白き剣(十九話)

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十九話 お栗の眸


 品川が冬の夜陰にくるまれる刻限。船問屋の船冨士に並はずれた耳を持つ鷺羽が潜み、天礼寺には戦いに長けた鷹羽と鶴羽が潜んでいた。
 そしてちょうどその頃、艶辰の厨にはお光とお栗、そして今宵は紅羽が立って夕餉の支度が進んでいた。しかしお光はしきりにお栗を気にしている。どこか様子がおかしい。落ち込んでいるとかそういうことではなくて、時折ぼーっとすることがある。それはいまにはじまったことではなくて昨日あたりからちょっとおかしく、夜をともに明かす男芸者の情介もそれに気づいていた。黒羽と宗志郎が一つ部屋にともにいて、情介はちょっと覗いて黒羽に微妙な目配せで告げたのだった。
「うん? どうしたんだい?」
「ちょっと」
「ああ、いいよ」
 黒羽は宗志郎に向かって眉を上げると立ち上がり、部屋を出て情介の顔を覗き込む。

「お栗の様子がおかしい?」
「そうなんです、あたしが夕べ遅くに戻ったとき、お栗がなんだか怖がってて抱きついてくるんです」
「怖がって?」
 情介はうなずいた。
「訊けばジ様が夢に出てくるとか。けど、どうもそれだけじゃないみたいで」
「と言うと?」
「ときどきハッとするような顔をして、『気のせいさ』って独り言をぼそっと言う。それであたしが、どうしたっていうのさって訊くと、ううんなんでもないって言うんですけど。抱いてって言ってすがってくるから」
 ちょうどそう話しているとき、厨ではお栗が小皿を二枚重ねて持って、落として割ってしまうのだった。
 お光が笑いながら言った。
「あれま、やっちまったよ。どうしたのさ? なんだかヘンだよ?」
 若い二人のやりとりを紅羽がチラと横目で見る。
「何かあるなら言ってごらん。あたしらもう家族なんだよ。悩み事でもあるっていうのかい?」
 その紅羽を声を、それならと様子を見に来た黒羽も聞いた。壁を隔てた陰にいて黒羽は耳をすませていた。

 紅羽に両肩に手をのせられて見つめられ、お栗は元気のない顔を上げるのだった。
「昨日からヘンなんです」
「ヘンとは?」
「ジ様が夢に出てくることと、気のせいだとは思っても、ジ様の念を感じてしまって。ジ様があの眸を使うとわかるんです。ゾゾっと震える感じがして、いま眸を使ったなって」
 このとき、紅羽も黒羽ももしやと思った。お栗にとってのジ様、久鬼なる老爺は柳とは血のつながる関係。柳がその力を使えば、つまりは久鬼と同じ血が騒ぐということ。死んだ久鬼にそのようなことができるはずがない。
 紅羽は問うた。
「その念は強いのかい?」
 お栗はううんと首を振る。
「わからない。弱いけどでも確かにあの眸の念なんだ。それを感じるとビクっとするし、ジ様がそばにいるような気がしてならないんだもん」
「そうかい、うんうん怖いよね」
 紅羽はお栗を抱いて背を撫でる。そしたらお栗が腕の中でつぶやいた。
「川向こう」
「え? 川向こう? どこからの念なのか、わかるのかい?」
「わかる。川向こう」
 八王子の山中から、久鬼の発する念をたどって宗さんの家を探り当てた娘だったと思い直した紅羽。
「宗さんの家のほうかい?」
「違う。そのずっと先のほう。・・あっ」
 あっ、と弱く叫んで抱きすがるお栗。
「いままたゾクっとした。念が強くなってるの。確かに感じる。ジ様は死んだはずなのに」
 
 宗志郎の小さな家の少し先の寺に久鬼の亡骸を葬った。方角はそうでも久鬼は死んだ者。
 お栗は、紅羽に抱かれていながら振り向いて虚空を見つめ、しばらく探るような素振りをすると、紅羽を見つめてそっと胸に抱きすがる。
「消えた」
「消えた?」
「いま消えた。静まったんです、いま」
 そしてそのとき厨へ顔を見せた黒羽に対して紅羽は眸でうなずいた。
 柳だ、そうに違いないと二人は思った。久鬼と同じ血を受け継ぐ柳が力を使うとお栗に伝わる。
 黒羽の背に隠れるように心配そうに顔を出す情介。黒羽は振り向いて情介に微笑むと、お栗を部屋へ連れて行けと小声で言った。
 情介に肩を抱かれて厨を出たお栗。代わって黒羽が厨へ降りる。
「柳だね」
「うむ、おそらく。お栗にはわかるんだ。誰に教えられるわけでもなく宗さんの家を探り当てた娘なんだよ」

