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その女、危険性。(三話)

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三話 女の闇


 明江はただ呆然とするだけで何も考えられなくなっていた。黒いローテーブルの上で起きていることを信じろというのか。信じるしかない。夢ではない。覚醒した意識の中で確かに思う。そうは思うのだが、あまりの不思議とあまりの恐怖に声も出ない。
 テーブルに置いたはずのたった一本の獣の毛。それがいま明かりを消した闇の中で、仄かに光る青色の光の繭につつまれて、その光の中で小さく可愛い狐の姿に化身してこちらを見ている。手乗りサイズの狐。親指の先ほどしかない小さな頭から、ふさふさした尻尾の先まで体長は二十センチほど。毛は茶色。子猫よりも小さな姿なのだがスマートな大人の狐。小さな貌は大人の狐らしく円錐形に鼻先が尖っていて、二つある目のところにサファイアでもはめこんだように、眸が淡く青く輝いて、小さな体をつつむ青い光は、どうやらその眸が発した光のようだった。
 明江は、一糸まとわぬ裸身の産毛という産毛が逆立つようで、これまでに経験したことがなかった恐怖とともに不思議な感動さえも覚えていた。こういうことが現実にあり、そんな世界へ導いてくれる紀代美という女と出会えたことが嬉しくなった。

 青い光の中の小さな狐は、確かに穏やかな面色で微笑んでいるようだった。二つの青い眸で紀代美を見つめ、それから貌をきっぱり振って明江を見つめる。
 透き通った視線。狐の眸が向けられて明江は性感にも似たゾクゾクする震えが背筋を突き抜け、喉をクゥと鳴らし、それでいて嬉しくて、微笑む視線を可愛い姿の狐に向けた。
 紀代美は開いた両手を合わせて授かり手を差し向けて、そうすると小さな狐はぴょんと跳ねて紀代美の手に乗り移る。
 紀代美が言った。
「願いをお聞き届けくださり心より感謝いたします」
 そのとき狐の眸は確かに微笑み、次の瞬間、天から注ぐような女声が聞こえた。ゆったりとした女の声。限りなく透明な精霊の声のようだった。
『どうせよと言うか? その者を殺せと言うか?』
 紀代美が言う。
「ここにおります明江もまた苦しめられておりますので」
『そうか、ならば明江とやらに決めさせよう』
 そして狐は宝石のように青く光る小さな眸を明江に向ける。
 紀代美が明江に向かって言った。
「明江、手を」
「あ、はい」
 紀代美がしたように明江もまた開いた両手を合わせて授かり手をつくり、小さな狐はぴょんと跳んで手から手へと乗り移る。

 重さを感じない。なのに手が温かい。それは女心が手にのったようだと、このとき明江は嬉しかった。
 開いた両手の上でふさふさした尻尾をちょっと振り、狐は青い眸を向ける。
『どうせよと言うか? その者の死を望むか?』
 明江は怖い。迂闊に言えばあの女の人生を奪うことになる。あの女への憎しみが、むしろ消えていくような気がした明江。
「いいえ、そこまでしては可哀想です。私や紀代美が許せると思えるまで心から反省してほしい。あの人にはやさしいところもありますし、ただちょっと意地悪すぎて困るんです」
 手の上の狐はキラキラ光る青い眸で明江を見つめ、そして言った。
『そなたもそうではなかったか。紀代美を快く思っていなかった』
「はい、おっしゃるとおりです。なんとなくですけれど怖く思えて。心から反省します、人の心は深くにあるもの。軽率でした」
 狐は微笑む。
『ではこうしよう、その者をそなたの思うままに操ってやるがよい。すべてはそなたの心ひとつ。それでよいな?』
「はい、少し思い知らせて許してあげるつもりです」
 すると狐は確かに微笑み、上に向けて開かれた明江の親指の先をちょっと噛んだ。鋭い歯。痛いというほどでもなかったがチクリと針で刺されたような痛みは感じた。
『私のしもべを嫌った罰。痛みの意味を思い知りなさい』
 そして仄かに青く輝く光の繭ごと闇に滲むように狐は消えた。

 狐がいなくなっても明江は手を開いたまま。呆然として身動ぎひとつできないでいる。
「明江」
「・・」
「明江ってば」
「・・ぁ、はい」
「もういい、お帰りになられました」
 上向きに開いて合わせた両手がすとんと膝に落ちていた。体に力が入らない。
 紀代美が言った。
「空狐(くうこ)様と言って、三千年を生きた牝の狐の化身なんですけど、天狐(てんこ)様の次の位の妖怪なのよ。恐ろしい神通力をお持ちでね」
「信じられません、夢なのか幻だったのか」
 そして紀代美は言う。
「すべては明江にお任せになられたわ。私の意思ではどうにもならない」
 そのとき明江は我に返った。女二人が素っ裸で向き合う異常な世界。いま現実に起きたことを信じないわけにはいかなくなった。
「私だけ? 私が決めるの?」
「そうよもちろん、空狐様のご意思ですもの、明江が思うようにすればいい。死ねと念じればそうなるし」

