間の手抜き



むかしむかし、あるところに、ヘボ作家がおりました。僕のことです。
あのころ書いたものが気に入らない。どこがどう気に入らないのか。
いっぱいありすぎて、どことは言えない。

「ねえ・・・それってどういうことよ・・・だって私・・・」

そんな会話の一行にも気に入らないところはあって、『間』の手抜き
なんですよ。それで書き手の想いが伝わる時代になったのか。
おそらく違う。読む側で、そういうものだと表現に馴らされてしまった
だけ。ちっとも伝わっていないだろう。

たとえば、こう書くべきところ。

「ねえ」と言ってA子は探りの目を向け、それを訊くべきかを戸惑うよ
うに「それってどういうことよ」と言葉をつなぎ、どうせ無駄よ、わかっ
てくれないと声をなくした。「だって私」とささやかな抵抗をみせてうつ
むくしかない。

たった一行の言葉に行間とも言うべき厚みがでてきたと思いません
か。わかっていても逐一それをやるのは面倒。そのぐらい『・・・』でわ
かってくれよというわけだ。

こういうところが昔書いたものにはたくさんあり、アラばかりが目立っ
てくる。ま、そんなようなことに悩みに悩み、キーボードが進まない。
それでずっと書かなかったわけですが、どうにか復活。

岡崎潤の近況です。

白き剣(十一話)

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十一話 美しき裸身


 美神の姿は神々しいまでに美しい。四十二歳。まさかと思わせる若さに悟郎太の目は吸い寄せられて目を切れない。
「どうしたんだい、女房がいるからかい?」
「あれは女房じゃねえ。なもん、いねえさ」

 悟郎太はちょっと笑うと美神の裸身を見つめながら脱いでいく。毛の中にあるような顔。全身毛だらけ。まさしく野獣の体躯を持つ風魔の猛者。美神は、そうした体躯が晒されたとき、すでに勃つ悟郎太の武器に微笑みながら、風が流すように寄り添うと、そっと抱かれ、抱かれながらますますいきり勃つ悟郎太に手をやって撫でるように可愛がる。
 最前の話の合間、「そこの女将のように魂を抜かれる女はいるものさ」と言ってまっすぐ見つめてくれた野獣の目に、かすかな諦めのような心根が透けていた。想ったところで高みの花。そんなような諦めであったのだろう。
 そしてそう感じたとたん、たまらなく可愛く思えてならかなった。あたしの女心が揺れた。揺れた心に嘘はつかない。それは男芸者の二人にも、お艶さんの三人娘にも、ずっとそうして教えてきた人の心。

 冬。裸身では寒く、悟郎太は背を押して湯へと誘う。自然のままの岩風呂はところによって背丈よりも深く、そちらに歩もうとすると手を引かれてとめられる。
 透き通った山の湯が陽光を散らしてきらきら輝く。岩を背にどっかと体を投げ出した悟郎太の上に浮くように、美神は男に抱かれていた。
 しかし悟郎太は抱くだけで手を出さない。それもまた男らしいけじめ。見かけの粗暴とはまるで違う筋の通し方も美神を震わせるものだった。
 抱かれていて目を見つめ合い、唇を求めていったのは美神のほう。そっと触れる静かな口づけが、いっそう美神を熱くする。
 しばし抱かれて男と女の凪を楽しみ、それから美神は湯を立って、すべすべとした岩肌に両手をついて悟郎太に背を向けた。膝の少し上ほどまでが湯に浸かり、白く熟れた二つの甘い桃が晒される。美神は腿を弛めて尻を上げた。「女将の名は?」
「美神。美しき神と書く」
「うむ、まさに」
 悟郎太は湯に沈み、美神の尻の下から毛だらけの顔を密やかな美花に寄せていく。

「ぅん、くう、あぅ」

 女陰を舐め上げ、ますます濡れる花弁を吸い立てて、ザッと湯を乱す気配がし、強くなった悟郎太の切っ先が濡れる花にあてがわれた。美神はさらに尻を差し上げ、白い歯で唇を噛み、背を反らせて犬のように上を向く。
「悟郎太、いい・・すごくいい・・」
「参った。もはや頭も上がらぬよ」
 豊かに張って、突き上げのたびに揺れる乳房を揉みしだかれ、美神もまた白き獣と化していく。
 声は噛む。噛みきれなくて喘ぎとなって、声の代わりにぶるぶる震える尻肉を振り立てて、美神は達し、しかしそのときもまた悟郎太は女陰から去っていく。
 美神は振り向き、むしゃぶりつくように顔をくるんで口づけをすると、そのまま湯に落ち込んで、そそり勃つ悟郎太をほおばった。
「ふふふ参った、はじめて知る女よ美神は」
 大きな男尻を抱きながら、吐き気をこらえて喉へと吸い込む美神。
「ふぅ、むぅ、むうう!」
 男竿に漲る力が白き精を吐き出した。美神は喉を鳴らして飲み込みながら、それでも萎えない悟郎太をむしゃぶり続けた。

 宗志郎は脱ぎ去った。そのとき二人がそばにいたが、黒羽でも鷹羽でもなく、虎介そして情介だった。見た目は女。ここの者らも疑ってはいない。しかしそんなことはどうでもよかった。
 虎も情も首から下は男。なのにどちらも勃ててしまって恥ずかしげに手で隠す。
「なぜ隠す?」
「嬉しくて。あたしらを蔑まない」
「蔑む? おまえたちもいい女だよ」
「ほんと? ほんとのこと?」
 宗志郎は二人を両手に押しやって、湯に身を横たえて、両側から女二人に抱かれていた。いまもし誰かがやってきても、後ろからだとそうとしか思えなかったことだろう。
 歳は情介より下でも艶辰に長い虎介が言った。
「庵主様もそう。こういう役目がたまにある。姉様たちが人を斬る。そうすると姉様たちに体を開いて抱いてやり、苦しみを吸い取って、けどそれだけじゃないんです」
「とは?」
「斬り捨てた相手のために掌を合わせていらっしゃる。あのお方は観音様。だからあたしら庵主様とお呼びする。あたしらだって抱いてくれ、あたしらは庵主様が達するまで導いて差し上げる。あたしらは震えてる。ちょっと触れていただくだけで達してしまうの。庵主様は笑われて、それがすごく楽しそう」
「そうか、おまえたちも嬉しいな」
 情介が言う。
「嬉しい。でもそれはあたしらだけじゃないんです。誰かが沈むと庵主様は寝所に呼ばれ、よしよしって抱いてやり」
「うむ」
 宗志郎は二人の勃つものを両手にくるむと、同じように二人の手がやってくるのを許してやって、三人抱き合ったまま目を閉じた。

