快感小説

妻は幽霊(二六話)

二六話


 二週続けて野球、次も土曜日、平塚でと思っていると、二日前の木曜日になって野中からキャンセルの電話が入った。予定より早く一軍へ合流して名古屋へ向かうと言う。そしてその代わりに週末を挟んだ次の火曜日、今度は横浜シーシャインズのホームである横浜スタジアムでの一軍戦に招待された。相手は神宮に本拠を置く在京球団。今年のセリーグは混戦で夏のこの時期になってもゲーム差がほとんどない。三位だったはずが二連敗すると最下位に落ちるといった熾烈な戦いが続いていた。それだけに打撃コーチの役割は大きかった。

「凄い球場ね、綺麗だわ」
「そうだな、ファームとは世界が違うよ」
 通称ハマスタは収容人員三万人。満員でも外野がスカスカの二軍の球場とはスケールが違い、球場そのものもカラフルで華やかだった。
 一塁ホームチーム側、内野席の前段に、真央を真ん中に三人並んだ。試合前でバッティング練習をしている。ホームベースのところにバッティングケージを置き、主力選手が次々に入っては鋭い当たりを飛ばしていた。そしてそのケージの後ろに野中がついて指導しているのだったが、球場が大きくて選手が小さく見える。

 と、ケージの中の選手がネット越しにコーチと何やら話していて、青いバットを持った野中がケージの中へと入っていく。三年ほど前まではクリーンナップを務めた野中。琢也は目を細めて見つめていた。
 祐紀子が指差して言う。
「ほらパパが打つわよ」
「うんっ!」
 真央は幼いなりに誇らしいのか、胸を張って憧れるような視線を向けて見つめていた。
「ミートポイントは一定に。ボールを迎えに行くな。打つポイントがズレるからおまえはダメなんだ。いいか見てろ」
 遠目にそんな声は聞こえないが、野中がピッチャーに指示を出し、ピッチャーが投げ込んだ。
 パキィーッという鋭い音が響き、白球がレフトフエンスぎりぎりまでライナーで飛んで行く。二球目はさらに凄く、センターバックスクリーンへ飛び込むホームラン。練習なのに内野席から声が飛ぶ。

「野中ーっ、ナイスバッチ! まだまだやれるーっ!」

 野中のファンは活躍を覚えている。球場で野中を見られることが嬉しくてならない。
 祐紀子は身震する思いがした。野球を知らない祐紀子にとって、目の前で話すことのできる真央のパパが、ユニフォームに身をつつんでフィールドにいて、いとも簡単にホームランを飛ばすなんて信じられない。
 真央が白球を追って立ち上がり、スタンドに飛び込むと手を叩いてきゃっきゃとはしゃいだ。
「のなかぁーっ! カッコいいーっ! きゃはははっ!」
 前回もそうだったが、真央はスタンドにいるときパパとは言わない。パパはファンみんなの野中だと知っているのかもしれなかった。
 今日はいまのところ佐紀子はいない。小さな真央には椅子が大きく足が浮く。ひょこひょこ曲げたり伸ばしたり。髪の毛にチームカラーの青い大きなリボンをつけた幼子は、野中の最大のファンだった。

 練習を終えて野中が歩み寄ると、ベンチ周囲のフェンスに多くのファンが群がった。そしてその中で、またしてもあの声がした。
「野中ーっ、現役復帰ーっ! やれるってーっ! 頼むよーっ!」
 あの若者たち三人だった。まさに追っかけ。熱狂的なファンなのだろう。声援は三人だけではなかった。フェンスにへばりついて口々に野中の名を叫んでいる。
「ありがとー! 考えてみるよーっ! 考えるだけだけどねー!」
 言いながら帽子を突き上げて手を振ると、ファンが喜んで騒ぎだす。琢也も祐紀子も、あまりの熱気に気圧されて見つめていた。こんな人が家族だなんて、ほっぺをツネったら痛かった。

 試合がはじまる。先攻のビジターチームが三者凡退。その裏、ホームチームの攻撃になって、一塁コーチャーズボックスに野中が立った。百九十センチ近い身長は堂々として、野中は若く、選手よりもカッコいい。
 祐紀子はぼーっとする羨望を抱きつつ見つめていた。プロの戦いの場に立つ勇者のイメージ。
 先頭バッターは三振するが、二番三番と連打。四番が大きな外野フライでランナーがそれぞれタッチアップ、ツーアウト二三塁の得点チャンス。五番バッターは外角攻めに追い込まれ、しかしツーツーの並行カウントから放った打球がライトフェンスぎりぎりホームラン。初回で三点を先行する最高の展開となっていた。