 あの女は許せない。それはそうでも、運命を決めるのは私と考えると怖くなってならない明江。恐ろしい力を持ってしまった。あの女に対して私は死神にでもなれると思うと心も凍る。本心が隠せなくなる。死ねばいいのになんて誰もがちょっと思うこと。願ったところでそうならないとわかっているから思えること。
 明江は自分の心の闇の部分が怖くなる。女は決定権から逃げたがるもの。
 紀代美は明江の手を取った。
「怖いでしょ?」
「すごく」
 紀代美はちょっと笑う。
「私は私が恐ろしい。他人にかかわるのが恐ろしい。私の家系は代々呪術師。いまの毛皮は空狐様ですけど、母に言えばもっと恐ろしい呪いもある。それもこれもいつか私が受け継ぐ定め。だから私は私の中にある黒い心が怖いのよ」
 気持ちはわかる。人を恨んでいられるうちは、むしろ幸せ。その気になれば殺せると思ったとたん悪魔の心が騒ぎだす。
 それで紀代美は暗いんだ。何事も隠しておきたくないから下着さえも拒んでいる。そうした女心が痛いほど理解できた明江であった。

 ハッとする。ハッとして紀代美の貌を見つめる明江。しかしそれは言うべきではなかっただろう。

 逃げたという旦那の行方は不明? 離婚にいたらず夫の名のまますごす妻。
 もしや離婚の対象がすでにこの世にいないのでは? 何かがあって許せなく、命を奪ってしまったのではないか? この人にはそれができる。だから自分を呪って紀代美は暗い。
 そうよ、そうに違いない。もし私なら、もしも夫に裏切られたら許さない。明江は、紀代美だってきっとそうよと確信し、同じ心に苦しむ女に自分を重ね、女の苦悩を共有できる、この世で唯一の分身なんだと考えた。
 K2のオフィスはビアンの巣。私にはできないと思う反面、まるでわからないかといえばそうでもなかった。男女の性とは決定的に違うところがある。同性ゆえに持ち合わせる醜さのすべてを許容し、切ないまでに愛し抜く。他人であって他人でない。男女の性が互いの美点を愛するものなら、女同士の性は互いの醜悪を愛していくもの。明江は、自分よりもひとまわり小柄で華奢な紀代美の裸身を見まわして、紀代美は紀代美で性の予感を察していながら明江の体を見つめている。
 明江は言った。
「シャワーさせて」
 うなずく紀代美。けれどそのときの紀代美の微笑みは、暗かった紀代美の姿ではなくなっていて、やさしい女に変わっている。
 全裸で立った明江は紀代美の手を引いてバスルームへと誘い込む。同じ間取りで勝手を知る他人の部屋。バスルームも、その前の脱衣、洗面台も、乱れなく綺麗にしている繊細な紀代美。この人はいい加減な人じゃない。

 熱めのシャワー。シャワーヘッドで調整できる粗く強い雨が素肌を叩き、見つめ合っていると性の震えがやってくる。
「紀代美」
「寂しかったのよ・・抱いて明江」
 歳上でも小柄な紀代美は、ひとまわりパーツの豊かな明江に甘えるようになり、明江はそんな紀代美がとてつもなく可愛い。遠ざけていたものが、知ってみるとじつはそうではなくて愛の対象。
 紀代美を抱いて唇を重ねながら、背を撫でてやり、尻を撫でてやり、手を前にまわして陰毛のない陰唇へと指を這わせていく。
 紀代美は言った。
「生まれつき毛がないの」
 そんなことはどうでもよかった。
「好きよ紀代美」
 閉じた陰唇へ指を這わせ、シャワーの流れを手で導いて性器を愛撫洗いしてやる明江。クリトリスが硬くなって飛び出して、紀代美は感度のいい女体を持った牝。紀代美の白い総身がわなわな震えた。閉じた目の眉根が寄せられ、眉間に甘いシワが刻まれて、小鼻がぴくぴく痙攣するようにすぼまり、ひろがり、甘く苦しい息をする。
「はぁぁ、うぅン明江ぇ、いい、好きよ明江、あぁン」
 尻にまわされた紀代美の両手が明江の白桃を揉み上げて、右手が尻の底へ、左手が前にまわって黒い毛群らをまさぐって陰唇へと忍び込む。右手で揉むようにアナルを愛撫。そうしながら左手の指先が潤って蜜に濡れる肉ビラを掻き分けて体の中へと没していく。
 明江の指が紀代美の膣口をそっと嬲り、ぬむぬむとめり込んだ。

 衝撃的な電流。明江の裸身ががたがた震えだし、一気にピークへ駆け上がる。アナルへめり込む紀代美の指と性器を突き刺す紀代美の指。明江の指が紀代美の膣から抜き去られ、たまらず抱きすがる明江。
「ああ紀代美紀代美、ダメ、ねえダメぇ!」
 シャワーの温水と体内から放射される熱水とが一緒になって陰唇から噴きだした。失禁、いいや潮を噴いて快楽を叫ぶ明江の牝ビラ。
 信じられない。夫が好き、別れた元カレだって大好きだった。けれどエッチでこれほどもがいた記憶がない。ひとまわり豊かな明江がひとまわり小柄な紀代美に支えられていないと崩れてしまう。犯される性でも犯す性でもない、咲き乱れる女同士のせめぎ合い。相手が紀代美だから乱れていられる。紀代美になら何をされてもいいし、どんなことでもできると思う。相手が男では到達できない女の性の高みなのだと明江は感じた。