「禿(かむろ)だなんて思いたくはないけれど」
 黒羽の横の夜具に眠る美神が言った。綺麗にされた部屋であっても、悟郎太ら、男の匂いが漂っている。
 禿は童。童を斬れというのか。
「もしそうなら吉原あたり」
 黒羽が言った。
 遊女となるため修行をする年端もいかない娘らもまた禿。黒髪を結わず、おかっぱ頭にするから禿。そのような者を隠すなら遊郭が好都合なのだが、童が敵となるなら、これは辛い役目となる。
 紅羽はもちろん鷺羽鶴羽鷹羽の三人もそこにいてそんな声を聞いていた。
 美神は言う。
「鷺鶴鷹は一足先に戻っておくれ。そのへん探ってみるんだね。宗さんの家を使えばいいだろう」
 江戸までまた三日。しかし忍びの脚なら二日で戻れ、しかも宗志郎の家があるから隠れて動ける。

 その頃また別の家で。
 そこは狭く、宗志郎のほか六人が雑魚寝のありさま。ところがお光がいちばん近く、甘えたがって抱きついてくる。眠っていながら抱きついて振り払うのも可哀想。宗志郎はそっと背中を撫でてやる。
 からくりが見えはじめた。そうした手で拐かした娘らを手なずけて家へと戻し、
あるとき何かの合図を送って狂わせる。しかし誰が、何のために?
 紀州より来た吉宗が将軍となって間もないいま、江戸を騒がせ、紀州と尾張をにらみ合わせる。将軍家の権威は失墜し、同時に徳川の家が揺れる。
 そうなると何が起こるか? 得をするのは誰なのか? 宗志郎はそこを考えていたのだった。
「嫌ぁぁ・・もう嫌ぁぁ・・」
 寝言。すがりつく手。このお光は十七歳。この子と同じような娘が狙われ、捕らわれたとき呆けていたとしても死罪は免れない。怒りがこみ上げてくる。

 そしてまた別の家では、悟郎太そのほか、むさ苦しい雑魚寝となっていた。悟郎太は眠れない。
「参ったぜ・・ふふふ」
「どうしやした?」
 隣りにいた手下の一人が目を開けた。男だらけで寝苦しい。
「あの女将よ」
「へえ、なんともいい女で」
「この俺に挑んできやがった」
「ほう? 刀で?」
「馬鹿かてめえは・・けっ・・とっとと寝やがれ」
 悟郎太は夢のような美神の裸身が忘れられない。
 あれは女の勝負だと考えた。身を賭した女の勝負。この俺を男と見込んで仕掛けてきた本気の勝負。
 あの者どもは命がけで働く輩。己の想いに嘘はつけない。そうした思いだったのだろうと考える。
「和尚か・・まだ生きてやがったか化け物め」
「ほっといていいんですかい、親みてえなもんでしょう」
「まあな、かれこれ三年会ってねえ」
 悟郎太はいま三十四になろうとした。江戸に見切りをつけてこの地に戻ったのは数年前。それから二度ほど寺を訪ね、その最後が三年ほども前のこと。江戸にいる頃あの寺を出たり入ったり。思えばふらふら生きてきた。
「それもまた夢のごとく・・か」
「へっへっへ、フラれやしたか?」
「てめえ! 絞め殺すぞ、この野郎!」

 伊豆への旅を終えて戻ったとき、艶辰はひっそりと静まって、戻ったというよりも訪ねてきたといった心持ちがした美神だった。鷺羽鶴羽鷹羽の三人はいなかった。ほんの一足、昨日の夜には戻ったはずだが、たった一日でできることは多くない。
 そしてその頃、永代橋のたもとで皆と別れた宗志郎一人だけが小さな家に帰り着く。夕刻前の刻限でじきに暗くなるというとき。そちらにも鷺羽鶴羽鷹羽の姿はなかったのだが。
 夜も更けて、湯船に浸かる頃になり、妙な気配が忍び込む。鷹羽であった。夜陰になじむ柿茶色の忍び装束。頭巾をした姿であったのだが、それは風呂場の外の景色。鷹羽は床下から畳を上げて戻っていた。
「宗さん、鷹です」
 風呂の板戸越しに声がする。
「うむ。戸口に気配なし。どっから入った?」
「ふふふ床下から」
「ふむ。さらにまた、どうしてこうした頃合いに」
「ふふふ、黒羽の姉さんに斬られそう」
「ほかの二人とここにいたのか?」
「いえ散っており。我らは忍び、固まるヘマはいたしません」

 そして風呂から出てみると鷹羽は着替え、町女の姿だったのだが、黒髪はまとめて横に流していた。たたまれた忍び装束の上に妙なものが置いてある。
「なるほどな、そうしたものであったのか」
「え? 何が?」
「そいつだよ。人吉とか申す口入れ屋が襲われたとき、幾筋もの引っ掻き傷がある屍があったそうだが、これでわかった」
「ふふふ、だからあたしは鷹と呼ばれる」
 忍び装束の上にあったもの。それは鉄の板の先が三つに分かれた鷹の爪のような武器。両手の手首にはめ込んで握りを持つと、握り込んだ拳の先に三本の鋭い爪が備わるもの。鷹羽は言った。
「鷹の爪と言ってね、いまは塗ってないけど先に毒を塗ったりもする。敵の剣も受けられれば、ちょいと引っ掻いてやるだけで泡を噴いて死んじまう」
「なるほど恐ろしい女だってことがわかる代物」
 宗志郎は微笑んで、恐ろしげな鉄の爪へとふたたび目をやる。
 鷹羽は言った。
「伊賀の中でも我ら一族だけに伝わる武器さ」
 宗志郎は眉を上げて首を竦めた。
「鶴羽は甲賀で毒鞭を使い、鷺羽は戸隠で吹き矢の名手。それぞれが散り散りとなった哀しいくノ一」
「まさに哀しい身の上だ。まあ風呂でも入ってくるんだな」

