快感小説

妻は幽霊(二五話)

二五話


 揃って家を出て、節香と蔵之介は幼い真央の手を引いて歩き出す。そんな姿を見ていると初孫と暮らせるようになったお婆ちゃんのときめきを感じたし、家族のいなかった蔵之介にすれば、いきなり大家族の中に取り込まれたようでもあり、内心ほっとしているだろうと祐紀子は思う。
 考えてみれば蔵之介は一途な人。三十数年前に実らなかった恋を胸の底にそっと隠して生きてきている。人生最後の恋が、先代の大子が逝ってからふたたびはじまったようなものだった。

「いい感じね」 と京子が言った。
「ふふふ、そうね、いい感じ。蔵さんを見ていて思うのよ。五十年も蕎麦一筋でやってきていろいろあったと思うけど、何も言わずじっと噛んで生きてきた。男の人って強いなと思うわ。母さんのことを想い続けてさ」
「それは当然よ、男と女は知り合ったときの年齢のままですからね。老夫婦なんて言い方そのものが失礼なのよ。周りが勝手にレッテル貼ってるだけだわ。心は老いない」
「そう思う。素敵な二人よね」
「羨ましいわよ。私もいろいろあって別れちゃったけど、出会った頃の記憶だけは消えない。燃えるような恋だった。あの子ができてすっかりママになっちゃったけど私の中には二十歳の私が生きている」
「恋したい?」
 祐紀子はその言葉を聞いた京子の変化を読み取ろうとした。しかし京子は淡々と言う。
「女ですもん、ときめきたい想いはあるわよ。なんかさっきから婆さんみたいなこと言ってるけど女の三十一なんて独身がたくさんいるからね。子供の人生と親の人生は違う。手もかからなくなったし、そろそろいいかなって思ってる」

 歩きながら話していた。今日は空がすっきりしない。晴れてはいるけど夕立になりそうな斑雲が浮いている。
 家を出て節香ら三人は言問橋へまわる。小さな真央に合わせてのんびり歩く。店を見に行くならそっち。祐紀子と京子は反対向きに吾妻橋の側へとまわる。スーパーはそっちだったし、京子の家がその先だったからだ。京子はママチャリを押して歩いていた。
 姉の佐紀子の紹介で江戸屋へ来た京子。その頃ちょうど琢也の会社が倒産して、つなぎぐらいの軽い気持ちで実家へ戻った祐紀子だった。
 そこで京子に出会ったわけだが、ついちょっと前まで、祐紀子は夫への色目のようなニュアンスを感じて京子のことが得意でなかった。本能的に感じる何か。背丈も数センチ低くスリムな美人。家庭的で料理もうまく、私よりも夫に釣り合うと思ってしまう。警戒する気持ちが先に立って、なんとなくしっくりしない。

 なのにいま、その京子と親密に話せるようになっている。この変化は何だろうと思ったとき、祐紀子はかすかな背徳の想いに揺れる自分を否定できない。
 中心にいるのは真央だった。生き写しの姉に委ねられた、自分そっくりの幼子への無条件の愛。私の子だと感じだし、いまはもう疑いもなく我が子になってしまっている。

 その真央を溺愛し、姉を想い続けていてくれるやさしい野中を他人だとは思えない。琢也の妻として体は夫に占有されても、心は、それこそ一卵性の双子に育っていくように分裂しはじめ、それが自覚できている。野中に対して母性が騒ぎ出している。母性が動けば女は恋に堕ちていくもの。
 私がそうなのだから琢也だって…まあ、本音のところで相手の心は縛れないからしかたないことだけど、京子と少しぐらい仲が良くても咎められない。無意識にそう思い、だから京子の色目が許せるようになっている。
 祐紀子は妙な寛容さの答えがそこへ向かうのが怖かった。フィフティフィフティ。お互い様といった感情だ。
 生涯手放せない可愛い真央の背後にひろがる野中への想いが男女関係に発展していく気がしてならない。