 柳が邪視を使ったと感じた久鬼は、それをやめさせようとして対決するためやってきて、しかし寒空。無理がたたって死んでしまった。お栗にすれば父親同然。そして艶辰へやってきて事件のことを聞かされて、皆が柳を追っていると知る。柳が憎いという気持ちが生まれ、ゆえに柳を感じることができるようになっている。
 情介に連れられて部屋へと戻ったお栗。そこには虎介もいて、今宵の二人に座敷はかかっていなかった。情介に支えられるようにして部屋へと入り、どすんと尻を落としてへたり込むお栗。情介と虎介の二人が左右に寄り添う。
 お栗が力なく言った。
「わかるの、柳という化け物の気配がする」
「うんうん」 と虎介は言って、辛そうなお栗の手をそっと握る。
「力がどんどん強くなってくる。あたし怖いの。あたしの力が増してるから。ジ様が死んであたしはもう天涯孤独なんだと思ったんだ」
「うんうん」 と情介が言ってお栗の肩をそっと抱く。お栗は涙を溜めていた。声が泣き声に変わっていく。
「柳が憎い。よくもジ様を殺してくれた。憎いんだ。憎いと思えば思うほどあたしの力が強くなってく。そんな気がして怖いんだ。姉様方がそれで働いてる。あたしだって仇は許せない。あたしにもっと力があればと思ったけど、そう思うからか、どんどん力が強くなってく」
「うん、怖いだろうね、うんうん」 と虎介が手を握り、情介が肩をしっかり抱いてやる。
「あたし嬉しいんだ。もう独りなんだと思ったけど、みんなが娘のように可愛がってくれるだろ・・だからあたし力になりたいって思ったんだ・・そしたらあたしの眸に力が宿ってくるみたいでさ・・怖いんだ」
 泣いてしまうお栗。わずか十五歳の娘、化け物の気配に恐怖を覚える気持ちはよくわかる。

 思ってもみなかったところから柳の所在が知れるやも。
 しかしお栗がそれを感じたということは、柳が邪視を使ったということ。次の事件が迫っているとみて間違いはないだろう。もはや時間がない。
 黒羽、宗志郎、そして美神が顔を合わせた。美神はお栗を呼べと言い、黒羽が立って迎えに行った。そのとき泣いてしまって虎介情介の二人に抱かれていたお栗の手を取り、美神の部屋へと連れてくる。
 宗志郎のそばに座ったお栗。宗志郎はその膝にそっと手を置いた。お栗はちょっとうなずいて、泣き顔を美神へ向けるのだった。
 美神は言った。
「あたしらみんな死に物狂いで探ったんだよ。鷺も鶴も鷹も、いまこうしてる間にも張り付いてる」
 お栗はもちろんわかっているから、泣きながらうなずいている。
「おまえを巻き込みたくはないけれど」 と美神が言うと、みなまで聞かずにお栗は言った。
「逃げませんあたし。柳が憎い。ジ様の代わりにあたしがやる。あたしはこの眸をいいことに使いたい」
 美神は眸を潤ませてお栗を見つめる。お栗は強い子。
「わかった、そうしな。おまえはあたしらみんなの仲間だからね、あたしらできっと守るから」
「はい!」
 泣き濡れる眸に、今度こそお栗らしい力が漲る。美神は微笑んでうなずくと、厨を手伝うよう明るく言った。

「次だね、動くよ」
 柳が次に眸を使ったときが勝負。美神の言葉に皆がうなずく。

 品川の闇はますます濃くなり、船着き場から人影が失せていた。船問屋の船冨士。その屋根裏に鷺羽が潜み、聞き耳を立てていた。
 そしてそこから少し離れた天礼寺には、鷹羽と鶴羽が張り付いている。
「嫌ぁぁーっ、ああ嫌ぁぁーっ、助けてぇーっ」
 凄惨な陵辱。禿とされた娘が三人、阿片を吸わされて朦朧としたところを犯し抜かれる。鬼畜そのものの男ども。敵は総勢五名ほどだが、粗野というだけで、殺るならいつでも殺れる程度の者どもでしかない。
 屋根下の風抜き穴から見下ろす鷹羽は、怒りを抑えて忍んでいて、もう一人の鶴羽は、寺へといたる道の脇に潜んでいる。鶴羽のほうに動きはない。