 ところが、そこは相手チームもエースピッチャーが投げている。それ以降互いにゼロを並べ、七回の表、相手にソロホームランが飛び出して3対1。さらに八回の表にはスリーランをくらって3対4。
 その裏の攻撃だった。ツーアウトながらランナー一二塁のチャンス。打順はピッチャー。
 そこで代打なのだが、ゲーム前に野中自身が打って教えた若い選手。代打、佐々木のアナウンスが響き渡った。
 佐紀子にスキューバを習っていたという、あの佐々木だったのだ。
 祐紀子も手を握って祈っていた。相手チームの投手はベテランセットアッパー。ノーボール・ツーストライク。若造など手玉に取られている感じ。
 そのとき一塁コーチャーズボックスの野中が、「行け!」と言うように握り拳でジェスチャーした。

 佐々木は打った。満員の観客が怒涛の歓声を上げる。右中間真っ二つのスリーベースヒット。2点を追加して5対4。そしてそのとき三塁に到達した佐々木が野中に向かって拳を突き上げ、野中もそれに応えていた。
 九回表、こちらは抑えのエース。三者凡退で1点差で逃げ切って勝利した。八回に代打で出た佐々木が九回表そのままサードの守備につき、勝ちゲームに躍り上がって戻ってきたとき、出迎える野中と抱き合っていることに、祐紀子は男同士の熱いものを感じていた。
「あたしたちが見に来ると勝つみたい」
「言える。てか、まだ二戦目だけどね、はっはっは。勝ったなー真央、よかったなー!」
「うんっ勝ったぁーっ! わぁぁーい勝ったぁーっ!」
 真央の頭を掻き回して撫でる夫の横顔を、祐紀子はじつは探っていたのだったが、琢也は満面の笑みで、吹っ切れていたようだった。スーパースターの人生に打ちのめされてほしくない。

「佐々木っ! 佐々木っ! いいぞいいぞっ、佐々木ーっ!」

 ライトスタンドから一塁内野席にかけての佐々木コール。球場が揺れていた。一度ベンチに引っ込んだ若者がグランドへ飛び出して帽子を振ってファンに挨拶。それでまた球場が沸き立った。
 ヒーローインタビューは、勝ち越しヒットを決めた佐々木だった。
 野中さんは嬉しいだろうと琢也は思う。自分が育てあげた選手に光が当たった。さっきスリーベースヒットを決めたとき、サード上で拳を突き上げていた気持ちがよくわかる。
 俺にとっては、うどんと蕎麦。俺はまだファームなんだと琢也は震える。
 今夜はこの後、真央を連れて野中と食事。球場そばの高層ホテルに泊まることになっていた。今夜は試合の進行が早く、終わったのは九時前だった。

 そのとき琢也が真央の頭を撫でながら言う。
「俺さ、先に帰るから」
「えっえっ? どうして?」
 琢也は笑って祐紀子の手を取った。
「いいからいいから、真央ちゃんと三人でゆっくりしてくればいい。真央ちゃんのことで野中さんとじっくり話すこともあるだろうし」
「でも…」
「ヘンに考えてるわけじゃないよ。パパとママと三人なんて真央ちゃんにはなかったことだよ。店がはじまればなかなかできないことだから、今夜ぐらい三人でいてやればいいじゃないか」
 琢也は明るかった。卑屈な素振りじゃない。
「でも琢…ほんとにいいの?」
「いいっていいって。帰って明日に備えたいし」
「うどん?」
「オープンが迫ってきてる。さっきの佐々木さんを見て震えたよ、帰ってやりたいこともあるからさ。今夜ぐらいママに徹してやればいい」
「うん…じゃあ、わかった。でもなんか追い返すみたいで」

