快感小説

妻は幽霊(二九話)

二九話


 そして、九月一週の木曜日。新しい江戸屋はオープン当日を迎えていた。建物の引き渡しが予定より数日遅れて引っ越しの予定など多少は狂ったものの、以前の江戸屋とはまるで違う綺麗な店舗に様変わりしている。
 店の間口も敷地いっぱいに広げられ、板屋根の軒下をつくって古びた床几を飾り、観葉植物の鉢植えなども並べて懐かしい和のムードを醸しだす。入り口はアルミ格子の引き戸だったが自動スライドドアに替えられ、中に入るとすぐ右に、ガラス越しに麺を打つ職人技を眺めることのできる麺打ち台があって、その横の厨房との間のスペースには四人掛けのテーブル席が一席。その奥を厨房として、打ち上がった麺を運ぶ作務衣の高下駄という職人の姿を楽しめる演出がなされている。

 厨房を挟んだ奥側には、以前の節香の部屋から向こうのデッドスペースをなくして十二畳の座敷席が造られて、四人掛けの座卓が四席配置された。
 店を入った左側の広いスペースには四人掛けのテーブルが四席と、奥の壁際には六人掛けのテーブル席が一席。以前の江戸屋よりはるかに多くのお客を迎えられるようになっている。
 一階はすべて店舗。テーブル席と座敷にはもちろん明かり採りの窓があって障子を入れられ和風のムードにしつらえられた。

 住むためのスペースはバストイレまですべてが二階に造られて、八畳間が二つ、六畳間が二つ、さらに六畳の仏間を兼ねた一部屋が、廊下部分を緩衝空間として並ぶ造り。八畳の一部屋と六畳の一部屋は洋室であり、それぞれ客間と若夫婦の部屋として使われる造り。鉄骨構造で壁を厚くできるので音の通りにくい静かな部屋とされていた。
 下の店舗は、テーブルや椅子、座敷の座卓などすべてが入れ替えられて新しく、厨房や麺打ち台も以前の店から持ち込んだ調理道具以外はすべてがまっさら。どこもかしこもピカピカだった。
 新しい店のために、のぼりが二本用意された。ひとつは蔵之介がはじめる十割蕎麦用ののぼりで『江戸生蕎麦』と書かれてあり、もうひとつは、冗談混じりだった『若旦那の名物うどん』と書かれてある。
 節香、蔵之介、琢也、祐紀子、そしてパートの京子が作務衣姿で居並んだ。九月に入って真央は保育園に通いだし、開店前のこの時刻に店にはいない。

 今日はプロ野球は移動日で、神宮と東京ドームを本拠とする二チームとの六連戦のため、横浜シーシャインズがアウェイでやってくる。昼の営業を終える三時頃に野中が来ることになっていた。野中とは横浜スタジアムでの試合以来。そう続けて野球というわけにもいかず、チームも遠征で広島、大阪、名古屋を回っていたからだ。アウェイから戻ってホームで三連戦、そして今日の移動日だ。

 オープン十分前、店の前を覗いた琢也は震えがくる。およそ二月ぶりの営業ということで、界隈の顔なじみがずらりと列をなしている。十割蕎麦は蔵之介が準備した。うどんもかなりの量を琢也が打った。
 しかし、開店と同時に若旦那が麺打ち台についてうどんを打つことになっている。代替わりする江戸屋のデモンストレーションでもあり、こ
の二月、死に物狂いで頑張った成果をお客に見せるためでもある。
 五人で輪をつくり、節香が言った。
「なんかワクワクするねぇ。嬉しいねぇ。新しい江戸屋がはじまるんだ。夢のようさね。こんなに綺麗になったお店に立てるなんて思ってもみなかったよ。さあ、はじめるよ。店を開けなっ!」
 蔵之介が琢也の背を押した。
「おめえも出ろ、若旦那の挨拶だ。さあみんな、やるぜぃ!」
 皆が景気づけの声を上げ、祐紀子と京子が真新しいのぼりを手にして、若旦那が真新しいのれんを握った。

 オートドアのスイッチを入れると、ガラスの入った格子の引き戸が音もなくスライドする。一斉に出てきた江戸屋の家族へ、集まった近所の者たちが一斉に拍手をし、爺さんどもがはやし立てた。
「待ってたぜぃ節ちゃん! いい店じゃねえかっ!」
 五人全員で店の前に立ち、節香が集まってくれた人々を見渡して言う。
「長らくお待たせいたしました。代替わりした新しい江戸屋をはじめたいと思います。皆様どうぞごひいきに」
 蔵之介を除く四人が頭を下げたとき、蔵之介は琢也の背中をバシンと叩いて言う。
「ほれ若旦那、気の利いた台詞を言わねえかい!」
 琢也の顔色が青くなっている。皆は笑い、そんな中で田崎のおばちゃん率いるおばちゃん部隊が手を叩いた。