 ベッド。かつてきっと旦那と愛し合った大きなベッド。いまそこに男の臭気はまるでなく、女と女が脚を開き合って絡み合う。
 花合わせ。貝キッス。ネチャクチャと醜い声を性器が発し、感じて腹筋を力ませるとブシュっと汁を噴いて膣から空気が押し出され、負圧となった体内の吸引力で陰唇と陰唇が吸い合って、互いの膣汁が吸い出されて濡れが絡む。
 果てる。達する。
 狂ったように腰を入れて性器をなすりつけ合い、苦しくなって離れようとするとシュポッと吸盤が引き剥がされる音がする。紀代美は無毛、もし私もそうならば性器の噛み合いはもっと深いと思えるのに。
「うはっわぁぁ」
 イクなんて次元を超えた快楽に明江はおかしな声を発し、総身震わせ、たまらず抱き合いむしゃぶりつく。紀代美の舌を吸い出して口の中で舐め回し、乳房を揉んで乳首をつねる。苦痛のようにのたうつ紀代美が好き! 明江は狂った。体中を舐めてやり、M字に開かせた腿の根に醜くある牝のビラ花へと口を尖らせ吸い付いていく。
 小柄な体なのにクリトリスが大きい。鞘をはらった小刀のように包皮を飛び出す肉色の芽。いまにも芽が伸び、そこから別の小花が咲きそうだった。
「うわぁ! うわぁぁ! 明江、明江ぇ!」
「もっとよもっと、もっとイケ。ほらイケ紀代美、あなたが好き!」
 拷問を嫌がる女体のように紀代美はのたうち、けれども性器を上向きに突きつけて、さらなる愛撫を求めている。

 クリトリスを吸いのばして噛んでやる。
「きぃぃ! ひぃぃぃ!」
 ベッドがロデオマシンのように弾んで縦揺れ。二人の裸身がふわふわ揺れて、紀代美はついにくたばった。白目を剥いて口をぱくぱくさせながら、背骨が軋むほど反り返り、一瞬後にばったり崩れた。
 明江は自分で自分を突き刺して、登り詰めて後を追う。壮絶なピーク。決闘のようなセックスだった。くたばり果てた二人の女体は、毛穴という毛穴から愛液そのもののねっとりとした脂汗を搾り出し、汗と汗で接着された二人の女が、もはやぴくりとも動かない。

「明江」
「ふふふ、どういうことよ、化け物と化け物のセックスだった」
「ほんとね、クラゲとイソギンチャクの決闘みたい」
 抱き合って貌を見ると、それが紀代美の素顔なのか、暗かったイメージはどこにもなかった。やさしい女の貌をしている。
 明江は微笑んで頬にちょっとキスをして、抱擁をほどいて仰向けに寝直った。
「どうしてやろうって思うのよ」
「あの女を?」
「そう、あの女を。気が変わった。血の涙を流すまで許さない。もうおしまい、私たち二人のペットにしてやる」
「ふふふ、怖いことを考えるのね」
「だって」

 やりすぎ? そう思って紀代美を見ると、紀代美は笑ってうなずいている。

「私も最初はそうだった。殺したって不可能犯罪なんですもの、罪にはならない。そのうち自分が怖いと思った。どんどん都合よく解釈してく」
 紀代美の声を聞きながら、明江は静まっていく怒りを感じて言う。
「そうね、ちょっとやりすぎかもね。泣いて土下座をさせるくらい?」
「それがいいよ。彼女にだっていいところはあるんだから。ただちょっと性格悪すぎ。厳しい罰は必要でしょうけれど」
 明江はちょっとほくそ笑んで紀代美の手を取っていた。そのとき時刻は深夜の二時になろうとした。305号に戻ったところで今夜もまた夫はいない。このまま泊まろう。303号は愛の部屋。明江は紀代美を抱き寄せて眸を見つめた。
「会社にもね」
「うん?」
 嫌な女が一人いると言おうとして明江は思いとどまった。まずは勝呂陽子。あの女がどうなるかを確かめて、それからのことだと考えたからである。
「ビアンがいるのよ二組も。社長とナンバーツーがそうだし、ほかにも二人。バイトの子も入れてたった七人の会社なのによ。まともなのは私と私の友だちだけだって思ってたけど」
「明江までそうなったって?」
 くすりと笑う紀代美。
「恥じる世界じゃないって痛感したわ。女を愛せる女は幸せ」

 ちょっとうなずく紀代美を乳房に掻き抱いて、しかし明江の眸は輝いていた。
 嫌な女、横倉浅里。そして社長も。いつかきっと牛耳ってやると明江は思う。
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