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白き剣(一話)

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一話 剣の舞


 冬寒の風が漂う夜のこと。夜とは言っても冬の空。まだ夕の七つ(五時半頃)と遅くはない刻限だったが、陽は沈み、今宵は月も満ちて夜空に星々も瞬いていた。
 江戸は本所深川に古くからある老舗の料理屋、潮亭(うしおてい)には、ならではの江戸前の味を求める上客たちが集まって、明かり障子に目隠しされたそこここの部屋からは三味線や鼓の音にのって芸者たちが奏でる長唄の艶声が漂っている。
 享保元年(1716年)、霜月(十一月)五日の夜であった。

 その潮亭の奥座敷。そこは舞いのためにしつらえられた特別な部屋であり、明かり障子ではなく襖で仕切られた広い部屋。他の部屋より天は高く、座敷と言いながら床も畳ではなく磨き板の板の間で、まさしく舞いのために用意された舞台のよう。そしてその上座に六畳ほどの縁なし畳が敷かれてあって、客はそこでくつろいで舞いを楽しむ。
 潮亭は、粋造りとでも言えばいいのか、花柳の華美を廃した質素なしつらえ。中でも、風月と名づけられたその部屋は上客中の上客のほか滅多に客を通さない広間であって、あの千利休由来の数寄屋の趣に満ちていた。

「おぅおぅ来たか。お待ちかねだぞ、さあお入り」

 畳の敷かれた上座のそのまた上座に、茄子紺よりも黒に近い着流し姿で、まだ若い武士が座り、その座の左下に、六十年配の町人が落ち着いた鼠色の着物で座っている。
 町人のほうが潮亭の客であり、武士のほうは、その町人に招かれてやって来ている。町人は藤兵衛(とうべい)と言って大工の棟梁であったのだが、大工職としてより両国にある材木商、木香屋(きこうや)の主として知られる男。常陸国
(ひたちのくに・茨城あたり)の出で、一代にして木香屋を築いた男であった。
 一方の若侍は、座していても長身のうかがえる涼しい顔立ち。月代を剃り上げた凜々しい髪型とも相まって育ちの良さをうかがわせる。歳の頃なら三十ほどであっただろうか。色白で若く見えるが華奢というわけではない。男らしいすがすがしさに満ちている。
 そしてその武士の背後に、床との段差すらない申し訳程度の床の間が造られてあり、黒鞘の大小が刀掛けに横たえられてあった。

 藤兵衛に促され、枯れ草色の無地の襖が音もなくすーっと開き、若く美しい芸者が二人。どちらもが女としては長身で細身。一人は黒に雪のせ枝の肩裾模様の着物をまとい赤襟を返している。片やの一人は着物は黒でも雪兎の裾模様。赤襟を返した一人が三味線を携えて、一人は手ぶら。
 そしてその芸者二人を先にやって一歩遅れて鼓を持つ年増の女が襖を閉ざして部屋へと入り、部屋の隅の板の間に静かに座った。こちらの女は部屋の造作に溶け込む木肌の無地の着物を着込んでいて飾具なども身につけず、座敷では陰に徹する者と思われた。
 芸者二人は板の間で舞うために白い足袋を身につけて、すり足で音もなく畳の間に歩み寄ると、畳下の板の間で左右に分かれ、三つ指をついて礼を尽くす。
 赤襟を返して胸元に色香の漂う一人が、揺らぐように頭を下げながら言った。
「今宵はお招きいただきまして幸せにございます。どうぞお見知りおきのほどをお願い申し上げます」
 藤兵衛が言う。
「うんうん、いつもながら見事な姉妹よ」

