スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

白き剣(八話)

gei1550.jpg

八話 危うし美神


 墨田の流れにかかる橋を海の側から眺めると、河口に近く渡れば本所深川という永代橋、浜町から南本所へと渡る新大橋、両国から川を越える両国橋と順に川を遡上して、置屋の艶辰は永代橋を渡って左の新大橋寄り、宗志郎の小さな家は川のこちらを北へと歩き両国橋から渡った先ということになる。

 黒羽が宗志郎との一夜を過ごした二日後のこと。江戸城へ登城して普請場を見た宗志郎は、大工の棟梁である藤兵衛とともに城を出て、両国にあって藤兵衛が営む材木商の木香屋に向けて二人並んで歩いていた。
 夕刻には少し早い刻限ではあったのだが空には斑に黒い暗雲が垂れ込めていて、いまにも降りそう。陽が傾いて暗くなるより暗雲が夜を連れてくるといった様相だった。このとき宗志郎は、登城の後ということで濃い青の着物に灰色の平袴(ひらばかま)を穿いていたが、務めが木くず舞う普請場回りということで肩衣(かたぎぬ)までは身につけない。この上下で裃(かみしも)と言い、登城の際の正装ではあったのだが。

「お察しするに懐具合がよろしくないようですな」
「うむ、それもまた世のたるみ。されどこたびの上様はそのへんしかと見定めておられるゆえな」
「左様でございますな。どのみち使えない忍びならば、お庭番なる者どもに見張らせようということで」
「庭番はもとより紀州の身内。紀州の出の上様ゆえ、よって無駄な金もかからぬというわけさ」
 この頃幕府の財政は苦しかった。八代将軍吉宗は将軍となってすぐ、その立て直しに尽力した。使えない忍びに金を使わず紀州藩の身内であるお庭番を配そうと、城内の要所にそうした者どもの張り番所を置く。その普請を宗志郎が取り仕切るというわけだった。

 江戸城から日本橋北を抜けて両国へ。あと少しで川べりにある木香屋に着くというところで、藤兵衛は少し前をゆく女の背姿に目をやった。一見して若くはなさそう。とりわけどうということもない町女の着物に冬物の長羽織。しかし結い上げた黒髪は乱れなく美しく、遠目に見る立ち背の姿でさぞ美形と思える女はそうはいない。
 藤兵衛は言った。
「あれは女将」
「うむ女将? 艶辰のか?」
「もちろん左様で。長く見知っておりますゆえ見まがうはずもなく」
「ほう、あの者がのう」
 これから木香屋に顔を出し、早々に用件を済ませて今宵こそ行ってみようと思っていたところ。
 しかし藤兵衛は言う。
「両国橋をのう・・ふうむ、はてさてどちらへ行かれたのやら」
「どういうことだ?」
「本所深川なら永代橋、ここらに用があったとしても帰りはまず新大橋があたりまえ」
 宗志郎はいっとき目を細めて見ていたがハッとする。
 その女将を追うように、少し離れて町屋の軒先に隠れながら歩む二人の影を見逃さなかった。
「藤兵衛殿、ちと気になることがあるゆえ、すまぬが話は明日ということで」
「はいはい、急ぐものでもありませぬし」
 藤兵衛は気づいていないようだった。

 尾けられている。女将はそれに気づいていて、だからあえて遠回りをしたに違いない。両国橋を渡れば南本所の雑踏。巻くこともできるだろう。
 藤兵衛と別れ、後を追って歩きつつ、宗志郎は、尾ける二人の町人は武士に違いないと考えた。どちらもが長い羽織りを着込んでいて片手を着物の内に隠しているから、おそらく刀を握って身に寄せていると思われた。
 そして両国橋。川中へ向かって高くなる傾斜を登って向こう側へと降りるのだが、傾斜の向こうへ消えて行く女将の足が速くなる。それにつられて男二人の追い足も増していく。
 そうやって橋を渡り切り、女将は左へと向きを変えた。本所深川とは逆向きにである。小走りに細道を行き、川に向かって向きを変えると、背丈ほどもある枯れススキの川原。草陰で巻くつもりなのだろうか。
 相手は男。女の足で逃げ切れるものではない。追っ手の二人も気づかれたと知って勢い込んで走り、捕らえるのか斬ろうとするのか、いずれにせよ尋常ではない様相。ススキ川原にはススキが刈られて人が歩ける道筋があちこちにはしっている。川で漁をするため、童どもが遊ぶため。