「立派だよ琢ちゃん、いっぱしの職人姿さ、ねえみんな!」
 開店前にひと騒ぎ。集まった人々は皆顔なじみで二十七人。一気に満員になる数だ。蔵之介が呆れかえる。
「何でぃ何でぃ! ったくゾロゾロとよぉ。俺っちを殺す気かい! はっはっは!」
 琢也が言った。
「さあ皆さん、開店です、どうぞどうぞお入りください」
「おおーっ!」
 ここらの人たちのお祭好きには困ってしまう。祝いの品を手に手に持って、中には一升瓶を二本さげてくる親爺までいる。
 琢也は真っ先に店に飛び込み、ガラス越しの麺打ち台に陣取った。

「へええ、若旦那がもう蕎麦を打つってか?」
「いいえいいえ、のぼりをごらんあれ。若旦那のうどんてことで、蕎麦にはまだまだ手が届きませんが、皆さんどうかあたたかい目で育ててやってくださいまし」
 節香が言うと、おばさん部隊は次々に節香の肩に手を置いた。
 田崎のおばちゃんなど泣いてしまって目頭を押さえている。
「よかったねー節っちゃん、立派な跡継ぎだよー、ねえ、これで先代に顔向けできるってもんじゃないか、よかったねー!」
 これが下町。誰もかれもがあたたかかい。
 琢也は、朝仕込んで寝かせておいたうどん玉をノバシにかかる。皆は座ることもそっちのけでガラスを囲み、目を輝かせて手許を見つめた。

「ほうほう、こりゃ驚いた、凄いじゃないか。たった二月でよくもそこまで覚えたねー、頑張ったんだねー」
 江戸屋を継げと言った田崎のおばちゃん。心配していただけに琢也の変貌ぶりが嬉しくてたまらない。
「よしっ、蕎麦にしようと思ったけど、あたしゃ爺さんの蕎麦より若旦那のうどんがいい!」
「けーっ、ぬかせ妖怪婆あ! ああクソっ!」
 蔵之介が笑い、皆が笑い、しかしうどんばかりの注文で琢也一人が舞い上がる。切り置いた分だけではまったく足らない。ノバシて切る。またノバシて切る。厨房も戦場と化していた。

 十一時開店で、昼の一時に一旦オーダーストップ。うどんも蕎麦も品切れとなってしまう。蕎麦は打てても、麺打ち台はひとつしかなく、寝かせなければならないうどんが先。とてもこなしきれるものではなかった。開店から二時間で節香までがヘロヘロ。平日の木曜日でこれだと週末にはとても人手が足りそうにもない。
 『若旦那の名物うどん』というのぼりに期待するのか、一見客でさえがうどんばかりを注文する。
 一時をすぎて急遽休憩。琢也は放心してしまっていた。
 節香も祐紀子も京子も嬉しい。お客がみな美味い美味いと琢也のうどんを食べてくれる。
 奥の六人席で蔵之介が琢也の隣りにどっかと座って、ほくそ笑んで横目をなげた。

「はじめての商売はどうでぃ? どいつもこいつも美味ぇえ美味ぇえと。嬉しいだろうが?」
 しかし琢也は放心していた。毎日こうだと体が持たない。
「夢みたいす、自分ではまだまだだと思ってるのに…だけど…」
「どうしたい?」
「ボク死ぬかも」
 皆が大笑い。そんな中で京子の目の色が違っていた。どれほど頑張ったかがうどんを見ていればわかる。格段に上達してしていたし、ノバシて切るのは遅いけれども麺も格段に揃ってきている。
 この三週間、腕が痛くて上がらなくなるほどうどんと格闘してきた琢也だった。食パンを何本切って練習したことか。節香に教わり、どれほど料理を作ってきたか。
 未熟な自分がつくったものを美味いと言って食べてくれ、お金を置いて行ってくれるなんて、琢也にはちょっと信じられない思いだった。

「さあっ、お昼にするかねっ。祐紀、京子もだよ、手伝っとくれっ」
「あいよっ」
 江戸屋の女将は元気だった。女三人が厨房に入り、男二人が椅子に座る。琢也一人がバテていた。
「夜の仕込み、アレだな、うどんを増やさねえと足りねえぞ」
「へへへ…はぁぁ…何玉打てばいいのやら」
「そうさな。界隈の連中はおおかた来ちまったから、五玉ばかしありゃぁいいだろうぜ」
「五玉すか…へへへ、死ぬ…」
 とは言いながら、琢也は嬉しかった。
「まあ、あと千玉も打ちゃぁ、ちっとはまともなうどんになるだろう」
 そのとき、六人席の琢也の横に透き通った佐紀子が滲むように現れて、穏やかに微笑んで何も言わず、一瞬後に消えていた。

 何しに出てきた、エロお化け?