 裸の娘三人を手首の縄で梁に吊り、尻を出させて後ろから突き立てる。阿片を吸って、むしろ昂ぶる娘らは、女の悦ぶ声を上げながらも、時折正気に戻ったように泣きわめいて犯されている。
 許せない。殺してやる!
 そうは思っても手出しのできないもどかしさ。鷹羽は忍び装束に忍ばせた鉄の爪に手をやって、歯ぎしりする思いでいた。
「助けて助けて、けど果てちまう、もっと欲しいか? はっはっは! ほうらいい、もっと尻を振り立てろ!」
「あぁン、はぁン、あっあっ! もう嫌ぁぁーっ!」
 裸の娘が三人、裸の男どもが四人。そして一人が僧の姿で見張りをする。

 ある娘の尻を犯す男の一人が言った。
「こうして見るとおめえだな。上玉よ。じきに夢の世界へ行けらぁな。そこは地下でよ、泣いてもわめいても声ひとつ聞こえねえ。縛っていたぶるのが好きな御仁でよ」
 すると、その隣で別の娘を犯す男が言うのだった。
「小石川のお大尽か。まったく何人死なせば気がすむのか。屋敷があって、そのための地下があり、地下を行けば寺に出る。鉄砲、刀はそれほど儲かるものなのか、ふん、クソ野郎が」
 鷹羽の眸がぎらりと光った。武尊という武器商人の根城なのか? それとも武尊を操る何者かの根城なのか?
 もう待てない。問い質して吐かせてやると思ったとき、一人の男がまたしても口を滑らせた。
「躾もほどほどに連れて来いってことだ、おめえは明日にでも連れ出してやるからな」
「怖や怖や。そこには見つめるだけで人を操る妖怪がいるそうだ。躾もくそもねえらしい」
 柳だ! 間違いあるまいと鷹羽は思った。
 ヒュィ!
 忍びの耳に聞こえるわずかな息笛。鶴羽が気づき、鷹羽は屋根から飛んで駆け寄った。
「鷺をここへ、やるよ!」

 疾風のごとく闇を駆ける鶴羽。ほどなくして鷺羽が駆けつけ、くノ一三人が顔を揃えた。鷹羽が屋根へ、鶴羽鷺羽は板戸に寄り添い、踏み込む陣形が整った。
 柿茶色の忍び装束から鉄の爪を手にした鷹羽。両手の手首にハメ込んで、内側の握りを持つと、先の曲がった鋭い爪が雲間から注ぐ青い月光を浴びてギラリと光る。
 風抜き穴をくぐり抜けた鷹羽は、屋根の裏に組まれた太く四角い梁に取りついて、下への間合いを計り、まさしく鷹となって舞い降りた。
「許さぬ! 覚悟!」
 男どもは五人いるが、うち四人は素っ裸。見張りの一人が剣を持つ。
 板床に舞降りた伊賀の鷹女(ようじょ)。その目は鬼神。真っ先に、娘を犯す三人の男のうちの二人の背を、両手の爪で切り裂いた。飛び散る血しぶき。爪には恐ろしい毒が塗られている。
「ぐわぁぁーっ!」
「ぎゃうーっ!」
 断末魔の悲鳴が重なって、そのときそれを合図に板戸を蹴破り、鶴羽鷺羽がなだれ込む。
 剣を持つ見張り、そして素っ裸で男根を勃てたまま錫杖にとびつく一人。まさに娘の尻に突き立てていた裸の一人が横っ飛びに床を転がり剣を手にする。

