その女、危険性。(四話)

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四話 手さぐり


 そして、翌朝。
 目覚めの予兆を感じたとき、明江はあえて意識して目を閉じて、大きなベッドのシーツに手を這わせていた。夫のいない夜。触れる素肌があってはならないし、それがなければ昨夜のことは夢だった。夢であれば激しい淫夢。女同士で貪り合って獣のようなピークを知った。夢であるなら私の中に隠しておける肉欲への想い。しかし手はすぐそばに眠る女の裸身を感じてしまう。紀代美。昨夜のことが夢でないなら、青い光の中の小さな狐に呪詛をたくしたことになる。死ねと思えば相手は死ぬ。あの女の運命を決める力を持ってしまった恐怖。女同士の淫ら寝も、それがあって何かの間違いで踏み込んでしまった世界。一夜を眠ったまともな思考が明江に恐怖をもたらしていた。

 夫ではない温かな肌。柔らかな女の肌。明江は薄く目を開けて横を見た。穏やかな女の寝顔、それは紀代美。夢ではなかったというかすかな失望を感じてしまう。紀代美は寝息を立ててよく眠っている。性にとろけて満たされた女の貌は美しかった。時刻は六時。外は明るくなっている。
 明江はベッドサイドに置いたままのショルダーバッグへ手をのばし、スマートフォンを取り上げた。マナーモードにしたまま。今日は土曜日。夫が帰るなら昨夜のうちにメールぐらいは入っているかも。しかし着信はなかった。

 スマホは手の中でネットにつながる。
 空狐(くうこ)。言葉を入れるだけで検索できる。長い歳月を生きて霊力を持った狐の妖怪。最上級が天狐(てんこ)、次が空狐。最下級の野狐(やこ)が人を化かすといわれる狐であって、空狐より上位の狐は妖狐(ようこ)とも言われ、神の使いであるとともにお稲荷さんとして祀られる神でもある。昨夜見た空狐は尻尾が一本であり、それはいいことを行う善の狐。尻尾の数が増えていけば邪神として恐れられる九尾の狐にいたるという。
 しかしそれはそうでも、まさか実際にいるものだなんて思えない。呪術にしても映画で見る世界ではなかったか。呪いで人が殺せるものか。丑の刻参りで人が死んだなんて話は聞かない。紀代美とのはじめてのレズが強烈すぎて見た錯覚だったのか。どうにも思考が定まらない。

 目を覚まして明るい虚空を見つめていても信じる気持ちになれない明江。
「ぅン・・明江」
 ささやき。寝言のようだ。こちら向きに寝返りをうち、乳房に甘えて抱きすがってくる紀代美。歳上なのに少女のように可愛い。紀代美はそのとき偶然唇に触れた明江の乳首を口に含み、幼子が安心するようにちょっと笑って寝てしまう。

 青い光の繭をつくる小さな狐。夢じゃなかったと考え直すと、次には、あの狐は私一人でも呼び出せるものだろうか? 紀代美の力を借りないとダメなのか? そうした思考にとらわれる。毛皮の毛を一本もらえばできるのなら私一人でだって相手を呪える。それは恐ろしいことだけど、そんな力が自分にあればどれほどいいかと考えて、そしてハタと、眠る紀代美の貌を見つめる。
 この人は怖い。もし私が裏切れば私だって呪われる。女の闇を知り尽くし、他人の運命を決める力に苦悩して、だから暗く沈んで生きてきた。
 抱きくるむ腕の中で紀代美の身動ぎ。
「もう起きたの」
「うん。起きてみて夢じゃなかったんだって思ったわ。狐さんのことよりも紀代美とこうしていられた夜が幸せだった」
「そうなら嬉しい」
 紀代美はちょっと笑って、ふたたび明江の乳房に貌をうずめた。貌をうずめていながら目を開けて、『この子はいつか私を怖がる。怖がって遠ざけようとするときがきっとくる』・・と考えていた。この子をつないでおくために空狐を使いたくないと紀代美は考えていた。
 明江が言う。
「どうすればいいの? 念じればいい?」
「念じるだけじゃダメ、声に出して言えばいい。相手の姿を見つめながらささやくように言えばいい。空狐様は声に応えてくださるわ」
「うん、わかった」
「そこが怖い」と言いながら、紀代美は明江の裸身に寄り添う膝を上げて、明江の腿の間に膝をはさむ。明江は少し脚を開いて性器に押しつけられる紀代美の腿を受け入れた。それだけでも感じてしまう。