 そうなると女は狡猾になれるもの。夫に京子がいるなら私に野中がいてもいいでしょう。そんな発想に変化しそうで怖いのだった。
 京子がなにげに言った。
「野球行ったんだってね」
「行ったよ」
「野中さんてカッコいいよねー。人種が違うというのか、あの頃のLを知ってるけど、一目惚れだしメロメロだった」
「そうなの?」
「あら知らない? そっか、姉妹だから逆に知らないかもね。Lったらもう夢遊病者みたいだったわよ。彼なら私は娼婦になれるって、わけのわからないこと言ってたもん。好きで好きで、チケットなんて彼がくれるから野球ばっかり見に行ってた」

 そして京子は横目に祐紀子をうかがった。
「ねえユッキー」
「うん?」
「野中さんに揺れるでしょ?」
「…どういうこと?」
 キュンとする。
「真央ちゃんはLそっくりよ。つまりユッキーそっくりだってこと。もう我が子みたいなもんでしょう?」
「それはまあそうだけど…」
「Lに言わせると野中さんてね」
「うん?」
「選手時代はちょっと嫌な奴だったって」
「姉がそう言ってたの?」
「言ってた。それはそうよね、スーパースターなんだし女なんていくらでもいる。だけど大怪我しちゃってさ」
「それで引退しちゃったんだもんね」
「Lが幸せになれたのはそれからなのよ」

 祐紀子は淡々と語る京子の姿をぼーっと見ていた。

「高すぎる鼻が折れたってこと?」
「と言うか母性の対象に変化したのよ。くわしく聞いたわけじゃないけどさ、そのとき彼はボロボロだったって。中学の頃から野球だけでやってきた人なのよ。お先真っ暗。崩れちゃったらしいのね。だけどそのとき可愛いって思えたって、Lが言うの」
「わかる気がする。姉ならそうだわ。女ってそうかもしれない。私がいないとダメになる、私が支えてあげるって思えるし」
「そうなのよ。それで彼は立ち直った。Lのこと女神だって思うんでしょうけど、ほんとの愛に変化したのはそれからだってことなのよ」
「そうなんだ」
 夕べ会ったばかりの野中の姿が目に浮かぶ。あの人にそんな弱さがあるなんて、ちょっと信じられない祐紀子だった。

「だからねユッキー」
「はい?」
「私がこんなこと言うのもどうかと思うけど、妻一人に夫が二人みたいな関係になっていければ幸せなんだけどな」
「そんな…じゃあ野中さんの妻でもあるわけ?」
「子供みたいなこと言ってんじゃないわよ」
「え…」
 穏やかだが鋭い言葉。ドキリとした。たかがひとつ違うだけの京子がひどく大人びて見えてしまう。
「そうなれれば周囲みんなが幸せだってことじゃない。まず真央ちゃんよ。いまのままならユッキーのことママじゃないってわかるようになったとしても離れられなくなるでしょうね。だってママなんだから。お婆ちゃんのこともあるわよ。お婆ちゃんにとってはどっちの娘の子だろうが初孫なんですからね。可愛くてならないでしょうし、いまさら引き裂かれたら悲しむわよ」
「それは…うん、悲しむね」
「と言ってよ、じゃあ江戸屋はどうするの? 琢ちゃんが継いでくれなきゃ、それはそれで破綻するでしょ?」
「…どうすればいいんだろ」
「真央ちゃんのママに徹することでしょうね」
「真央のママに?」
「あのねユッキー、妻より強いものは母なのよ。あんなに可愛いあの子を寂しがらせて泣かせるつもり? あの子を必死に守ろうとすれば野中さんも琢ちゃんも、お婆ちゃんも江戸屋さんも、すべてが幸せなんだから」

 こんな話になるなんて思っていなかった。モヤモヤとしたもののすべての霧が晴れた気がする。
「私はね、ユッキー」
「はい?」
「はっきり言うけど琢ちゃんのこと好きよ。健気だし可愛いもん。馬鹿みたいに真面目で、だけどほんとは強い人」
「やっぱりそう思う? 強いって?」
「これ内緒よ」
「あ、うん。なあに?」
「真央ちゃんが来たときね、琢ちゃん、ちょっとだけ私に言ったの」
「何を?」
「佐紀ちゃんになれるのは祐紀ちゃんしかいないって」