 蕎麦とうどんでは保存にも大きな違いがある。蔵之介が打つようなつなぎを使わない十割蕎麦は、水回しからノバシ、切りまでを停滞させずに一気に進めるが、打ち上げた蕎麦は数時間で死んでしまう。保存は一切きかない。
 一方のうどんは、生地を玉にしてから二時間ほど寝かせておくのだが、一晩冷蔵で寝かしてから麺にしたほうが旨味が出るとも言われている。
 それだけに生蕎麦の商売は難しい。客の入りによって即座に打ち上げないとならないからだ。二八蕎麦なら多少はもつが、それでも明日のために作り置くことはできない。

 三時になって祐紀子は保育園に真央を迎えに行く。琢也が勤めていたコンビニのある通りの先に保育園はあり、歩いて数分の距離だった。平日は八時から四時までだったが、今日は野中が来ることになっていて一時間早く迎えに出た祐紀子だった。
 数分して裏から戻るのと、二階から野中が降りて来るのがほぼ同時。野中は、生成りのコットン地のスーツ、白に紺のストライプのシャツを合わせ、薄茶色の靴を履く。
 開店祝いという名目で真央のために洋菓子の大きな箱を抱えてきていた。真央の帰りを心待ちにしている父。
「あー、パパだぁ!」
「よお真央っ、元気そうだな」
「うんっ!」
 保育園の制服の上着に黄色の帽子をかぶった真央。すっ飛んでパパの胸に飛び込んで行く。野中は軽々と抱き上げて、高い高いをしてやりながら頬を擦り付け甘えさせる。
 このとき京子は一度帰っていなかった。夜の営業に合わせてまたやってくる。

 祐紀子も琢也も、節香も蔵之介も、パパと娘の再会に胸が熱くなる想いがした。真央は舞い上がってしまっていたし、野中も泣きそうな面色で娘を抱く。
 祐紀子は真央を一度二階へ上げて着替えさせ、それから野中に委ねていた。これから夜の営業への準備がある。娘を連れてそのへんで遊ばせる。花やしきか浅草寺か。あるいはスカイツリーでもいい。野中は溶けるような笑みをたたえて娘を連れ出す。

「ほほえましいね」
 と節香は言い、すっかり祖母の面色で二人を見送った。今夜は泊まる。かつて二度ほど泊まったことはあるらしいのだが、その頃は祐紀子が家にいなかった。
「入ってくるなりお仏壇さ。上でしばらく話してた」
「そう。やさしい人よね。姉さん幸せだわ」
 そのとき琢也が言った。
「佐紀ちゃんは死んでなんていないさ。野中さんだって生涯想ってるだろうね。お化けでもいいから会いたいんじゃない」

『バラすなつったろ! 祟るからねっ! あははは!』
 テレパシーの声がして、佐紀子は明るく笑い、夫と娘の後を追って出て行った。 …と言うか、消えた。

 ところがその日の夜の店はさっぱりだった。夏休みが終わったばかりの平日でもあり、五時に店を開けて六時をすぎたあたりでぱったり。猛暑だった夏はまだ残り、さすがにバテているのかもしれなかった。七時にはのれんを降ろし、二本ののぼりを引っ込める。うどんもたくさん仕込んでおいたのに水商売とはよく言ったもので思うようにはいかない。
 野中が真央を連れて裏口から入ってきたのは、ちょうど店を閉めようとしたときだった。
「ああ野中さん、お久しぶりぃ! うふふ!」
 京子が舞い上がっていた。京子は佐紀子の友だちで、野中と佐紀子が恋人だった頃から野中のことは知っている。野中を見る目が、あこがれの芸能人を見るようにすっかり女になっている。祐紀子はちょっと可笑しかった。色めき立つとはこのことだ。
 野中はやさしく微笑むと京子の肩に手を置いた。
「元気そうだね、坊主はどうしてる?」
「うんっ元気よー。でも野球とか、ぜんぜん誘ってくれないんだもん。あたし拗ねちゃうっ。うふふ!」
 琢也が祐紀子に横目をやって首をすくめる仕草をした。もはやエロ目の京子だった。
「あ、そう? 誘ったら来るか? 明日から神宮だ、シート用意してやろうか?」
「うんっ! 行くぅーっ!」

 このとき祐紀子は、思いもせず、真央の様子がおかしいことが気になった。パパに近づかないでよといったニュアンス。幼いなりに、ママのいる前でベタベタするよその女が嫌なのかもしれなかった。
 佐紀子と京子は仲のいい友だちだったが、その頃真央は物心ついてはいなかった。
 パパにはママがいる。この子はそう信じている。祐紀子は、そんな真央の敵意のようなものがいずれ琢也に向くのではと考えてしまうのだった。
 今夜もそうだ。泊まるとなれば真央を挟んで野中と寝たほうがいいのかも知れない。

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