 琢也はそうじゃないと笑って首を振った。新しい江戸屋は基礎もできて建ち上げがはじまっている。少しでも上達しておきたい。若旦那がいつまでも下働きではいられない。
 祐紀子は、純粋に夫の決意を感じ取ってうなずいた。この時刻からなら悠々帰れる距離だった。
 スタジアムからどんどん人がいなくなり、祐紀子は真央の手を引いて琢也と三人、球場の外に出た。琢也はしゃがんで真央の頭を撫でてやる。
「じゃあね、今夜はお兄ちゃん帰るから」
「うんっ、バイバーイ」
 あたりまえのように手を振る真央を見ていて、祐紀子はチクリと胸が痛い。わけもわからず突然パパと引き離された真央にすれば、祐紀子はママだが、琢也など知らないお兄ちゃんにしかすぎないだろう。琢也がどれほど可愛がっても、何でだろうと不思議がるだけ。
 琢也は、球場からあふれだす人の波に消えるように、手を上げて去っていった。

 夫を見送り、それから祐紀子と真央は、一塁側のチーム関係者のゲートへ向かう。そこでも真央は元気いっぱい、ハキハキしていた。
「野中崇の娘ですっ。真央ですっ」
「はいはい、お嬢ちゃん、守衛ですっ。なははは」
 守衛はまだ若かった。小さな真央にふざけて敬礼する真似をして、それから電話でつないでくれる。
「どうぞ奥へ。右側に関係者の控室がありますから、そちらでお待ちくださいとのことです」
 試合の直後でスタッフが行き交う中、真央の手を引いて祐紀子は歩む。野中の妻が死んだことは報道されたし、チーム関係者なら知っているのだろうが、球場スタッフのアルバイトには無関係なことだった。
 小さな娘の手を引いていれば一目で選手の家族とわかる。皆が会釈をして行きすぎていく。

 三十分ほどして、今日もまたオフタイムのスポーツマンといったスタイルで野中は現れた。角刈りが伸びたようなスポーツカット。陽焼けして真っ黒。白いスラックスに淡いブルーのサマーニットを合わせ、白い靴を履いていた。別世界の人。カッコいいとしか表現できない。
「よっ真央!」
「うんっ! 勝ったねパパぁ!」
「うんうん勝った勝った、真央が来てくれると勝つみたいだ」
「うんっ! きゃははは!」
 そして野中は、何人か人のいる控室を見渡して言った。
「あれ? トイレかな?」
「いえ、じつは先に帰るって」
「は? どうして?」
「お店のオープンが近いもので帰ってやりたいことがあるからって」
「あ、そうですか。じゃあお呼びして申し訳なかったですかね?」
「いいえ、それはもう楽しんで盛り上がってましたから」
「そうですか、じゃあそのへん、お食事しながらゆっくりと」
 祐紀子がうなずくと、その瞬間、野中の心は真央に持っていかれていた。軽々と抱き上げて分厚い胸に抱くと、真央は嬉しくてきゃっきゃと可愛い声を出す。

 今夜の野中はダークブルーのBMW。ファームと違って選手や用具を運ぶ必要がないからだろう。一軍は光の中に存在する。そういうところも違うのだろうと祐紀子は感じた。
「佐々木さん、やりましたね」
「まったくです、いいところで打ってくれた。監督も認めて明日はスタメンで行くって言ってますよ。あいつもう二十六なんです」
「二十六ですか、若いわ」
「いいえ、この世界では若いとは言えません」
 そうだった。かつて水泳選手だった頃のことを祐紀子は忘れかけていた。
「後から入った連中でレギュラーはいくらでもいるんです。あいつは行ったり来たりで伸び悩んでいましてね」
「嬉しいでしょうね?」
「もちろんです、だからファームが好きなんだ。一軍に上げられてもチャンスは多くはないんです。ああゆう場面で打てるか打てないか、ただそれだけで人生が決まってしまう。ファームにはさらに過酷な運命を背負った男が何人もいる。よそで戦力外、入団テストを受けて再起をかける者たちです。僕より歳上なんですよ。そういう選手のために働きたいのですが、こればかりはしかたがない」
「プロなんですよね、それが」
「その通りです。琢也君だってそうでしょう。蕎麦屋はいくらでもありますからね。味だけが勝負。まして江戸屋さんは老舗だし、彼の歳から下積みで、なのに若旦那なんて、プレッシャーは半端じゃないはず。必死だと思いますよ」

 嬉しかった。琢也の苦労を正しく評価してくれている。あの大怪我から、この人はどれほどの辛酸を舐めてきたのだろうと祐紀子は感じた。
「ありゃま」
「え?」
 野中が助手席を見ながら小声で言う。
「寝ちゃいました、真央の奴」
 パパの隣りで声を聞いていて安心したんだと、祐紀子は小さな真央が背負った辛い運命を考えていた。

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