 そして藤兵衛は、上座に座る若い武士に横目を流し、芸者二人に交互に手をかざして言うのだった。
「いかがでございますかな、二つ歳の離れた実の姉妹なれど、こうして見ると双子のよう。そちら、赤い襟を返しておりますのが姉の紅羽(べには)と申しましてな、こなた一人が妹の黒羽(くろは)と申します」
 若き侍が穏やかな笑みを浮かべてちょっとうなずき、その様子を確かめて藤兵衛は次に二人の芸者に目をやった。
「そなたらがこうした席を好まぬのを承知の上で今宵は来てもらった」
 と、そのとき、若き侍がちょっと笑いながら藤兵衛に問う。
「ほう? 芸者ながらこうした席を好まぬとは?」
 藤兵衛は眉を上げて芸者姉妹に微笑みかけて、それから侍へと視線を流した。
「このように見受けますれば、まこと麗しき二人なれど、とりわけこなたの黒羽など、どうしようもない跳ねっ返りでございましてな、お侍など大っ嫌い、堅苦しい席など大っ嫌いという二人でして」
 姉妹はちょっと拗ねて睨むような上目を藤兵衛に向け、そして笑った。
 若き侍は目を丸くして笑う。
「ふっふっふ、そうなのか、わかる気がする」
 そして若く凜々しい侍が芸者二人に目を向けた。
「それを言うなら拙者も・・いや、こうした席で拙者などと偉ぶるからいかんのだろうな。俺などまさにそうで、城務めなどまっぴらごめん、と言いたいところなんだが、どうした因縁なのか旗本の家に生まれついてしまってな。将軍様と同じ四男坊なのだが、生まれついてのぷーらぷらよ。はっはっは」
 紅羽と黒羽が横目を見合わせ、ちょっと笑った。侍相手に黒羽が笑うことはめずらしいと藤兵衛は思う。

 本所深川あたりを行き交う芸者は、辰巳(たつみ)芸者と呼ばれるが、江戸城から見て辰巳の方角にあったからそう呼ばれるもの。客筋の多くは江戸の職人衆や大店(おおだな)の主など、つまりは町人のためにあるのが辰巳芸者。事あるごとに上から物を言う武家嫌いが多かったのもそのためだ。
 藤兵衛は一緒になって笑い、そして紅羽黒羽の姉妹に言った。
「というお方なのでご案内差し上げたというわけだ。そなたらの剣の舞いのことをちょっと言うと、ぜひにも見たいと申されたものゆえな。こなたは葉山宗志郎
(はやま・そうしろう)様とおっしゃるが、こたび城内にてちょっとした補修があって、それを我が木香屋で請け負うこととなった。葉山様はその差配に任じられてな、度々お会いするうちにそなたらの話になったというわけだ」
 このとき姉妹は、藤兵衛ほどの男が連れてくるのだから、その人柄には信がおけるに違いないと思っていた。
 宗志郎が鼻で笑って言う。
「差配などとはくすぐったい。親父殿に申しつけられた役目が暇を持てあます末っ子に回った。とんだとばっちりなんだが、こればかりはいたしかたなし。これは愚痴だ、うむ愚痴よ。誰かに言わんと気がおさまらん」
 姉妹はちょっと顔を伏せて含み笑う。
「でまあ、その支度もあって棟梁の世話になるうち、そなたらのことを聞き及んだということで。今宵のことも俺からぜひにと頼み込んだ。俺は酒がだめでな、このような席もはじめてゆえ無粋なところもあると思うが、先に言っとく、許してほしい」
 あっけらかんと言い放ってちょっと頭を下げる宗志郎に、姉妹二人は微笑んでうなずいた。すがすがしい若侍だ。家柄を鼻にかけず、透き通った眸で本心を言い放つ。この世に多くはない形を持つ男だと感じていた。

「さて紅羽、黒羽、どのような舞いでもよいからな」
「はい、ではさっそく」
 藤兵衛に促され、黒羽は一歩二歩と退いていき、赤襟を返した姉の紅羽が、畳の席の間際に両膝をついて宗志郎に言う。
「ではお刀をお貸しいただけませぬでしょうか。できますれば大のほうを」
 宗志郎は眸を輝かせ、座の後ろの刀掛けから黒鞘の大刀を右手にすると横に寝かせて差し出した。それを紅羽は両手に拝み受け、すすっと二歩ほど後ろへ退いて立ち上がる。
 そしてその間に、鼓を持つ女が立ち上がり、本間六曲(ほんけんろっきょく)の御簾屏風(みすびょうぶ)を舞いの背に用意する。御簾屏風とは、よく枯れた木枠に細い裂き竹を組み合わせた透かし屏風のことで、金屏風のような過飾のない数寄屋の趣を際立たせる屏風である。