 着衣の見張りと対峙する鷹羽の爪。裸で錫杖を持って身構える一人に対峙する鶴羽の手には、巻き上げた革の一本鞭。その先端には鉄のトゲが埋められて、トゲにはやはり毒。さらに鷺羽だ。鷺羽は吹き矢の名手であり、なだれ込むなり、素っ裸の一人に矢を放ち、矢は男の尻に突き立っていた。こちらは気を失う毒矢であり、男は倒れても死にはしない。一人は生かして口を割らせる。
 着衣の見張りに対峙する鷹羽が言った。
「死にたくなければ吐きな! 小石川のお大尽とは何様さ! おまえら武尊の手下なのか! 吐かねば殺す!」
 そのときすでに、飛び降りざまに背中を裂かれた裸の二人が泡を噴いてのたうち苦しむ。猛毒だ。見張りの男も、鷺羽と鶴羽に睨まれた男どもも、仲間の姿に面色が青くなる。
 しかし見張りの一人が剣を振り上げ、鷹羽へ向かって踏み込んだ。
「ぬかせ女! 勝負はこれから! セィヤァーッ!」
 敵は侍でもなく忍びでもない。なのに剣はかなり使う。踏み込みざまに突き斬りの剣先が鷹羽を襲うが、鷹羽の鉄の爪が剣を受けきり、手首をひねると爪と爪の間に白刃が捉えられて抜けなくなってしまう。
「それまでだ、死ねぃ外道!」
 右手の爪で剣を受けて動きを封じ、左手の鉄の爪が剣を持つ腕を切り裂いた。肘下の腕が裂かれて骨が見える。鷹羽の爪、恐怖!
「ぐわぁぁーっ! 腕がぁぁ!」
 剣を手放し、血の噴き出す腕を押さえて後ろへ吹っ飛ぶ男。またたく間に毒が回り、泡を噴いてのたうちもがく。

 鷺羽の吹き矢は効果が遅い。裸の尻に突き立った吹き矢を引き抜くと、男は剣を中段に構えて、突き突き、突き!
 しかし鷺羽は身が軽く、とんぼを切って宙を舞うと、忍び刀を抜きながら音もなく板床に立って身構える。
「ふふふ、じきに目が回ってくるさ」
「何ぃ! てめえ! 覚悟せいやぁ!」
 振り込まれる剣を剣で払い、転がりざまに鷺羽の剣先が、なかば勃ったままで揺れて暴れる男根の頭を吹っ飛ばす。
「ぎゃぃ!」
「ふんっ、そんなもの、もはやいらん、汚らしい!」
 剣を取り落とし、先をなくして血を噴く男根を両手で覆って絶叫する男。しかしその声が弱くなる。毒が効きはじめていたからだ。

 その傍らで対峙する鶴羽。相手は裸で、長さのある錫杖を持っていたが、鶴羽の手にある黒革で仕立てた毒鞭のほうが少し長い。錫杖の突き込みに対して横振りに振られた鞭先の鉄のトゲが男の頬をピシリと打って、頬が裂け、猛毒が体を駆け巡る。
 裸の男は錫杖を板床について体を支えるも、毒が回って体が動かなくなっていく。
「それまでだね、おまえはもう助からないよ。冥土の土産に娘らの裸を見て死んでいけ、犬畜生め!」
 白目を血走らせ、口をぱくぱくやって泡を噴き、そのうち黒目が裏返って白目を剥いて膝から崩れる裸の男。鶴羽の前蹴りを鼻っ柱にまともにくらって後ろへ吹っ飛び、ひくひくと死の震えを繰り返す。

 鷺羽の吹き矢に倒れた男。朦朧とする意識の中、三人のくノ一たちの姿が歪んで見える。
「さあ吐け! 小石川のお大尽とは何者だ!」
「あぅぅ、言う、言うから命だけは」
 男は吐いた。しかしすべてが知れたわけではなかった。下っ端が知らなくていいことは知らない。ただひとつ、そこに柳が潜んでいる。それだけ聞けば充分だった。
 屋根下の太い梁に素っ裸で吊られたままの娘らは、突如起こった惨劇に声もない。そんな裸の娘らに鷹羽は言った。
「よく見ておきな、おまえたちの仇はとったからね」
 黒い鞘から忍び刀を静かに抜くと、朦朧として声も出せなくなった裸の男の胸板へ、鷹羽は顔色ひとつ変えずに鬼の刃を突き立てた。

 鷹羽、恐怖! 鷺羽鶴羽もまた恐怖! 女は恐怖!

 天礼寺で娘らを救い、くノ一三人は艶辰へと走った。しかし品川からではいかにも遠い。
 そしてそれから一刻あまりが過ぎた頃、艶辰では、お栗が念を感じて美神が号令。茄子紺の袴に黒頭巾の黒羽、同じく茄子紺の袴に赤頭巾の紅羽、そして青鞘の刀を佩いた宗志郎が、町娘の姿のままのお栗の手を引く。美神は残って、よもやのときに艶辰を守る。

 くノ一三人は永代橋のそばまで迫っていたが間に合わない。
 柳の発する念をたどってお栗が走り、三人が後を追う。しかしそうして柳にたどりついても寺には抜け穴があって、知らせがなければ逃げられる。
 急げ、くノ一!

 今宵は雲間に美しい三日月が浮いていて、しんしんと冷えていた。