 あと少しで川に出るという背丈ほどのススキ群(むら)の中、女は懐から懐剣を抜き取って右手に持ち、柄を逆手に握って中腰に身を沈めた。この女もまたできる。構えに隙がなく、ふわりと膝を折ってしなやかに身構える。
 艶辰の女将もまた武家筋か、さもなくばくノ一。そうは思うのだったが、振り向いてキリとした眼差しを向けるその姿が、なんと美しいことだろう。宗志郎は息をのんだ。
 女は言う。
「先刻ご承知なんだよ、このあたしに何の用だい!」
 追いすがった二人の男が長羽織の前をはだけ、思った通り、黒鞘の刀。反りのある武士の刀。案の定、町人に化けた武士である。二人ともに二十代の末あたりの若侍。それなりに使うと宗志郎は見切っていた。
「聞きたいことがある、我らを甘く見るではないぞ、ともに来てもらおう」
「しゃらくさいね、べらぼうめ。寄らば斬るは、あたしの台詞さ」
 おお怖っ・・男勝りな物言いが美しい見目形にそぐわない。
「ならばやむなし、力ずくで取り押さえるまで」
 男二人が抜刀し、しかし刃を返した峰打ち剣。左右に散って囲みを絞る。
「セェェーイ!」
 女一人を相手とする男の気合いもわざとらしい。声で脅す。相手を見くびった対峙のありよう。
 峰打ちで斬り込むも、女は胴を狙って横に流れる太刀筋を見事に見切って懐剣で敵の剣を跳ね、踏み込んで斬りつけるも、敵もまた瞬時に交わし、待ち構えるもう一人が斬り込んでいく。
 しかしそれも交わしきり、女は一歩後ろへ飛んで身構え直す。

「ふむ・・やるな」
 少し手前のススキ群の草陰でちょっと笑った宗志郎。そしてそのとき女が言った。
「あたしを狙ったからには生きて帰すわけにはいかないんだよ! 峰打ちとは笑止! ふんどし締め直してかかっておいで!」
 むぅ、すごい・・。
 さらに笑った宗志郎だったが、敵もいよいよ気を入れて身構える。
「惜しい女よ、おとなしくすればよいものを」
 男二人が刃を返し、今度こその人斬り剣。追っ手を帰せばこちらの素性が知れるということ。女の言葉はそう受け取れると宗志郎は考えた。
 左右から二人が踏み込み、突きが腕を狙い、下からの斬り上げが脚を狙う。殺さず捕らえてお持ち帰りということか。
「待てぃ!」
 ススキ群から剣に手を掛け、抜刀しながら駆け寄る宗志郎。男二人が振り向いた。
「退いておられよ!」
 女にそう言うと、宗志郎のギラと光る白刃が、左右の斜め前から襲いかかる敵の剣をこともなげに振り払い、それでも身を立て直して襲いかかる左の男の剣と剣がぶつかって火花を上げた。
 キィィーン!
 敵の一刀を跳ね上げておき、その刹那、切り替えされた宗志郎の抜き胴が一刀のもと一人の敵を葬った。

 美神は目を細めて見守った。こやつは強い。鬼神の剣であり、そのしなやかな身のこなしと太刀筋は柳生新陰流・・いいや少し違うと感じていた。斬り込みが剛な剣さばき。
 残る敵は一人。敵は中段、こちらは剣の切っ先を後ろへ回す腰留めの構え。その構えはまさしく柳生新陰流。
「いざぁ!」
「おおぅ!」
「トリャァァーッ!」
 キン、キィィーン!
 刃が二度交わって、宗志郎はあえて浅く一人の肩口を斬り抜いて、敵は剣を取り落として膝から崩れ、しかしもんどり打って背後へ転がり、腰から小刀を抜き去った。とても歯の立つ相手ではない。捕らえられれば詰問されるは必定。
「我らを甘く見るでない! 不覚!」
 男は小刀を己の首にあてがって筋引きの自刃剣。血が飛び散り、男は目をカッと見開いて崩れ去った。
 敵の黒幕はよほどの者であったのだろう。たどられるぐらいなら死を選ぶ。それもまた武士らしいと宗志郎は哀しくなる。

