白き剣(二話)

gei1550.jpg

二話 闇座敷


 紅羽と黒羽の剣の舞いが終わる頃、江戸城からもそう遠くない番町の片隅にある、名もなき小さな料理屋、山科(やましな)の奥座敷に六十年配の老いてなお矍鑠(かくしゃく)とした武士が、小さな座敷の上座に座り、二人の客人を待っていた。
 暮れの六つ(六時頃)になろうとした。こちらの山料は、さほど古い店ではなかったが、かつては武家屋敷で建物は古い。それだけに市井の料理屋とは違う落ち着いた佇まい。知る人ぞ知る。料理屋の格としてより隠れ家の趣が色濃い店。夜でなければ文字通りの築山を配した起伏ある見事な庭が見渡せるのだったが、今宵は障子を閉めてある。

 先客の男に料理が運ばれる頃になって、二人の武士が次々にやってきて、上座の左右に腰を降ろした。顔を合わせた三人ともに家紋のない上質な着物を着込んでいて、袴など格式ばったものは身につけていなかった。三者ともにふらりと家を出る姿と言えばよかっただろう。
 待ちかねた二人が揃うと、髷に白髪の目立つ上座の男が、まず言った。
「ここはわしの国元より呼び寄せた馴染みの者がいたしておる店でな。そなたらも覚えておくがよいぞ。ここであらばどのような話もできるというもの。店主は剣も使うゆえ安堵してくつろげるであろう。下野(しもつけ・栃木あたり)の山の味は格別でもあるゆえな」
 とそう言われた二人の客人も、ともに五十年配。平素の身なりながらも明らかに身分のある者どもだろうと思われた。

 場を和ませる前置きをした頃合いに、それぞれに料理と酒が運ばれる。運んで来たのは三十代半ばの仲居が二人であったが、足音もさせず、穏やかながら目配りが鋭いと客の二人は感じていた。おそらくはくノ一ではないか。それも手練れの部類だろうと察しはつく。
 支度が整って、上座の男が口を開いた。老中、戸田忠真(とだ・ただざね)である。戸田忠真は下野佐倉藩、同じく下野宇都宮藩、さらに越後高田藩の藩主でもあり、厳正な性格で知られていた。
「そなたらをかようなところへ招いたはほかでもない。このところ江戸を騒がすよからぬ一件。そう申せばわかると思うが」
 招かれた二人が目を合わせてそれぞれにうなずいた。
 招かれた男の一人が言う。
「されど御老中、その軒で町奉行ではなく我ら二人をいうことは、それが元凶ともなり、いずれかの藩に乱れが生じまいかということで?」
 戸田は目でうなずいて言う。
「ここで気配りは無用じゃ。いずれかの藩ではのうて紀州それに尾張、そのあたりが火種にならぬかと上様も案じておられる。ゆえにそなたらには紀州尾張の両者に近しい諸藩に目配りをよりいっそう。江戸市中については、わしから町奉行に別な手は打ってあるゆえな」
「うむ、なるほど左様で。このたびの一件は確かに紀州様に近しいところで起きておりますゆえな」
 と片やの一人が言った。老中配下の大目付、水野重之(みずの・しげゆき)。そして同席するもう片や、同じく老中配下の大番頭(おおばんがしら)、久瀬利房(くぜ・としふさ)の両名である。
 大目付とは諸大名の監察を職務とし、大番頭とは江戸城ならびに江戸市中の警備を職務とする役職。そしてその両名を取り仕切るのが老中たる戸田忠真であったのだ。

 戸田は暗澹たる思いを隠すかのように平然を装った面色で言うのだった。
「上様が将軍職を継がれてよりおよそ三月の間にすでに三件。いまのところは紀州出入りの商家に限られておるが、それがよもや紀州家家中の者どもに及ばぬかと思うと気が気でない。御三家が仲違いするようなことあらばゆゆしき事態ぞ。上様もそこを案じておられるのだ」
 大番頭の久瀬が言う。
「されど御老中、探れと申されても雲をつかむような話。紀州家出入りの商家のみならいざ知らず、その家中の者どもまでとならば星の数」
 大目付の水野はそれにうなずき、さらに言った。
「さらにですぞ、紀州家に近しい諸藩に至れば、その国元までを含め、いかにして探るかということもありますゆえな」
 両名の言葉に、戸田は浅いため息をついてうなずいた。
「まさしく左様。甲賀も伊賀も使い物にはならぬし、さりとてにわかにお庭番と申してもな。上様は早急に庭番を整えよと申されておるが、いずれにせよ時がかかる。いまのところは江戸にのみの事件ではあるが、それにしても雲をつかむような話ゆえな」