 鷹羽は、いきなり女となって戸惑った。この小さな家の風呂には脱衣がない。
 鷹羽は言う。
「棟梁に言ってやるんだね」
「何をだ?」
「脱ぐとこぐらい造っとけって」
「ふふふ、わかった言っておく。背中ぐらいは流してやるぞ」
「ヤだよ、もう! 姉様が羨ましいさ」
 背を向ける宗志郎を気にしながら脱ぎ去って鷹羽は風呂へと入っていった。

 狭いといっても二人ならゆとりもある。夜具の間を空けて敷き、鷹羽は横寝となって宗志郎には背を向けた。黒羽への羨みが微笑みとなって眠れない。
「眠れぬな」
「あたしも」
 闇の中で互いに言って、宗志郎は言う。
「そなたはどうして艶辰に?」
 しばらく声はなかったものの、そうするうちに衣擦れの音がして、鷹羽が逆向きに寝返って宗志郎を見て言った。
「いまのお光と同じようなものなのさ。危ういところを救われた。そのとき女将さんと紅羽の姉様が一緒でね、相手はゴロツキどもが六人だった。それぞれが脇差しを持っていて」
「うむ」
「あたしは危ないと思った。あたしさえ伊賀の鷹女(ようじょ)に戻れば負けない相手」
「うむ」
「ところがだよ、そのとき板戸のつっかえ棒を手にした姉様の強いこと強いこと。
あたしでさえが声も出ない。後になって姉様が言うんだよ」
「うむ?」
「そのときあたしがその同じ棒を見る目でわかったって。ただの女中じゃないだろうって察したとき、それをあたしにさせてはいけない、だからあたしが手に取ったって」
「そうか」
「それで艶辰に連れて行かれ、そのとき紅羽と黒羽の姉様はすでに芸者。女将さんと三人だけの置屋だった。あたしが鷺羽を知っていて、鷺羽が鶴羽を知っていた。おちぶれたくノ一の末路なんて似たようなものだから。あたしらはさる小藩のお抱えでね。だけど蔵にある槍や鉄砲なんて錆び付いてる。太平の世に忍びなどまして無用」
「そうか」
「それでさ、艶辰に連れて行かれて、そしたら女将さんが抱いてくれた。毎夜毎夜、素裸で抱いてくださって、あたしを可愛がってくださった。それであたし三味線も踊りの稽古もさせてもらって芸者になった。いまのお光と同じように気張って気張って働いたんだ。だから宗さん、あのときお光を救ってやった宗さんの気持ちが嬉しくてね」

 しばしの無言。
「かきつばた」
「何だよ、ややこしく呼ばないで」
 鷹羽は闇の中で微笑んで、その目はキラキラ輝いていた。
「そなたらに羽をつけたのは女将さんのようだな」

 鷹羽は急に黙り込み、涙を溜めて、ふたたび寝返り、背を向けた。

白き剣(十話)

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十話 伊豆の白湯


「さて皆々よ、このような雨の折ゆえ、しっぽり濡れる話をしよう。我ら坊主の修行を行(ぎょう)と言うが、そなたら女人には女人業(にょにんぎょう)とも申すべき業(ごう)がある。それはまた性(さが)とも申すもの」

 芝高輪、湧仙寺。
 芝の南から高輪にかけて寺の集まる一帯があり、そこには名のある大きな寺から、この湧泉寺のようなちっぽけな古刹まで数多くの寺がひしめき合って、したがって町中に僧侶の姿をよく見かける。僧を僧としてあなどってはいけない。かつては僧兵ばかりを集めた寺もあり、また忍びの者どもが僧に化けた寺もあったもの。湧泉寺の住職たる妙玄(みょうげん)も、いまでこそ齢八十二と老いていたが、かつてはそうした僧兵としてならした男。
 艶辰のある本所深川から高輪は少し遠い。男の脚でも一刻(二時間)ほどもかかってしまい、小雨の中、着いてみると、狭い本堂にすでに女ばかり十人ほどが集まっていて、何やら法話の最中だった。女は市井の者ばかり。一見してこのあたりの商家の妻ばかりと思われる。

 妙玄は、ふいに訪れた宗志郎に目でうなずきつつも、かまわず言う。
「業(ごう)とは人の業であり、業を極めることを修行とするなら行(ぎょう)とも言える。さてここからじゃ。皆々、童どもを思えばよい。己が童であった頃、苦しむことと言えば腹が減っただとか、しょんべんちびっただとか、まあそんなようなものじゃった」
 女たちから笑いが漏れる。
「しかるにいつ頃からか、女として生きねばならぬ、男として生きねばならぬと思い込むようになり、色というものが生まれてくる。色は欲。嫌よ嫌よ、もっとソコということになるわけじゃな」
 隣り合った女同士が顔を見合わせくすくす笑う。
「それが女人を苦しめる。同じ女が敵ともなって立派な竿を奪い合う。なんて大きく恐ろしく、されど欲しくてたまらぬ男のイチモツ。拙僧などはもういかん、萎びたままじゃ」
 おもしろいと宗志郎は思う。女たちが食い入るように見つめていて、皆の目がキラキラしている。
「同じ女でありながら意地を張り合い、遠ざけ合って、隣の家では色よき声もするものの、なんでウチには夜がない、などということになって不仲となる。夫婦の不仲は世への不仲に変わっていって、周りの者としてみれば、なんたる嫌なクソ婆、てなことにもなろう」