 宗志郎は倒れた敵の着物で剣の血を拭い、回すでもなく、静かに鞘におさめていた。
「大事ござらぬな?」
「はい。どなたかは存じませぬが危ういところをお助けいただき・・」
 鈴の女声。美神もまた懐剣を懐にしまい、膝を浅く折って頭を下げた。
 なんと凜々しい若侍。鬼神のごとき剣も見事。美神はもしやと直感した。
「私は葉山宗志郎、あやめ・・いや黒羽様とはなさぬ仲となり申し」
「ふっ・・ふふふ」
 やっぱり。しかも身分違いの芸者ふぜいに様をつけて呼ぶとは、なんと男らしいお人なのか。あの黒羽がイカレる想いがよくわかる。
 しかしこれで艶辰の素性が知れると美神は思った。
 穏やかに微笑む美神のそばへ宗志郎は歩み寄る。見上げてしまう背の高さも男らしい。

「いましがた藤兵衛殿と別れたばかり。今宵こそは艶辰へと思うておりました」
「お光に次いであたしまで。不思議な縁でございますこと」
 宗志郎はちょっと笑ってうなずいて、そして言った。
「あやめ・・いや黒羽より聞いております。あの折の小娘が立ち直ろうとしておるとか。それもまた女将殿へのご恩かと」
「いいえ、それは黒羽そして鷹羽のお手柄。あなた様もね。ところで」
「は?」
「黒羽を、なぜにあやめと?」
 宗志郎は眉を上げた。あやめと呼ぶのが口癖になっている。
「それはあの折、お二人をお見かけし、いずれあやめか、かきつばた。ゆえに鷹羽殿はかきつばた」
 美神は声を上げて笑った。

 それから歩みはじめた二人だったが、美神は、旗本の身分でありながらあべこべに半歩退いて寄り添ってくれる宗志郎を背に感じ、これほどの若侍には味方でいて欲しいと思っていた。
「葉山様のようなお方に出会えた黒羽は幸せ者です」
「いやいや、それを申さば藤兵衛殿の粋なはからい」
「藤兵衛さんの? それは?」
「ちょいと散歩のすぐそこに小さな家を目利きしてもらっており、その湯船、ちょいと大きく造っておいたと背を叩かれて、それならばと早速試しに二人でちゃっぷん」
「ぅくくっ、そうですの? あっはっは!」
 たまらない。なんと粋なお人だろうと美神は笑える。このあたしを高笑いさせてくれた男は少ないと美神は思った。

 板塀に囲まれた艶辰が見えてきた。
 と、その板塀の切れ間の奥の引き戸が開いて、それぞれに美しい芸者衆が次々に顔を出す。いまにも雨になりそうで手に手に閉じた蛇の目傘を持っている。美しい女ばかりの黒羽織の艶姿は、ここがそういう町であることをうかがわせた。
 もうそんな刻限なのかと美神は思う。遠回りをしていて一刻半(三時間)ほども遅くなってしまった。
 戻って来る女将と、寄り添う若侍を見つけると、芸者衆はよそ行きの言葉を使い、それぞれに腰を折って頭を下げる。
「女将さん、行ってまいります」
「うんうん、すまなかったね、遅くなっちまった」
 男芸者の虎介情介、お艶さんの三人衆、それから鶴羽と鷺羽の二人であった。美神は問うた。
「紅と黒は? 鷹もいないようだけど?」
「はい今宵はお呼びがかからず」
 女たちの中ではもっとも姉様格の鷺羽が、女将の少し後ろに控える若侍の素性を察しながら言うのだった。歳では鶴羽のほうが三つ上でも芸者としては鷺羽が長い。
「そうかい、ご苦労だね、行っといで」
 それぞれに頭を下げるも、皆が宗志郎に目をやってほくそ笑む。黒羽の姉様の色男。そう察していたのだった。

