだし。こちらこそ誘っていただいて嬉しいです。僕も祐紀ちゃんも野球場ははじめてだから」
 野中はうんうんとうなずくと、娘の背中を押しながら守衛に言った。
「ということです、家族ですから」
「はいはい、どうぞ。楽しんでいらしてくださいね」

 トンネルのような通用口を突き抜けて、選手たちと歩いて行くと、途中右にそれる通路がある。
 野中が娘の背を押しながら琢也に言った。
「シートはこの先です、一塁側ベンチの真上に出ますからシートを確かめて座ってください。これから練習に入りますので、後ほどまたゆっくりと」
 そしてまたしゃがみ込んで真央を抱き、パパは言う。
「はしゃぎすぎちゃダメだよ、ママのいうことをちゃんときいて、おとなしくしてなさい」
「はーい! わぁぁ野球だぁ!」

 シートナンバーはメールで教えられていた。一塁側ホームチームベンチのほぼ真上。一軍ではないし真夏のいま、試合開始の二時間ほど前でもあってスタジアムは空いていた。
 土のグランドは放水されて黒く締まり、それがぴーんとした緊張感を醸し出す。
 アウェイチームの選手が先に散っていて守備練習をしているところ。ノックのゴロが飛んでサードが捕球、そこからセカンド、ファーストと矢のようにボールがまわり、グラブに収まるたびにパァンといい音。プロの野球が目の前に迫って見える。
 琢也が言った。
「凄いな、迫力が違う…」
「ほんとね。はじめてだけど、試合前がこんなだとは思わなかった」
 と、ほどなく相手選手が一斉に引き上げて、ベンチのすぐ前にホームチームの若い選手がぞろぞろ出てくる。
 その中心に野中がいた。祐紀子はぼーっとして野中を見ていた。カッコいいったらありゃしない。

「おのおの自分の課題を見つめて臨め! よしっ、行くぞっ!」
「おおーっ!」
 人望が厚いというのか、若い選手たちに慕われているのがわかる。  選手たちが散っていき、野中が青いバットを手にしてホームベースそばに立つ。ノックだった。
「サード!」
 パキィーッと乾いた音がしてゴロが飛び、捕球から即座にセカンド、ファーストとボールがまわり、最後にホームベースに戻ってくる。速いし若い選手たちの動きは鋭い。
「ショート!」
 またしてもゴロだったが、グランドが荒れていてボールがイレギュラーし、グラブをかすめて外野に抜けた。エラー。
「グラブは下からすくえ! リトルリーグみたいなことを言わせるな! いつまでファームにいるつもりだ!」
「はいぃ!」
「もう一球!」
 野中は打撃コーチのはずなのだが、そういうことを琢也も祐紀子も気づかない。二軍のヘッドコーチに昇格していたのだが、このときの二人にはわからないことだった。

 それにしても気迫が凄い。水泳の試合を知っている祐紀子。どんなスポーツでもそうだが競技にかけるアスリートの集中力はすさまじい。
 野中崇。姉もきっと、彼のこういう姿に胸をときめかせていたのだろうと考えた。姉が彼と出会った頃、それは恋人時代もそうだったが、正式に結婚が決まるまで姉は彼に会わせしょうとしなかった。生き写しの妹であり意識していたんだと、いまさらながら祐紀子は思う。
 しかしそれもうなずけた。あの頃の野中は一軍レギュラーのスター選手だったのだから。

 このとき琢也はプロの凄みを震えるほど感じていた。野中は野球、俺は蕎麦。妥協のない仕事をしなければならないと野中を見ていて痛感する。老体でありながら蔵之介が蕎麦を打つ姿にも鬼気迫るものがある。俺はまだまだ。野中は俺の歳のとき、すでにスター選手だった。なのに俺はいったい何をやってきたのか。口惜しかった。しかし闘志が湧き上がってくるのを感じる。