「そこがこそ、そなたら一人一人を不幸にする大元ぞ。童に戻るときがあってもよいというもの。女となる前の心を持って女人を抱く。女同士で湯でも浴びて、一つ布団で眠れるならば、心は濡れて、違うところもきっと濡れよう。よいか皆々よ、女の性とは女の業(ごう)。しかるにそれを修行の行(ぎょう)と思うなら女人は解き放たれて羽ばたける」
「それは女人同士で交われということでしょうや?」
 女の一人が訊いたとき和尚はうなずいて言うのだった。
「女人はなぜに女でなければならぬのか。女人はなぜに男と交わらねばならぬのか。女人はなぜに女を想うてはいかぬのか。亭主元気で留守がよい。うむ、それはそうじゃろう。されどそれも亭主に飽きて触れられど濡れもせぬゆえ。それではあまりに可哀想というものじゃが、さりとてそこらじゅうの男にあはんうふんもまずかろう。女房殿は皆々そのように考えて、ゆえに寂しゅうなっていく。嫌な女になってしもうた己を憎み、ますますもって鬼婆。よいか皆々、業を行とすることじゃ。想うて欲しくばまず想うこと。童の心に戻れるならば女人は女でなくなって、人として女を想えるようになろうというもの。ここにおる皆々よ、互いに想うて抱き合って、濡れる女人となるがよい。行と思うて業に臨めば、人を想う女の性は満たされる」
 女たちは皆いい顔をしていると宗志郎は感じた。艶辰の女たちの顔そのままの素直な面色ではないか。

「そこな若武者よ、いかに思う?」
 問いかけられて皆は振り向き、目が集まる。いつの間にか若く凜々しい武士がいる。女たちは一様に、はにかむような笑顔を見せる。
 宗志郎は言う。
「何を語っておるのやら、クソ坊主め。はっはっは」
 皆が声を上げて笑い、しかし一様に穏やかな顔をする。宗志郎はふと虎介情介の二人を思った。まさに和尚の言う通り。しかしそれはありきたりに身構える者どもにはむずかしいかと考えた。
 妙玄は言う。
「くノ一は、くノ一同士で交わるという。明日の命も知れぬ身ゆえ、そのとき想うた己の心に素直でありたい。汚れなき人の姿だとは思わぬか」
 と、突然現れた武士の姿になぞられて持ち出した和尚の話に皆はうなずく。  いい法話だと宗志郎は思う。

「・・ふうむ、そのようなことがあったとはのう。わしも歳じゃな、とんと俗世に疎うなってしもうたわ」
 妙玄はシワ深い目を雨模様の空へとなげて、しばし考え、そして言った。
「そのようなことがあるとするなら、それは邪視(じゃし)やも知れぬな」
「邪視ですと?」
「そうじゃよ邪視じゃ。このわしとて話として知っておるだけじゃし見たこともないのじゃが、そのようなことがあるというぞ。仙人のごとく修行を重ね得られるもの、また魑魅魍魎、妖怪のたぐいに取り憑かれてしまうもの、天狗のせいじゃと申す者もおるらしいが、平安の頃には禿化け(かむろばけ)と称して、妖力を得た女が童に化けて災いを運んだとか。まあ心眼とも言えるのじゃろうが、見つめるだけで心を抜き取り、邪心を送り込んで人を操る。役目を果たして邪心が抜ければ人は抜け殻。心をなくしてしまうからの」
「・・ふうむ、されどそのようなことが真にできるものなのか」
「わからぬ。あるいは生まれ持った特異な才やも知れぬし何とも言えぬわ」

 いまから十五年ほど前、その頃、剣の修行に明け暮れていた十五歳の宗志郎は、柳生の剣の師範に連れられ、この寺を覗いていた。
 当時すでに妙玄は六十代の半ばであったのだが、小柄な体でも槍を持たせれば下手な剣では勝てない強さ。宗志郎の師範が学んだ、そのまた師範のような男であった。以来、宗志郎はときどき寺を覗いていた。
「されど尊師もお達者で」
「まったくじゃ。どうやらわしも妖怪天狗のたぐいのようで。はっはっは」
 この時代、四十代から人はばたばた死んでいく。八十をこえる齢は、それだけで仙人のようなもの。

 と、ふいに妙玄は手を叩き、宗志郎を見つめるのだった。
「そうじゃ悟郎太(ごろうた)がおった!」
「それは何者?」
「伊豆は天城あたりを根城とする山賊の頭でな、風魔賀次郎(ふうま・がじろう)が末裔よ」
「なんと? あの風魔の末裔と申されるか?」
「いかにも。風魔は死なず、そうして生きておるわい。かつてのわしの弟子じゃがな。うむ、そうじゃ風魔じゃ。かつて風魔に特異な才を持って生まれた男児がおってな。七つじゃったか、その歳にして見つめるだけで人を操ったという。風魔の女が妖怪を生んだと恐れられたものらしい。そのへん訊くなら訪ねてみればよかろうぞ」
 風魔と言えば、江戸時代のはじめに盗賊となって江戸市中を荒らし回り、ことごとくが捕らえられて滅亡したと思われていた。それがいま、八代将軍となった世に生きている。ぜひにも会ってみたいと宗志郎は考えた。

「邪視」
 と言ったきり、美神にしばし声はなかった。虎介が聞き込んだ話と符合する。
「さらにまた風魔とは」
 くノ一である鷹羽もまた声をなくし、同じくくノ一の鷺羽鶴羽と目を合わせる。
 美神が言った。
「じつを言うと虎がそれと似たような話を聞いたとか」
 美神が子細を話すと皆の目が厳しくなった。そうした才を持つ者がいるとすればすべてがうなずける。とりわけ禿化けという言葉がひっかかる。まさかとは思っても虎介が持ち込んだ話そのままではないか。
 美神は言った。
「その悟郎太とやらに会いに行こう。皆で行く」
「皆で?」
 と黒羽が訊いて、美神は深くうなずいた。
「さっそく明日にでも出よう。お光にも支度させるんだ」