 公儀お庭番は、八代将軍吉宗となって創設された幕府の役職であり、それ以前は存在しなかった。長く太平の世が続き、甲賀伊賀ともに忍軍としての機能を果たせず崩壊状態。また紀州藩藩主を経て徳川宗家を継いだ、いわばよそ者の吉宗にしてみれば、代々江戸の宗家に仕えてきた甲賀者伊賀者では信じ切るに不安。
 そこで吉宗は、江戸城に入るにあたって国元より、もとより紀州藩お抱えであった薬込役(くすりごめやく)と言われる数十人の役人たちの中から腕の立つ者十数人を選りすぐって随行させた。薬込役は紀州藩の奥向きの警備を職務としており、ときとして藩主の命によって諜報活動をも行った。しかし創設当初のお庭番は武士の集まりであって透波(すっぱ=忍者)どもの代わりにはならない。 腕の立つ若き武士や甲賀者伊賀者の手練れをも取り込んで諜報機関としてのお庭番ができていくのはずっと後のことである。それまでの忍軍ではない、いわゆる公儀隠密とは、そうした者どもが城から出て働いたということだ。
 それはそうでも吉宗が将軍職を継いでよりわずか三月のこの頃は、お庭番とは字のごとく将軍に近しい城内の警備のみを職務としており、外へと散らす頭数はなかった。

 大番頭の久瀬が言った。久瀬は江戸市中の警備をも職務としており、それだけに責任ある立場。
「それにつけても、いかようにしてという謎が残りますな。拐かされた娘どもが数日のうちに何事もなかったかのように戻り、しかしまたその数日後に突如として乱心、家人を斬りつけたり火を放ったりと暴挙に及ぶ」
 大目付の水野が相づちを打つようにうなずきながら言う。
「尋常ならざる技であろうな。あるいは何らかの薬やも知れぬが、首を傾げるのは、何事もなかったかのように家へと戻り、さらに数日何事もなく過ごした上で突如として狂うことだ。そこには何ぞ合図とでも申すのか、何かの合図をきっかけに狂うような仕掛けがされていたと見るしかあるまい」
 久瀬が言った。
「とするなら裏で操るは忍び、あるいはあやかしの術を心得た何者か。かつては不可思議な術を用いる陰陽師などというものもあったと聞く」
 両者の言葉を戸田はもの言わず聞いていた。

 徳川吉宗が八代将軍となってより、およそ三月。そのわずかな間にこれで三件、不可思議な事件が起きていた。
 江戸にお店(たな)を構える紀州藩出入りの海運、両替、米穀と商家ばかり三件が相次いで狙われて、その若き娘が拐かされる。しかしどの娘も十日としないうちに、まるで何事もなかったかのように家へと戻るのだが、それから数日して突如として狂ってしまい、先の二件では包丁で家人数名を刺し殺し、次の一件では家に火を放って家人数人を焼き殺してしまう。
 取り押さえられた娘らは一様に心を抜き取られたように抜け殻となり、ろくに調べもできないまま牢に入れられているのである。
 手がかりと言えば、いずれの商家も紀州藩出入りを許された元は紀州の商家ばかりというところのみ。事はもちろん紀州家へも伝わって、紀州とすれば尾張の画策ではないかとの疑念も生まれる。事が商家であるうちはともかく、よもやその藩士の家にまで及ぶようなら、御三家筆頭の尾張と、将軍を送り出した紀州がにらみ合うことにもなりかねない。
 戸田が左右の両名を見渡して言った。
「まあ、わしとしてもさまざま手は講じてみるが、そなたらのほうでも、いま言ったようなあたりに心当たりなどあらば探ってみて欲しいのだ。単に江戸を騒がすためなのか将軍家を脅かすためなのか、敵の意図するところも不気味ゆえな。吉宗様を窮地に追い込むための所業ではあるだろうが、解せぬところもありというもので」
 久瀬、水野の両名は、うなずくでもなく聞いていた。

 後に名君とうたわれる八代将軍、吉宗ではあったが、その将軍継承に際しては密かに黒い噂が流れていた。
 徳川吉宗は、御三家のひとつ紀州藩二代目藩主、徳川光貞の四男坊。十四歳で越前葛野藩主、二十二歳で紀州藩五代目藩主となるのだったが、将軍家の継承などとはほど遠い順位にあった男子。
 六代将軍、徳川家宣(いえのぶ)が在職わずか三年で急死。その後、わずか三歳で将軍となった七代将軍、徳川家継(いえつぐ)までもが病死して、二代将軍秀忠(ひでただ)の血を受け継ぐ直系男子が絶えると、将軍家を継ぐ順位では上であるはずの尾張家の四代藩主、徳川吉通(よしみち)までが急死、さらにその長子たる五郎太(ごろうた)までもがわずか二歳で病死。また同じ紀州家にあっても兄たちが次々に死んでいき、四男坊であった吉宗が表舞台に立つこととなる。しかし、このあまりに都合のいい事の推移に、吉宗を将軍とするため影の力が働いたのではという噂が流れた。病死とは毒殺ではなかったかということだ。