 紀代美は言った。
「女は心にもないことを見境なく言うでしょう。死ねばいいのに。それを言えばおしまいなのよ。心で思っていなくても相手は死ぬ。よく考えてからでないと迂闊に言えない」
「怖いね」
「そう、怖い」
「取り消せないの?」
「取り消せない。そんなことをすれば呪いが自分に向けられる。空狐様を弄んだことになるんだもん」
 軽はずみに私を使うな。それが空狐の意思なのだろうと考えた明江だったが、そうなるとますます恐ろしい。何かの拍子にカッとなって言ってしまいそう。
 明江は問うた。
「紀代美はどうしたい?」
 紀代美はちょっと眉を上げて苦笑する。
「空狐様はあなたに委ねられた。明江の思うまま、私ではどうにもならない。空狐様が願いをきいてくださるのは一度きり。明江が止めないかぎり呪いは続く」
「ずっと?」
「そう、ずっと」

 そして紀代美は、明江のデルタへ押しつけていた膝を退き、明江の眸を見つめながら、代わりに手を忍ばせる。明江は眸を開けて見つめたまま腿をさらに割りひろげて紀代美の指を受け入れた。
「ンふ、はぁぁン」
「こうされて嬉しい?」
「嬉しい。また感じておかしくなっちゃう」
「みたいね、もうねっとり」
「愛してるなんてまだ言えない。でも紀代美とはずっと一緒よ」
 紀代美は声には出さず微笑んで、濡れはじめた明江の陰唇をまさぐって、硬くなって尖るクリトリスを指の腹でこすりあげた。
 切なげに溶けるような明江の貌を覗きながら紀代美は言う。
「いま言ったばかりじゃない。どうなるか知れないことは言わないものよ。これはお仕置き」
 白い指を二本まとめて曲げた無造作な責めが明江の膣へと打ち込まれた。寒気のような性感が背筋を貫く。
「ンっ、あぁぁ感じる、好きよ紀代美」
「もっとほしい?」
「ほしいの、シテ」

 私のなにかが根底から変わってしまったと明江は思った。呪詛という恐怖を共有できる紀代美に対して、なにもかもを突き抜けた慕情を感じる。利用しようなんて思っていない。絶対的な私の味方。肉体を捧げても悔いはないと考える。
 甘く熱い吐息とともに淫水を分泌しながら身悶える明江を、醒めた眸で見つめて紀代美は言った。
「現象でいいのよ」
「現象って?」
「明江とのいまこのとき、それも現象。相手に心をせがんだときの私は怖いわ」」
「寂しいよそんなんじゃ。ただのセフレになっちゃう」
 愛してほしい。独占されたい。先々ずっと味方でいてほしい。そこにかすかな計算が入り込んでいることを承知の上で明江は言った。いつか許せなくなる相手がきっと出てくる。そのときのための紀代美・・という計算。
 しかし紀代美は微笑んで言った。
「愛は幻想。でも現象は情を生み、ほどよい距離を保ってくれて、だからこそ愛していられる」
「そっか。うん、そうだね、そうかも知れない。決めてかかるとつまらないし」
 明江は微笑みながら紀代美の胸に貌をうずめ、膣刺し指の愛撫を楽しむように抱きすがった。

 あの女をどうしてやろうと、これまでは考えていた。許せない。どうしてやろうと。
 それがいま、どうしように変化している。明江は弱気になった自分を感じた。
 勝呂陽子、三十代の末。旦那はいても子供はいない。おそらく不妊。そうなると想像できる専業主婦の姿がある。旦那との夜はとうにない。子供を囲む家庭への夢が断たれたとき、母性は他人へのお節介へと変化した。社交的で明るい性格。女としてはいい性格だと思っているのに母親になれないまま枯れていく。人付き合いはうまいほうだし中心にいられる才もある。だから相手に突っ込みすぎて敬遠されてしまうのと、性的な飢えなのかレズっぽい雰囲気で嫌われる。
 彼女のなにもかもがわからないわけじゃない。寂しさにもがく主婦の姿が見透かせるし、そんな人ならちょっとしたことで変わるのではないか?