 そして三日後の夕刻前、伊豆は天城山。冬晴れの青空に一片の雲もなく、山の緑も美しかった。
 宗志郎、美神、そして紅羽に黒羽、そのほかくノ一三人だけならともかくも、若いお艶さんの三人衆、男芸者の二人に加えてお光までが一緒だと、途中で二泊しないと歩き切れない。艶辰はじめての皆での旅。物見遊山の気分で楽しめていたのだが、いよいよ山が迫ってくると気を引き締める。
 宗志郎は大小を腰に差した着流しだったが、紅羽黒羽の二人は黒髪を後ろでまとめ袴を穿いて腰に大小を差した男姿。そのほか皆は女の旅姿であったのだが、美神、鷹羽、鷺羽、鶴羽の四人は白木の仕込み杖を持っている。
 海を見渡す表街道を逸れて山へと踏み込むと、いきなり人の気配が絶えて道も細く、右に左にうねっている。
 そろそろ出るか、山賊ども。

「待ちな! これはこれはぞろぞろと」
 いかにも山賊といった風体のゴツイ男ばかりが八人ほど、森を縫う道筋の前と後ろから現れて挟み打ちというわけだ。粗末な着物にウサギの毛皮でつくったチョッキを重ね、腰には刀、髪の毛などは獣のごとく。
 しかし前に向かって宗志郎と紅羽黒羽、後ろには間に皆を挟んで鷹羽鶴羽鷺羽が陣取り、こちらにも隙はない。皆が仕込み杖に手をかけて寄らば斬るの面色だった。
 宗志郎が男どもに笑って言う。
「よせよせ、てめらじゃ勝てないぜ」
「何をしゃらくせえ!」
 男の一人がすごんで声を上げたが、宗志郎は穏やかに言う。
「悟郎太に会いに来た」
 頭の名を呼ばれて山賊どもは一斉にある一人の男へ目をやった。背が高く胸板が厚く、毛の中に顔があるといったような男。まさに大猿。しかしその腰には剣はなく、代わりに、よく手入れされて光り輝く黒い槍を持っている。

「俺がそうだが」
 宗志郎はちょっと笑って眉を上げた。
「妙玄和尚に聞かされて参った者」
「ほう和尚に?」
「拙者は葉山宗志郎」
「なに・・」
 柳生新陰流の若き鬼神とまで言われた男。悟郎太も和尚から聞かされて名ぐらいは知っている。悟郎太は手をかざして手下どもに退けと合図をする。
 しかし悟郎太は宗志郎の背後へ目をやって言うのだった。
「で、ぞろぞろとか?」
「皆々が江戸の置屋の芸者でな」
「ほほう、芸者とはまた。男姿で剣を持ち、仕込みを持つ者もいる。恐ろしい芸者どもよ」
 悟郎太は宗志郎に歩み寄り、「こっちが兄弟子だぜ」と小声で言って笑い、そして手下どもに言い放つ。
「おいみんな、こいつはよ、弟弟子のくせしやがって俺なんぞよりはるかに強ぇえや。てめえらなんぞ刺身にされるぞ、あっはっは」

 悟郎太は、はるばる訪ねてきた弟弟子と並んで歩く。
「で、どうしたって?」
「かつて風魔に邪視を持って生まれた子がいたと聞いた」
 悟郎太は眉を上げて目を見開く。
「なるほど、わかった。まあ根城に来いや。湯も湧くし、なかなかいいぜ」
 鬱蒼とした樹海の中に、そこだけ森が拓かれて、いまにも朽ち果てそうな小屋がいくつか並び、粗末な姿の若い女も三人いて、さながら山窩(さんか・山の民)の根城のようにされている。雲のない天空から陽射しが注ぎ、森が風を遮るのか、そこだけ春のように暖かかった。
「まあ気楽にやってくれと言いたいところなんだがよ、なにせ家がちっぽけだ。ごろ寝ってことになる。森の奥に湯もあるし、そこだけは極楽よ」

 五軒ある家の中で少し大きな一軒が頭とその女の家なのだが、とても皆は入りきれない。美神と紅羽黒羽、それに鷹羽が家に入り、鶴羽鷹羽は皆と一緒にほかの家に散っていた。
 訪ねて来た皆を家に上げ、毛皮の敷かれた囲炉裏の周りに座らせておき、悟郎太は、一応は上座にあたるところに敷かれた大きな鹿の毛皮の上にどっかと座った。悟郎太の女らしき者が茶を淹れて配っている。大柄な女であったが笑顔がやさしい。
 話の支度が整うと宗志郎が悟郎太に言う。
「そちらが江戸の置屋の女将さんでな、こなた男姿の二人も芸者なんだが、ともに武家の出。そこの一人も芸者だが、じつはくノ一」
「なるほど。まあ、ただの置屋ではあるまいが訊かぬ」
 悟郎太は賢い男。宗志郎はうなずいて、さらに言った。
「風魔の女が妖怪を産んだとか」
 悟郎太はうなずいた。
「俺も聞いた話だが我らでは語り継がれる話でな。七つばっかのこわっぱに見つめられ、人は腑抜けとなってしまうのさ。生まれながらの化け物だった」

「禿として使ったのでは?」
 と美神が訊いて、悟郎太はあまりにも美しい美神を見つめる。
「そこの女将のように魂を抜かれる女はいるものさ。まあ、そんなようなもの。あまりに恐ろしいこわっぱゆえ、その頃の頭も困り果てた。よもや敵とならば一族は滅ぶ。そこでこわっぱのうちに放り出した。その母とともにな。生きていける金を握らせ、どこぞで好きに暮らせというわけさ」
 宗志郎が問う。
「それきりなのか?」
「それきりだ。ああしたものは血だ。こわっぱを産んだ女に妖怪でも取り憑いたかということで、母もろとも放り出す。悪さでもして叱ろうものなら、七つのこわっぱに見つめられておかしくなる。そうなりゃ放り出すしかあるめえよ」
「そうかい、それきり行き方知れずってことなんだね?」
 美神を見つめながら悟郎太は話し、だから美神がそう言った。
 江戸で妙な事件が起こっていると宗志郎が告げると、悟郎太はまたうなずいて言うのだった。
「だとすりゃあ血よ。こわっぱの血かも知れねえし、その頃まだ若かった母者がまた別の子を成したとも考えられる。剣では勝てねえ、ともかく目を見ねえことだ。言えるのはそれだけよ」