 衝撃的な言葉だった。そうなれればいいと思い、一方では、そんなに都合よく自分を切り替えられないと思い、じつは苦しかったことを夫はとっくに思い描いていた。
「Lの言葉をよく考えて。ほんとに愛する者のためなら娼婦になれる。それって女冥利と違うかしら」
 野中に抱かれろと言われたようなものだった。
「離婚して思うのよ、愛のなんのと言ったって、女は男をつないでおけない。相手が真央ちゃんのパパなら不倫じゃないと思うけど」

 その頃、琢也は自分なりのうどんと格闘していた。雑念は一切なかった。うどん玉を二つつくり寝かせに入る。その間もテーブルに本をひろげて見入っていた。今夜のうどんをどうしよう。それしか頭になかった。
 ページをめくる琢也の手に、透き通った佐紀子の手がそっと重なる。
「…佐紀ちゃん、いたんだ?」
『いまは恥をかくときよ、小さくまとまっちゃダメ、失敗の向こうにしか成功はないんだからね。ファームの選手たちを見たでしょう』
「うん、ありがとう」
『どういたしまして。ねえ琢ちゃん』
「うん?」
『キスしよ』
 透き通った佐紀子はテーブルの向こうにいたのに、体がテーブルをすり抜けてすーっと近寄り、何となく感触のある唇をそっと寄せる。

 琢也は目を閉じて佐紀子に従った。
『ふふふ、素直で強い人よね。いいこと教えてあげましょうか』
「何のこと?」
『おうどんよ、母さんの好みなの。お店では出してないけど、父さんが賄い食で母さんに食べさせてたんだ』
「へええ、どんなうどん?」
『うどんを白いまま食べられないかって母さんが言ったのよ。そしたら父さんが工夫した。カエシを使わずにダシ汁に塩とスダチの絞り汁で味をつけて、スダチをおろし金でちょっと擦って入れてやるだけ。母さんてスダチとかユズなんか大好きだから。父さんが死んでずっと食べてないから喜ぶよ。少しだけ大根おろしを浮かせても美味しいし』
「なるほど、白いうどんを白いままか…」
『ザルうどんでね、さっぱりしてて夏には美味しい』
「わかった、やってみる、スダチならあるし」
『ふふふ、ほんと素直。愛してる』

 愛してると言い残して佐紀子はすーっと消えていく。白いミニスカートにレモンイエローのワンショルダータンクトップ。浅く染めた茶色のロングヘヤーがサラサラ流れる。薄化粧も美しかった。
 お化けがどうやって身支度するのか不思議でならない琢也だった。

 孫娘を連れた節香と蔵之介は、川べりを歩いて帰路にいた。基礎ができかけた江戸屋を見て、それから浅草寺へ向かったのだが、夏休みの日曜日は真央が踏み潰されそうだった。
 二天門からまっすぐ隅田川へと抜け、スカイツリーを川向こうの正面に見て歩いている。
 節香が言った。
「おまえさんてスカイツリーは?」
「なもん行くわけねえだろ。のっぽの鉄塔見たってはじまらねえや」
「嘘ばっかし。高所恐怖症なんでしょ?」
「む…」
 蔵之介はちょっと頭を掻いて笑う。
「今度真央ちゃん連れて行きましょ。あたしも登ったことないし。行くよね真央?」
「うんっ、行くぅ!」
「どうせまたアイス喰いてぇとか言うんだろ?」
「ふんっ、ジイちゃんいじわるだぁ」
「そうか、意地悪か? あっはっは! 歩き疲れたろ? おんぶしてやっか?」
「うんっ! ジイちゃん大ぁい好きぃ、きゃははは」
 蔵之介は真央をおぶりながら節香へ横目をやった。
「すでに女だぜ」
「あっはっは、確かにねぇ、ああ可笑しい、あっはっは!」

 それぞれの道をたどって家に戻り、そしたらそのとき、いまの琢也ができる精一杯のうどんができていた。
 蔵之介は真っ先に打ち粉がまぶされた生のうどんをつまみ上げる。
「うむ、スイトンではなくなったな。だいぶましになってきたが、まだまだ稽古しないといかん」
「はい、それはもう」
 このとき祐紀子はとっくに戻っていて、琢也がうどんを切るところを見守っていた。ノバシも格段に上達し、切り幅は不揃いでも厚さはまずまず揃っている。信じられないほど上達が早い。まさに夏季集中修行がきいている。
 必死にうどんに向かう夫を見ていて、妻はすがすがしい思いがする。この人との人生を誇れると実感できた。