 そしてその屏風を背に、紅羽と黒羽は向き合って、互いに通りすがるようにすり足で横を抜け合い、黒羽がさも気づいたかのように振り向いて、帯に差した扇を抜き取り、逆手に構えて、匕首を持つ女の姿を模して立つ。
「よぉぉポン、ポン、ポンポン」
 鼓が入り、黒羽は着物の裾を割って縦に足を踏み込みざまに中腰となって姉の紅羽に対峙する。
 敵討ち。巡り会った夫の敵に向き合う黒羽。相対する紅羽のほうは敵役。黒鞘の大刀の柄(つか)に右手をかけて、左手に鞘を掲げ、風が舞うようにその場で回ると、鞘から剣を抜き去って、しなしなと回り舞う中で腰を落として鞘を置く。

「これは?」
 訊かれた藤兵衛が小声で言った。
「敵討ちでございましてな」
「ふむ、なるほど」
「刀を持つは夫の敵。匕首に見立てた扇を構えるは、あえなく討たれた男の女房」
 さらに藤兵衛は言う。
「あの扇は鉄扇にて」
「ほう、鉄扇とはまた・・」
 鉄扇とは、扇の外骨を鉄でしつらえたものであり、かつて武将が用いたもの。女が持つ扇よりも一回り大きく太く、いざとなれば武器ともなる。

 真剣を持つ紅羽の鋭い眼光、その構えに尋常ならざる気迫あり。舞いながらくの字を描くように踏み込んで、あたかも人を斬るように白刃が振り込まれ、対する黒羽はしなりしなりと右に左に剣を交わして回り舞い、逆手に持った閉じた鉄扇で突きかかる。
「よぉぉポン! そぉぉポン! ポンポンポン!」
 鼓が暴れ、姉妹の舞いはさながら決闘。どちらもの裾が乱れて桜色の襦袢がたなびき、白い足袋から上の桜色のふくらはぎまで露わとなった。
 大刀を振るって迎え撃つ武士と弱々しい匕首で斬りつける女とでは勝負は明らか。鉄扇を振るう黒羽が一刀を交わされて舞いながら床に崩れ、そのとき敵の剣先が黒羽の喉元に突きつけられるも、敵は夫を想う女を見下ろし、殺してくれと目を閉じた女の元へと片膝をつくと、手にする剣をくるりと回して逆手に持ち替え、背の側に隠し持ち、空いた左腕で崩れた女を抱く素振り。女のほうはせつなげに敵を見上げ、ついにくずおれて男に抱きすがる素振りをする。

 宗志郎が言った。
「ふうむ、夫を想う健気な妻を斬るにしのびず、女の方でも心を奪われていくというわけか。それにしても剣さばきがじつに見事。舞いとも思えぬ気迫も見事」
 このような席で芸者が真剣で舞うなど聞いたこともない。ひとつ間違えば怪我をするほどの立ち回り。あくまで舞い。声に出した気合いはないが振り込まれ
る鋭い白刃が鼻先をかすめるほどのきわどい間合い。
 はたしてこれは舞いなのか。聞きしに勝る剣舞だと宗志郎は思う。
「いよぉぉポンポン、ポン」
 鼓の音がふたりの想いを語るようにやさしく鳴り止み、宗志郎は小さく鳴る手を叩く。
「見事と言うほかあるまい。剣客なみの剣さばきをよもやここで見られようとは」
 紅羽は剣を鞘にしまい黒羽は鉄扇を帯に戻して、二人揃って三つ指をつく。 それから紅羽は大刀を一度宗志郎の手に戻し、続いて黒羽が、姉がしたようにふたたび剣を拝み取る。