 七人の芸者たちは、それぞれのお座敷に向かって薄闇の中へと消えていく。
そしてその七人を見送ろうとしたらしく、すっかり元気になったお光がちょっと顔を出す。
「おぅ、お光じゃねえか!」
「え・・うわっ! あのときのお侍様!」
「これお光、うわとはなんたる言いざまか」
 美神が笑う。小娘らしい驚き方だ。
 お光は宗志郎に向かいかけるも、家の中を振り向いてどうしようかと迷ったあげく、家の中へと駆け込んでいく。
「姉様姉様っ! 葉山様がぁ!」
 宗志郎はちょっと頭を掻き、美神は小声で言うのだった。
「ったく、どうしようもない・・あれでもあの子、剣を修行する身なんですよ」
「ほう剣を?」
「己の昔を斬り捨てたいって」
「うむ、よかった。愛らしい娘ではありませぬか」
 二人でうなずき合って戸口をぐぐると、上がり框の際まで黒羽が迎えに立って
やってきた。
 なぜか女将が連れて来た末様。黒羽は目を丸くして、間に立ったお光は双方を見比べるようにくすくす笑う。
「ちょいとそこでバッタリだよ。夕餉の支度をね」
「はい、それは・・」
 折り目の通った袴を穿く末様。黒羽は上目がちの目を送り、ちょっと笑う。惚れ惚れする若侍。

 末様は女将の目をものともせずに黒羽めがけて歩み寄り、そっと手を取る。
「会いたかったぞ、あやめ」
「ぁ・・はい」
 黒羽の黒目が大きく黒く輝いて、美神とお光が目を合わせ、お光が照れてちょっと首をすくめて舌を出す。
「馬鹿だね、この子は。おまえが照れてどうすんだよ。ふっふっふ」
 とそこへ黒羽の肩越しに姉の紅羽が歩み寄る。宗志郎は黒羽の手を放してやって、歩み寄るうりふたつの姉に微笑みかけた。紅羽もまた穏やかに微笑んでちょっと腰を折って出迎える。
 姉が言う。
「いらっしゃいまし。妹がたいそう愛でていただいておりますようで」
 宗志郎は見とれるように紅羽を見つめて言う。
「いえいえ、それはこちらこそ。あやめ二輪の美しさ。女将さんは白き薔薇、そこな娘は花待ち蕾」
 と言いながら宗志郎は黒目を回して横目にお光にちょっと笑う。
 美神は、花待ち蕾と言われて嬉しそうにはにかむお光の背を叩いて言う。
「はいはい、おまえは夕餉の支度にかかるんだよ」
「はぁい」
 と、お光を奥へと追いやっておきながら、美神は、残った紅羽黒羽の姉妹に小声で言う。

「不覚にも尾けられて襲われた。葉山様が救ってくださり・・というわけさ」
 これには紅羽黒羽がキリとした目を合わせ、二人して宗志郎に目をやって、かたじけないと言うようにわずかに目で礼を言ったのだったが、このとき紅羽はこれでこちらの素性が知れると考えていた。
 しかし美神はあっけらかんと明かしてしまう。
「さるお方にお会いしてきた。ようとして知れぬばかりか、放った間者も戻って来ぬ始末。そなたらも気をつけろと言われた矢先」
 これには姉妹二人が唖然とし、宗志郎もまた美神の横顔をうかがう素振り。
 宗志郎ほどの使い手ならば、ぜひとも味方としておきたい。美神はそう思ったに違いなかった。
 美神は宗志郎へと澄んだ目を向けるのだった。
 宗志郎とて見抜いている。美神の目に対し、ちょっと目でうなずいて宗志郎は言う。
「そなたら、もしやあの一件を? 紀州出入りの商家での・・?」
 美神はうなずき、言うのだった。
「娘らを貶めるなど許せませぬ。わたくしは御老中、戸田・・」と美神が言いかけたとき、宗志郎は言い放つ。
「それまで。皆まで申されずともよい話。言わずもがな拙者はお味方ゆえ」
 美神は安堵の笑みを浮かべてうなずいた。

 それにしても御老中とは・・指図元はかなりな御仁と察していたが老中じきじきの指図であったのかと、紅羽も黒羽も、あらためて美神を見つめた。


 白き剣 第一部。 続いて二部へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。