 御三家筆頭の尾張を差し置いて紀州よりの新将軍。これは尾張としては面白くない。まして将軍継承からわずか三月。ここで紀州藩ゆかりの商家ばかりが狙われれば、紀州としては尾張の仕業ではないかと勘ぐりたくもなるというもの。  商家であるうちはまだしも同じようなことが紀州藩藩士の周囲に及べば、両家の火種に油を注ぐこととなり、江戸はそれを取り締まらなければならなくなる。
 戸田は言う。
「上様はこうも申されたぞ。『我ら親藩はもとより譜代と言えども弛みきっておる。されど外様どもはどうなのか。忍びさえも放てぬとあっては探りようとてないゆえな』・・と」
 諸藩に目を光らせるのが職務の大目付、水野が言った。
「そうしたときに徳川が割れていては外様どもの思うツボということも。あるいは紀州様と尾張様の不仲を助長しようとする外様どもの仕業とも考えられ」
 大目付と大番頭、二人を見渡して戸田はちょっと眉を上げて苦笑する。
「わからぬ。わからぬがしかし案ずればキリがない」

 山科で密談が交わされる、ちょうどそのとき、本所深川と南本所の間あたりにある、また別な料理屋に、暇を持てあます大店(おおだな)のお内儀(妻)ばかり三人が酒の席を楽しんでいた。もう一人誘った女はいたのだったが、まだ幼い末娘が熱を出したとかで来られなくなっている。
 その料理屋、喜世州(きよす)は、できてそう古くもなく、建物の木という木が白木の肌をそのまま留める綺麗な造作。料理屋とは名ばかりの女たちのための隠れ家のようなもの。太平の世の呑気は下々にまで行き渡り、物見遊山などあたりまえという弛んだ江戸の象徴のようなものだった。
 喜世州は、女将の菊奴(きくやっこ)がはじめたもの。菊奴は、いわゆる色芸者から身を起こし、この世に女どもの遊びが足りないということで洒落っ気を織り交ぜて喜世州を起こした。
 その喜世州。遊ぶときには互いに身元は知っていても名は不要。そうした決まりがあったのだった。

 そのと刻限は暮れの六つ(六時半頃)。三十代の末が二人に四十代の女が一人。それぞれに子も長じた、脂ののった女盛りの三人で飲めや騒げの芸者遊びだったのだが、呼ばれた芸者は二人いて、虎介(とらのすけ)と情介(じょうのすけ)と名乗る男芸者。成りこそ女芸者でも中身は若い男が二人。虎介二十歳、情介は三つ上の二十三歳。芸は売っても色は売らない辰巳芸者と言われるが、そこはそれ、男の色で座敷を務める者たちだった。
 虎介情介ともに、紅羽黒羽の姉妹と同じ置屋(おきや)の艶辰(つやたつ)に籍を置く、界隈でもぼちぼち出はじめた男芸者。置屋とは芸者を束ねる元締めのようなもの。看板芸者の紅羽黒羽を筆頭に数名の芸者衆を抱えている。今宵の客は女であったが男の客でも男芸者を好む好事家はいるもので、ちょくちょく名指しがかかるのだった。

「さあさ、二人とももう湯文字だけ・・ふふふ、可愛いわぁ」
 あえて弱く灯した行灯(あんどん)の薄闇の中、姉御格の女がにやりと笑い、少し若い二人の連れがきゃっきゃと騒ぐ。
 虎介情介どちらもが地毛で結い上げた芸者髪。役者の女形のごとく見目麗しく、着物姿は女そのものなのだが、脱げば肌の白い無垢な若者。女ばかりの客の前での踊りながらの『拾い勝負』。客の誰かが丸めた紙を投げてやり、奪い合って先に拾ったほうが勝ち。負ければ一枚ずつ脱いでいくという色遊び。
「じゃあいくわよ、拾ったほうはあたしらの中へおいで。負けたほうは脱いで踊るの。どうせもういやらしく勃ててるんだろうからさ。うふふ」
 連れの若いお内儀二人は手を叩いて笑っている。
 半裸で立つ男芸者の桜色の薄い湯文字の股間のところが二人ともに衝き上げて尖っていた。褌などしていない肌色が透けて見える。虎介情介のどちらもが眉をひそめて泣きそうな面色。それがまたたまらない客たちだ。