赤い蝶 (上)

 今朝早く、主人が三月の長期出張に出たその日、私は鼻歌混じりに
家事をはじめていたのです。これだけ長く離れているのは独身の頃以
来。主人がいても嫌ではないけど、とにかく気が楽なのです。
 お天気のいいバルコニーで洗濯物を干していました。長くいない主
人のシーツそのほか、まとめて洗っていたんです。バルコニーには物
干し竿が二本あり、その外側にシーツを掛けて目隠しにし、次にバス
タオル、主人のパジャマ、私のパジャマと干していったわけですけど。

 そして私のパジャマの下を干そうとしたとき・・。
 シワになって縮こまるズボンをバサバサ振って伸ばしたときに、ズ
ボンの裾から何やら赤いものがすっぽ抜けて飛んでった。バルコニー
の手すりの外へヒラヒラと・・。

 ん?ん? と思った次の瞬間、ドキンとしました。
 真っ赤な私のパンティです。
 下着は分けてネットに入れて洗うのですが、夕べのエッチで・・明
日からいない主人のために、いつになく赤い横ヒモのパンティを穿い
て寝た。寝てあげたと言うべきか。
 なのにあの合理主義、パンティとパジャマをまとめて脱がした。
 で、そのまま下は裸で寝たもので・・などと回想しながら、あらた
めてドキンとした。考えてる場合じゃないのです。
慌てて五階のバルコニーから下を覗き、そのときに下から見上げる男
性と まともに目がかち合った。一階下の江本さんのご主人です。歳は
三十代の後半ぐらいと、ほぼ主人と同じですけど、江本さんは背が高
くて体つきも締まってて素敵な人。
 その彼が、赤いパンティ手に持って私を見上げて笑ってる。

 嫌な汗がドーっと出て、私は飛び出していったのでした。

「これはこれは河原さん、おはようございます」
「は、はい、おはようございます」
 ああ燃える。頬が火事です。
「今日はちょっと寝坊してしまって遅刻ぎみなんですが、なんだか朝
からラッキーですね? あっはっはっ!」
「すすす、すみません、慌て者で私・・」
「いえいえどうして、はいどうぞ。落ちてくるところをキャッチしま
したから下には落ちていませんよ。僕は野球部です、はっはっはっ!」
 私もう茹でタコみたいに顔を赤くし冷や汗もので受け取ると・・パ、
パンティが裏返しになってます! 
 もう最悪・・アソコにあたっていたところが彼にしっかり握られて。
 彼も彼で、目の泳ぐ私を含み笑って見つめてて・・。
「それにしても可愛いなぁ、むふふ」
「い、嫌ですわ・・ああ、どうしましょ、恥ずかしい・・」
 ご近所あたりに轟くばかりに大笑いされました。

 そしてその日の夕刻のこと。その日は午後になって、主人がいない
のをいいことに渋谷に遊びに出たのですけど、その帰り、渋谷の駅の
構内で江本さんにそっくりの後ろ姿を見たのです。
 江本さんね、なんだか元気なさげに背中を丸めているようで・・会
社で何かあったのではと直感した私は、今朝のこともあり、お茶ぐら
いならいいかなと思ったもので、声を掛けてみたのです。
「江本さーん」
「え? ああ! これはこれは。今日はまた、こんな時刻に?」
「主人が出張でいないんですよ、三ヶ月ほどらしいんですが関西に」
「ほうほう、あ、そうですか、それで久々羽をのばして?」
「うふふ、そういうことです。今朝ほどは失礼しました」
「いえいえ、失礼どころかお礼したいぐらいのもので。いやぁ、あれ
にはまあ、鼻血が・・」
「も、もう・・嫌ですわ、エッチぃ」
「お時間あるならお茶でもどうすか? なんなら飯でも? 奢ります
よ?」
 先に言われてしまったわけで。
 でも、なんだかやっぱり元気がなさそう。

「・・つぶれた?」
「不動産業界なんて直撃ですよ。大手のマンション屋がバタバタ逝っ
てる中、ウチみたいな零細がいままでやってこれたことがおかしいん
だ」
「いつのことですの?」
「じつは先々月のことなんです。トンズラですよ社長の野郎。それで
今日も職安とそれから知り合いの業者筋を回っていたわけで。みっと
もない話です」
 返す言葉が探せません。
「それで今朝ね・・あれはよかったなー、うん、よかった。あっはっ
は」
「よかった・・とは?」
「久々に腹から笑えて、今日は何かいいことあるかなと思ったんです
が、甘かったです。いえね、ウチのヤツともしばらく前に、ちょっと
やり合っちゃいましてね、それでいま子供を連れて実家に帰ってるん
です」
「そんな・・そういうときこそ助け合うのが・・」
 彼、違う違うと宙を扇いで・・。
「あ、いえいえ、アイツは悪くないんですよ、苛立った僕がちょっと
ぶつけてしまったもので。まったく情けない男です」

 ご飯だけで終わらせるつもりだったのですが・・。

「ちょっと?」と、私がグラスを傾ける仕草をすると・・。
「ありがとう、嬉しいな」って、こくんて頭を下げたのです。
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