「これからが見物ですぞ、黒羽の剣は格別ゆえ」
 と藤兵衛が意味深に微笑んで、宗志郎は目を輝かせてうなずいた。
 宗志郎から大刀を授かった黒羽。同じように姉の紅羽は鉄扇を逆手に持って向き合うが、黒羽の構えは下段。腰を沈めて足を開き、桜色の襦袢もはだけて白い膝上までが露わとなった。
「ポン! ポン! そぉぉポン! よぉぉポン!」
 いきなりの鼓が強い。先ほどとはくらべものにならない強さで打ち込まれる鼓の音に、しなやかなれど跳ねるように黒羽は舞い、白刃を抜き去って舞いながら鞘を置く。
 そしてそれと対峙する姉の紅羽も跳ねるように回り舞い、逆手に持った鉄扇を突きつけて中腰に身を沈める。
「そぉぉれ、ポンポン!」
 鼓の音を合図とするように下段から振り上げられる白刃は、とても舞いの剣とは思えない。真剣での斬り合い。もしも切っ先がちょっとでもかすめれば命も危ういと思われるほどのもの。
 匕首で構える紅羽も右へ左で顔を振って肌一枚をかすめる刃を避けきって、逆手の鉄扇で斬りつける。

「すごい・・これが舞いだと言うか」
 呆然と見つめる宗志郎に藤兵衛は言う。
「こたびは相手がくノ一でございましてな。おそば付きの麗しき腰元がくノ一だった」
「うむ、なるほどなるほど」
「そぉぉポン! よぉぉポンポン!」
 暴れる鼓。刀の重みに振り負けない黒羽のすさまじい剣さばき。気合いこそないがそのまま人が斬れるに違いない本気の太刀筋。相対する紅羽もさすが。ついては離れ、離れては斬りかかる鉄扇を、黒羽は身を翻して交わしきり、互いに滑るように間合いをひろげ、ふたたび鉄扇で斬りつける紅羽。
 そのとき黒羽の剣の刃がチャッを鍔鳴りを響かせて裏返り、峰打ちの抜き胴が紅羽の帯ぎりぎりを斬り抜けて、打たれた紅羽がゆらぐように膝をつく。
 黒羽は一度、女の頬に切っ先を突きつけるも、剣を引き、空いた左手で女の頬を叩くような素振りをすると、そのまま膝をついて女を抱いた。
 身を偽ってそばにいるうち主君を想ってしまった哀れなくノ一。主君に抱かれて幸せそうに目を閉じて、いつしか女の手が主君を抱いてすがりつく。
「なるほどそうか、敵を想ってしまった忍びの哀れ。主君は許し、掻き抱いて慰めるというわけか」
「男と女はそうしたものということでございますかな」
 そう言って藤兵衛は微笑み、着物の裾を直した黒羽、紅羽の姉妹が畳の間の下に座り、黒羽が拝み差し出す大刀を宗志郎が右手でそっと受け取った。

 宗志郎が姉妹に言う。
「いやぁ見とれたぞ、二人ともにまさに見事。そなたらの剣は舞いだけではあるまいと訊きたくなるのは俺の無粋。いかんいかん。そしてまた盃を取らすと言いたいところだが、いかんせんこれではなぁ」
 宗志郎の前に置かれた膳にあるのは茶と料理。湯飲みを取り上げて苦笑する宗志郎に、姉妹は揃ってくすっと笑った。
 宗志郎は言う。
「板床では寒かろう、こっちでゆるりとされるがいい」
 姉妹はうなずき、姉の紅羽が鼓を持つ年増の女に振り向いて、もういいよと言うようにうなずいて見せ、女は深く一礼して去っていく。

 畳の間へそっと上がった姉妹は、藤兵衛には姉の紅羽、宗志郎には妹の黒羽がついて、紅羽はさっそく酌をしたが黒羽はそれのしようがない。
 黒羽が宗志郎を横目にちょっと笑って言う。鈴の転がる声だった。
「葉山様はお酒はぜんぜん?」
 と、言下に宗志郎が言う。
「その葉山様はやめてくれ、くそ面白くもない親父殿の見目形を思い出す。宗志郎でよいし、俺は童の頃、兄たちより末吉と呼ばれていたものだ」
「ふふふ、末吉とはまた可笑しな名」
「四男坊などそんなものよ。まして俺ははみ出し者ゆえ、それもまたいたしかたなし」
 そんな宗志郎を横目に、かすかに微笑み、黒羽は言った。
「はい、では末様と?」
「末様か・・うむ、何でもよいのだ、俺などほんの小僧ゆえな」

 このときすぐそばにいて、あれほど嫌った侍を相手に微笑む黒羽の姿を、姉の紅羽ははじめて見たといった面色だった。
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