 昨夜は仕事帰りの姿のまま303号。ともかく自宅に戻った明江。自宅といっても間に304号を挟んだふたつ隣りの305号。紀代美と一緒に朝食を軽くすませて戻った明江。そのとき時刻は八時すぎ。しなければならない家事もあったし夫からの連絡も待たなければならなかった。
 しかし、なにをしていても上の空。よくよく考えておかないと、ばったり会ってカッとするとどうなるか知れたものじゃない。
 と、旦那からのメールが飛び込んだ。月曜まで帰れない。これで紀代美との時間ができたと明江は思い、そのとき同時に、あの女になにかをするならタイミングがいいと考えたのだが、今日は土曜日で向こうには旦那がいるはず。平日の静かなマンション内で、あくまで女同士で決着したい。無関係な旦那までを巻き込むのは可哀想。

「弱気だなぁ」と、明江はため息をついてダイニングテーブルに座り込む。キッチンのオープンカウンターに置いたデジタル時計が9:59。ちょうど00へと変化するタイミング。
 10:00ジャスト。そしてそのときスマホに着信。相手は紀代美。
「出かけた? ご主人と?」
「いま下でばったりよ。そ知らぬ顔でデートって感じだった」
「デートか。ご主人とはうまくいってるみたい?」
「かどうかはアレだけど険悪ってムードでもないようね」
「うん、わかった。でね紀代美、主人からメールがあって月曜まで戻れないって。そっち行っていい?」
「もちろんいいよ、おいで。私たちもランチに出ようか?」
「それいいかも。すぐ行く」

 部屋着よりはましなブルージーンの姿。行くもなにも一部屋隔てた隣りの住戸。
「私ダメだわ、考えれば考えるほど弱気になっちゃう」
 紀代美は、そうでしょうねといった面色でちょっと笑った。明江との夜を経た紀代美は部屋の中では全裸ですごす。それがあたりまえの女に戻っている。
 あの女に対して考えていたこととが相まって、白くて綺麗なヌードを見ているとムラムラする。紀代美は男好きするスタイルをしている。
 明江は言った。
「私たちの性奴隷なんてことも考えたけど、私はなんて残酷な女だったのって思ってしまって」
「わかるよ。私はそれで苦しんできたからね」
「やっぱり?」
 紀代美は眉を上げて小首を傾げる素振りをすると、下着をつけずにジーンズとシャツを着はじめる。
「いつもノーパン?」
「アレのとき以外はね。裸に慣れると下着なんて苦しいだけよ」

 クローゼットの前で服を着ていく紀代美を見守りながら、明江は言った。
「それで思ったのよ。私の言うことには逆らえないなんてどうかって。脱げと言えば裸だし、どうにだってしてやれる」
「それもいいけど、それって結局、奴隷よね」
「そっか、そうなるんだやっぱり。いろいろ考えたんだけどチャンスはあげたい。寂しさを吐き出させてやるといいのかなって思ったし」
「怖がってるね明江」
「そうだよもちろん、迂闊なことは言えないもん。ムカついて恐ろしいことを言っちゃうぐらいならそっちのほうがマシなんだし、彼女だって反省すると思うしさ」
 そしたら紀代美は、なにを思ったのか明江に歩み寄って頬にキス。ただそれだけのことなのに頬に触れた唇の感触が全身に伝播して鳥肌が騒ぎだす。なぜなのか心が浮き立っていると明江は思った。紀代美とのこともそうだし、あの女を屈服させたときの恥ずかしい姿までをも妄想する。いままでになかった新しい性の予感にときめいている感じ。
「そういうことなら、この部屋で調教? ふふふ、ちょっと楽しみ」
 紀代美は黒目をくるりとまわす仕草で笑い、そのとき明江は眸を輝かせて言うのだった。

「調教って言うならマンションの中すべてがそうだわ。あのひん曲がった人格を壊してやる」
「怖い怖い。さあ行こ」
 身支度を終えた紀代美が明江の尻をぽんと叩いて、部屋を出た。