 黒羽が問うた。
「そうした者が確かにいると言うんだね?」
 悟郎太は、こちらもまた美しい黒羽を目に入れて、それから宗志郎に向かうのだった。
「いる。偽り話を伝えてどうする。心を抜き取り、どうにでも操る。そうしたやり口であるなら決まり事をつくっておくのさ。犬猫の声でもいいし記号(しるし)のようなものでもよかろう。見る聞く触れる、何でもよいのだ。そのとたん人が変わってしまう。話に聞く陰陽師のようなものもそのうちだろうが、呪いだと思えばよかろうな。呪いを持って産まれた化け物。もはや人ではあるまいに」
 そして鷹羽が問うた。
「ずっとここに隠れ住んできたのかい?」
 それには悟郎太は笑う。
「風魔は北条、北条は相模、相模は海よ。ここらはもともと我らが土地でな」
 鷹羽は黙ってうなずき、それから口を開かなかった。忍びは皆同じ。主家が滅ぶと戻る場所をなくしてしまう。

「さて皆々、今宵はどうするつもりよ。冬のいまなら、じきに陽が暮れよう。旅籠といっても遠いぞ」
 と悟郎太は言い、女将の美神をじっと見つめた。
 そしてそのとき宗志郎が袂から封を切らない二十五両の包みを取り出して悟郎太の前にそっと置いた。
「これで頼む、今宵一晩」
「ふふん、ずいぶんと張り込んだものだ、つまらねえ話を聞くためによ。わかった、どうにかしたいがどうにもならん。ここが広いゆえ、ここを空ける。まあ湯にでも浸かって来いや」
 と、そこで美神が言った。
「じゃあ、あたし一人が先に行く。お頭と一緒にね」
 悟郎太は目を丸くする。美神が言った。
「銭で買ったと思われてはあたしの名折れ。気持ちだということをわかって欲しい」
 悟郎太は呆気にとられて宗志郎を見つめた。
「ふっふっふ、気に入った・・気に入ったぞ、はっはっは」
 悟郎太は立ち上がり、美神の手を取って引き抜くように立たせていた。並んで立つと悟郎太は大きい。

 そして森に抱かれるようにある湯へと向かう。
 山肌が岩に変わったすぐのところ。周りは鬱蒼とした緑また緑。十人ほども入れそうな大きな岩風呂。脱衣などというものはなく、悟郎太は湯の縁まで美神をそっと押しやると、岩に座り込んで背を向ける。
「どうしたんだい、入らないのかい?」
「気持ちはもらった、ありがとよ姐さん。されど、ならば俺にも気持ちはある。ここらには腹を空かせた犬が出るゆえ」
 美神は歩み寄って悟郎太の前に回り、目を見つめ、そのままそっと抱かれていった。

「嬉しいよ悟郎太、いいから入ろ」
 野獣のような男にまともに見られていながら一糸まとわぬ裸身となった美神であった。

白き剣(九話)

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九話 一筋の光


「拙者の・・」と言いかけて、宗志郎はチラと女将の美神へ目をやった。芸者を束ねる置屋の艶辰が、しかるべき者の命によって密かに働く者どもの集まりと知り、その頭が美神ということで、どうしても武士の言葉になってしまう。
 夕餉を終え、今宵座敷に呼ばれた鶴羽と鷺羽が戻るのを待って、紅羽黒羽の姉妹と鷹羽も加えた七人で、美神の寝所に輪を描いて座っている。夜具をのべると狭くなる部屋であっても座って話すぐらいならちょうどいい。その場にお光は呼ばれなかった。お光は厨で夕餉の片付けをしている。
 このとき宗志郎は平袴などは脱いでしまい、それでも登城のための堅苦しい着物姿。それもあってついつい武士言葉になってしまうのだった。
 芸だけを見せる鶴羽鷺羽と違って、お艶さんと呼ばれる三人の若い芸者と男芸者の二人は色を売るだけに帰りが遅く、またこうした話に入ることも少なかった。女将の部屋で静かに話す。
「ううむ、いけませぬな、武士が抜けない」
 美神はちょっと微笑んで、素でいいからと言う。

「まあ花畑でもあり・・うん、少しはよく見せたくもあり」
 皆が笑う。黒羽はちょっとうつむいて隣りに座る姉の紅羽と目を合わせてくすくす笑う。すべてはお光。あのときあの子がいてくれなければこうはなっていなかった。人の縁とは奇妙なものだと、そう思っても可笑しくなる。
「じゃあこうしましょう」と黒羽が言った。
「ここでは宗志郎様ではありません、お名は末様。気楽というもの」
 末様はちょっと首を傾げて眉を上げ、しかし微笑みはすっと失せて真顔となった。
「剣の友に同心がおり、そやつももちろんお奉行から言われておる。されど目を光らせよと言われても雲をつかむような話であって、さらにどうやって娘どもを操るのか皆目見当もつかぬと申すわけで。妖しき術か、はたまた薬か、それにしてもわずか数日で人をそれほど変えられるものなのか。あるいは忍びの仕業かもと申しておって」
 美神は、鷹羽にちょっと目をやって眉を上げた。
「あたしらもそう話したものです。鷹羽と、それに鶴羽、鷺羽もくノ一」
 ほう・・と驚くように末様は鷹羽を見つめ、鶴羽鷺羽と順に見た。
「そんな術は聞いたこともないし、薬であるならわずかな間ではできないね」
 と鶴羽が言って、末様はうなずいた。