 そんな夫を、それとなく妻は気にした。男としてとても勝てないなんて思ってないか。双子の姉の夫はスーパースター。それにひきかえ俺はと、そんなふうに思ってしまうと、琢也は崩れてしまうと感じていた。
 卑屈になってほしくない。老舗江戸屋を継ぐことに胸を張ってほしいと思う。
「ふふふ、凄いな野中さんて。ちょっと口惜しい。ふっふっふ」
 つぶやいて笑う夫の眸にギラギラする気迫が見える。
「…俺も頑張らなくちゃ」
 そうよ、そうだわ。祐紀子は、弱そうだった琢也が、ここしばらくの江戸屋の暮らしで確かに変わってきていると感じていた。

「うわっ、また出た」
『出るよトーゼン。カッコいいなぁ彼』
 真央は祐紀子との二人の間に座っていた。妙な気配がして横を見ると、小さな真央はママの膝に抱かれてパパを見ていた。幼いながらもうっとりとした女の眸の色。パパは憧れの男性に違いない。
 透き通った佐紀子が真央の体に重なって、娘を膝にのせている。
「それは言える、カッコいい。俺なんかじゃとてもとても」
『そうかな? ユッキーはそんなふうには思ってないよ』
「どんなふうに?」
『江戸屋の若旦那じゃん。人はそれぞれ。ユッキーは琢ちゃんのこと好きよ』
「うん、ありがと」
『はー? 馬鹿かおまえは。あたしに礼言ってどうするかねー、あははは! ったく馬鹿みたいにいい奴なんだから』

 しかし透き通った佐紀子は、ちょっと寂しげに、うっとりとした視線を野中に向けたまま、膝の上の娘の体を撫でまわして抱いている。
「俺さ、思うんだ」
『何をかね? 言ってみんさい』
「祐紀ちゃんはもう真央ちゃんと離れられない。それは彼もそうだと思うんだ。そんな彼から引き裂いてまで引き取るなんてできないし、だとしたら、彼と俺とで夫が二人に妻一人みたいなことになるんじゃないかって気がするんだ」
『…うん。でも、だとしたら琢ちゃんはどうするつもり?』
「それでもいいと思ってる。祐紀ちゃんには佐紀ちゃんの人生も重なってると思うから。俺は俺を生きるしかないからね」

「ん? あー、消えてやがる! きったねえお化けだよなー」

 それは琢也の本心だった。ついさっき愛娘を抱いて泣く野中を見ていて、祐紀子には野中のことも支えてやって欲しいと思うのだ。
 生き写しの妹がいては彼だって死んだ妻を忘れられない。それこそが尊敬に値する男の愛だし、であるなら、それに応えてやるのが尊敬に値する女の情だと思うのだった。

 練習を終えた野中がバットを肩に担いで歩み寄る。グランドには一斉にグランドキーパーたちが飛び出して、荒れたグランドの整備にかかる。
 歩み寄る野中と祐紀子の目が合った。そしてそのとき声がかかる。
「野中ーっ! 現役復帰ーっ! まだやれるーっ!」
 少し離れたところにいた若者ばかり三人のグループだった。
 野中は手にした青いバットを差し上げて、白い歯を見せて笑う。
「おお、ありがとー! いまさら遅いけどなー! もうムリっ、年俸安くてやってらんねえーっ!」
「俺のバイトよりいいだろーが!」
「たぶんなー! 千倍ぐらいだろー! 嘘だけどよーっ! あっはっはっ!」
 プレイボールが近づいて埋まりはじめた内野席がどっと湧く。二軍の球場は一軍のスーパースタジアムとは違って観客との距離が近い。
 引退しても慕うファンがいる。そしてそのファンに野中はやさしい。人柄だと祐紀子は思った。

 ふと見ると真央が小さな手をちぎれんばかりに振っている。パパはバットを高々と突き上げてベンチの中へと消えて行った。
 今日は試合の後、横須賀のホテルに泊まることになっていた。チームは明日の日曜もここでまたゲームがある。選手たちの宿舎から遠くないところに野中がホテルを手配してくれていて、食事を一緒にと言われていた。

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