 暗くなる頃、ふたたび京子がやってくる。昼間見たそこらの主婦ではなく、花柄のミニスカートに青いブラウスを合わせた姿が綺麗だと琢也は思う。長い髪もきっちり梳かされて化粧も整え、見違えるように若い。三十一歳は娘ファッションで通用する歳でもある。

 戻ってから、節香は真央のために親子丼を用意した。甘辛い卵がのったご飯が大好物の真央は、可愛い眸をキラキラ輝かせている。
 皆が食卓に着いて、うどんはそれから茹でにかかる。琢也一人が作務衣を着た職人姿。茹で上げたうどんを揉み洗って氷を浮かべた冷水に晒し、ザルに盛ってそれぞれに配る。
 そのつけ汁を一目見て、節香はハッとしたように琢也を見た。蔵之介と京子は、それぞれ違う意味で琢也を見つめた。
 蔵之介が言う。
「ほう、いっぱしに工夫したようだな。この薄いつけ汁は何でぃ?」
「はい、ダシ汁に塩と、ほんのわずかカエシで醤油の風味をつけて、スダチの絞り汁で酸味を加え、生のスダチを擦って大根おろしに混ぜたものを散らしてみました。せっかくの白いうどんを白いまま食べられないかと思って」

『あー、嘘ばっか! 受け売りだもんなー、調子のいい野郎だよー!』

 もう一人、透き通った佐紀子が真央を膝に抱いて座っていたが、それは琢也にしか見えていない。
「…ごめん」
『あははは、もうたまらないっ、可愛い人なんだから』

 京子が眸を輝かせる。
「へええ、あっそ? 白いうどんなんてはじめてかも」
 節香は何も言わず、しばしじっと見つめると箸をつけた。一斉に皆が食べる。琢也一人が生きた心地がしない。味を話で聞いただけで味付けは自分なり。自分では美味いと思うのだったが…。
「ふうむ酢か、なるほどね」
 蔵之介はつけ汁の風味を手で扇いで風で感じ、それから麺を浸けて口へ運ぶ。そしてそのとき、節香は涙を溜めていた。
「ああ奇遇だねぇ、懐かしいねぇ。ちょっと違うけど、琢ちゃん、これを自分で考えたの?」
「はい、何かできないかと思ってやってみました」
 京子は祐紀子とうなずき合って言う。
「美味しい。さっぱりしてて、はじめての味だからすごく美味しい」

 節香がしみじみと言う。
「昔ね、父さんに同じことを言ったのさ。うどんを白い肌のまま食べられないかって。そしたら父さんが同じようなものを作ってくれたんだ。琢ちゃん、美味しいよ、凄いよね、わずかの間にここまでできるようになるなんてさ」
 しかし蔵之介は気に入らない。恋敵だった大子の味だからということではなかった。
「これはこれでいかんとは言わねえが、おめえにゃぁ、まだ早ぇえ。味を工夫する前ぇに麺を仕上げることだけ考えろ。まだまだ不揃いだ。客に出せるもんじゃねえ」

 節香は、それに黙ってうなずいて、けれども涙をこぼしながら食べている。
「あたしゃ嬉しいんだよ。気持ちではそうだけどね、お客さんにはそれじゃダメ、蔵さんの言う通りだよ」
 うどんばかりに話が行って、真央は興味があってしかたがない。一人だけ親子丼を食べながらママの手元をじっと見ている。
「うん? 食べたいの?」
「うんっ、ちょうだい」
 祐紀子が一口をツユに浸けて小さな口元へ運んでやる。琢也は真央の顔だけを見つめていた。
「わぁぁ美味しぃーっ! 美味しいよー!」
 京子が言った。
「私もそう思うわ。いまの琢ちゃんの精一杯を超えてると思うけど。凄いよ若旦那は」
 蔵之介が言った。
「おい、琢」
「はい?」
「嬉しいだろ?」
「はいっ!」
「その気持ちを、よっく覚えとけ」

 このとき祐紀子は、これで江戸屋は大丈夫だと安堵した。毎日が精一杯。この分なら、そのうち蕎麦だって打てるようになってくれる。

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