 黒羽と紅羽が武家の出、美神もそう。残る三人はくノ一。どうりで隙がないはずだ。なるほどとうなずける陣容だった。
 末様が言う。
「されど、最前のことを思うても敵にはかなりな黒幕が控えておろう。捕らえられるなら自刃して果てるなど尋常ではない。紀州と尾張がにらみ合って得をする者と申しても、それもまたそこらじゅうにいる話。さらにまたそのへん目星がつこうとも、つまるところ、どうやってという問いが解けねば逃げられる」
 そのとき美神は言うのだった。
「黒幕を追い詰めるつもりなどないのです。娘らを使う手口が許せない。手を下した者どもを許せない。さるお方も申されておりました。深入りしすぎても世を乱す。そうしたことが起こらねばよい話と」
「うむ、いかにも」
 末様の声に続いて黒羽が言った。
「我らは苦しむ女や童を救うことのみ。男のお役人では入り込めないところがある。そのために我らがつくられた」
 末様は、うんと深くうなずいて、それから美神に言うのだった。
「その探索の大元が見張られている。よって尾けられ、あのようなこととなる、気がかりなのはここ艶辰。いずれ嗅ぎつけられるときがくる。剣において上には上があるということをわきまえられよ」

 美神は眉を上げて首を傾げる素振りをする。そういう意味でも宗志郎が味方となってくれるなら、これほど心強いことはない。
 それはそうでも指図によって動く立場。了解を得ずに引き込むわけにもいかなかった。美神は言う。
「近いうちにつなぎを取ってよろしいですか? 我らを動かすは御老中、戸田様です。あなた様にもお立場はあろうかと?」
 これには皆も美神を見つめる。そんなことだろうと思っていても、皆々、美神に従うだけであり、それこそ深みには立ち入らない。
 美神は皆を見渡した。
「この際、皆にも言っておきます。わたくしは、その戸田様の縁者にあたる者の娘。隠していたわけでもないけどね」
 そんなことだろうと、それもまた推察していたこと。
 末様は言う。
「もとよりそのつもり。花畑の虫を追うは男の本望」
 女たち皆がそれぞれに目を合わせて微笑んだ。いちいち粋なことを言う。
 美神が問うた。
「末様の剣はどのような? 柳生新陰流とお見受けしますが、ちょっと違う気がしたもので」

 さすがだと末様は思う。剣を知るから剣がわかる。
「推察の通り、柳生新陰流。なれど先ほども申した剣の友というのが示現流でしてな、真似ておるうち妙な癖がついてしまった」
 ちょっと頭を掻く末様。示現流と言えば強いことで恐れられる薩摩武士の剣。敵の剣をものともせずに突き進み、渾身の一刀で斬り捨てる剛剣として知られた流派であり、昨今、江戸にも入り込んできている剣だ。
 このとき黒羽もまた、どうりで剣さばきが剛なはずと考えていた。
 それはともかく、正座で囲む女が七人、その中で一人だけあぐらをかいた末様。末様が両膝をぽんとやって黒羽にちょっと横目をやった。
「このようなことになるとは思わず、あのときはあやめ殿に会いたい一心、あの場に越してよかったよかった。ここと二か所の場ができる。粋な棟梁のはからいで湯船も大きく造ってあるゆえ・・」
 眉を上げて黒目を回すあの仕草で黒羽を見つめる。
 これには美神よりも姉の紅羽が声を上げて笑った。隣りに座る妹がどんどん小さくなって、うつむいていくからだ。
 美神が言った。
「空き部屋もあり、今宵はお泊まりでよろしいでしょう。黒羽もすでに赤羽のようで今宵はどうぞご一緒に・・ふふふ」
 あの黒羽が赤くなる。皆が笑った。美神も粋な言い回しをするものだ。

 さてお開き、というときになって美神はお光を呼ぶよう鷹羽に告げた。皆が出て入れ替わりにお光が来る。濃い茶色に黄色格子の着物を着た愛らしい姿。黒髪も乱れなく結われていて見違える。
 美神を上座において末様とお光が向かいって座る。お光はすでに泣きそうだった。
「おまえの名は光だったのだな」
「はい」
「剣の修行をしておるとか。昔の我が身を斬り捨てたいとか」
「はい」
「うんうん、もはや言うこととてない、よかったなお光」
「はい・・ありがとうございます」
 涙を溜めてうつむくお光。
「芸者の修行もしたいらしくて」・・と美神が言うと、末様は微笑んで、目の前で正座をし膝に両手を置いて拳をつくるお光の手に、そっと手を置く。
「さぞ美しい芸者となろう。よく立ち直った、立派だぞ」
「はぃ、ぅぅぅ・・うぅぅーっ」
 泣いてしまうお光。そのとき末様の目も潤んでいると美神は思い、艶辰にとっても新しい風となると確信した。

 艶辰でそのようなことがあった少し前の刻限だったが、お艶さんと呼ばれる若い芸者の三人娘が、あの喜世州の座敷にいた。
 今宵の客は奥州街道へといたる浅草から蔵前あたりの旅籠の主衆が五人であった。歳の頃なら四十代の末から、上では六十を過ぎていて、その中の二人が三人娘にとってはご贔屓さん。あの夜の男芸者の二人のような拾い紙などはせず、一人が座って三味線を弾き、二人が踊り、お客に「はい」と言われたときにぴたりと止まる。踊り手がふらつけばその者が一枚脱いで、三味線が先に走れば座る女が脱いでいく。
 結局のところ三人ともに白い乳房も露わな湯文字だけの姿となる。もちろん座敷のさらに裏に布団が敷かれ、ただし客の側から無理強いできないという決まり。今宵のお客は決まりを守る上客だったし、歳が歳で、そういうことより見て楽しむ者ばかり。
 踊る二人はすでに桜色の湯文字だけ。若く張った乳房を揺らして踊り、三味線の一人だけが肌襦袢の姿。
 遊び慣れた二人はよくても、こういう席がはじめてだった三人の客たちは目を輝かせて笑っている。

 老いた一人が笑って言った。
「ううむ残念、三味線の一人が残ってしまった、はっはっは」
 こういう席がはじめての一人が言う。
「ほほう、脱いでも湯文字までということですか?」
「辱めては可哀想というものです。これより脱がせてみたいなら心しかありませぬな」
「ふふふ、なるほど。いずれ愛らしい娘たち。さあ皆々、もういいよ、こっちに来ておくれ」
「はぁい」
 そうして三人ともに客の間に割って入り、酒の相手をするのだが、このとき湯文字だけの美介と恋介、一人残った肌襦袢の彩介。そのうちの彩介が口惜しがる老いた男の手を取って襦袢の上から乳房に添えた。
「あぁぁ旦那さん、心地いい」
「うんうん、よくやったよ彩介、いい子だねいい子だね」
 しなりと崩れて肩を寄せる彩介。男の老いた手が蠢いて乳房を嬲る。
 老いた男が周りに言った。
「ほらごらん、こちらの心をちゃんとくんで、こうしてくれる。可愛いね彩介は」
「はぁい、あぁん旦那さぁん」
「しっぽり濡れたか?」
「はぁい・・嬉しゅうございます旦那さぁん」

 そんな様子を笑って見ながら、美介も恋介も若く張った乳房を見せつけるようにお客の顔に寄せていき、恋介が、こうした席がはじめただった三人の中では若い一人に乳首を差し出し、男がそっと口づけた。
「ぁ・・うふぅ・・心地いい、これからもどうぞご贔屓に」
「うんうん、なんと愛らしい娘だろうね」
 とまあ、そうした席だったのだが、また別の老いた一人が、美介の乳房を肩越しに回した手で揉みながら言うのだった。

「ここのところ、あんまりですかな。新しい上様が倹約家ということで、お役人様たちも泊まらず過ぎ去るようになってしまった」
「ウチもですよ、以前はお出かけついでに泊まっていかれたものですが」
「そうそう、そう言えばちょっと前に不思議なお客様がいましてね」
「ほう? それはどんな?」
「いえね、お泊まりの中にお武家様が三人おいでで、酔ってしまって妙なことになりかけたんです。相手はまだ若いどこぞのお内儀さんだったのですが、あれはそう七つか八つの子連れでして」
「うむ、それで?」
「その御内儀さんが廊下ですれ違ったときに酌をしろと言われたようで、嫌だとはねつけるとお武家様が怒ってしまい」
「ほうほう。そうした方もおいでですからな」
「ところがですよ、その連れのお嬢ちゃんが、にっこり笑って見つめると、どうしたことかお武家様方が呆けたように・・と申しますか、いきなり酔いが醒めたようにと申しますか、これはすまぬことをしたと謝って、その場がおさまってしまったんです」
「なんとまあ、それはまたおかしな話で。すると何ですかな、その子に見つめられて人が変わった?」
「そうなんですよ、まさにそんなふうでして。この美介に見つめられて、あたしなど狂ってしまう、そんなようなものでしょうかね、はっはっは」

 その夜のこと。艶辰に戻ったお艶さん。
「そうかい、そんなことをお客が言ったか?」
「そうなんですよ。夕べのお座敷がはじめてだった蔵前の旅籠の旦那さんなんですけどね。それだけのことなんですが気になったものだから」
「うん、わかった、お手柄だったね。おいで美介・・」
 美神は両手をひろげて夜具の中に美介を誘い、帯を解いて白い裸身を抱いてやる。
「あぁぁ庵主様ぁ・・ぁ・・あっ・・」
「ほうらいい・・心地いいね・・ほうら濡れる・・しっとり濡れる」
「はぁい・・あ、あ、あぁん」
「さあ美介・・可愛がってやっておくれ」
 寝間着を着たまま膝を立てて腿を割る美神の奥底へ、美介は吸い込まれるように唇を寄せていく。

 さて、その同じ頃、別棟の空き部屋で末様と黒羽・・さすがにそこまでのことはなく、薄闇の中で宗志郎独りが横になり、ぼんやりと虚空を見つめていたのだった。
 どのようにして娘を操るのか。そこさえ知れれば敵もまた知れるやも・・と考えて、あの方ならもしやと思う。高輪にある湧仙寺(ゆうせんじ)という古くからの寺の住職であったのだが、齢はすでに八十をこえていて多くのことを知っている。
明日にでも早速訪ねてみようと考えた。
 老中の戸田と言えば厳格厳正で知られた堅物。そんな男が色街の置屋に手の者を隠しているなど思いもよらない。
 知らぬことが多すぎると宗志郎は考えた。若くして家に背を向け、ろくに世を見なかった。なのにその一方で、女たちが命がけで動いている。恥ずかしい思いがして、だから眠れそうにもない。

「眠れないの嬉しくて」
「うむ、さあおいで、抱いてあげる」
 夜具を川の字にのべた虎介情介そしてお光。立ち直るきっかけをくれた宗志郎の剣が脳裏をよぎり、半裸とされて燃えるように恥ずかしかった己の姿を思い描く。
 夜具を抜け出し、寝間着を脱いで裸身となって虎介の布団へと潜り込む。お光の肌には尻にも背にも二の腕にも剣の稽古で青痣が浮いていたが、そこをそっと撫でられて、そしたら背中を情介にも抱いてもらえ、お光はそっと二人の萎えたものへと手をやった。
「ふふふ、可愛い・・やわらかい」
 今宵の姉様たちは女のお客を相手した。どういうことがあったのだろうと考えると二人が哀れにも思えたし、逆に嬉しいかったんだろうとも思える。
「ねえ姉様方」
「うん、どうしたね?」
「女のお客さんて、どうなんだろと思ってしまって」
 背中から抱く情介が耳許でささやくように言う。
「あたしらの姿に震えるように抱いてくれ、しゃぶってくれて、奥の間に引き込まれることもある。抱いてといって脱いでくれると嬉しくてあたしらが泣いてしまうのさ」
「抱いてって言う?」
「言うよ。お体に尽くしてあげて、それからは手でやさしくされる。あたしらが出してしまうまで」
「えー出すの? 心地よくて?」
「もちろんじゃないか」
「・・うん、わかった、姉様たちって女だもんね」
「そういうことさ。だからお光と心は一緒。抱いてやってお光が濡れるとあたしらだって達していくよ」
「・・うん・・そうだと嬉しい・・」
 それでお光は安心したのか、二人のものを握ったまま静かになって眠ってしまう。

 そして翌日、ぱらつく小雨の中を宗志郎は高輪に向かって歩いていた。